第170話 わたしのお兄様
物心ついた時には、既に戦いを叩き込まれていた。子供にとっては大きい剣を両手に持ち、構え方、振り方、動き方、全てを教わる日々。
そして、それらの基礎鍛練を終えると、模擬戦が始まる。
父さんも、上の兄さんも、幼い子供相手でも全く容赦がなかった。軽く打たれるだけでも折れてしまう脆い自分の体を、手加減なく打ちのめして。
血が流れるのも、骨が折れるのも日常茶飯事。その度に泣きわめくのもまた日常で。
そして、その度に下の兄さんが庇ってくれるのも日常だった。
「おい、レーナはまだ小さいんだ。もっとやり方があるだろ」
「黙れ。ならばお前が代わりになれるだけの実力を見せろ」
「くっ……!」
下の兄さんは弱かった。父さんにも上の兄さんにも毎日ボロボロになるまで攻撃されて、でもそれだけ戦っても一度も攻撃を当てられないくらいには弱かった。
鍛錬を始めてほんの数年で、妹である自分にも追い抜かれてしまって、下の兄さんは家の中で最弱の存在になった。
痛い……痛い……!
怪我自体はいつものことだけど、今日は特に酷い怪我をする日だった。左腕が完全に折れて動かせないし、さっきまで頭から流れていた血で至る所が真っ赤になっている。
何とか右腕一本で頭の止血だけは出来たけど、もう動く気にもなれなくて、部屋に戻ってそのままベッドに倒れ込んだ。
「痛い……何でこんな……」
涙が溢れてくる。こんな思いをしてまで強くなんてなりたくない。どうして毎日毎日こんなに痛い思いをしなきゃいけないんだろう。
きっと父さんと上の兄さんは人間じゃないんだ。人間みたいな見た目のモンスターに違いない。
コンコンコン
部屋の扉を叩く音が耳に入り、体を緊張が走り抜ける。
誰か来た……! もしかしてまだ鍛練をするって言われるんじゃ……!
「レーナ、大丈夫か?」
その声を聞いて、緊張が抜けていく。良かった、下の兄さんだ。
「う、うん、大丈夫」
兄さんを迎え入れようと、部屋の扉を開ける。
そうして兄さんの姿を視界に入れた瞬間、さっきとは別の意味で緊張が走った。
顔中が血まみれで、両腕があらぬ方向にへし折れている。破れた服から覗く腹も真っ青で、きっとあばらが折れているだろう。
その上、片足を引きずっているように見える。折れているかどうかは分からないけど、怪我しているようだ。
「ちょっと!? 明らかにわたしよりも重傷じゃんか!」
「気にするな、いつものことだ。それだけ騒げるなら大丈夫そうだな」
何でこんな状態でわたしの心配なんか。とてもそんな余裕があるようには見えないのに。
「何でそんなに心配してくれるの……?」
「さあな。家族の愛情ってやつなんじゃないか? 父に対しても兄に対してもそんな感情は持ったことがないから分からないが」
そう言って笑う兄さんの顔が、何故か懐かしく思えて。もしかして、わたしを生んですぐに亡くなったっていう母さんがこんな顔で笑っていたのかな、なんて思った。
「今日はこれで終わりだ」
「え……?」
その日は何故か、いつもよりも軽い鍛練で終了が告げられた。もちろん文句なんてないけど、いつもフラフラになっても鍛練をさせてくる父さんが急にこんなことを言い出すなんて、逆に怖い。
「な、何で……?」
「まだやりたいのか?」
「ううん! そんなことないけど」
「部屋に戻って勉強でもしていろ」
「わ、分かった」
気まぐれか何か知らないけど、気が変わらない内に部屋に戻ろう。そう思って歩き出す。
すると、何故かわたし以外の3人ともが訓練場から動かない。
「あれ、兄さん?」
「俺はもう少し鍛練していくから、レーナは部屋に戻ってな」
上の兄さんならともかく、下の兄さんが自主鍛練……? そんなことあるかな?
あまりにも意外なその行動が気になって、一度建物の中に入ってから、こっそり訓練場へ戻ってみる。
すると、
「ハァ……ハァ……!」
「どうした。お前が自分で言い出したんだぞ。レーナの分もやるからレーナの鍛練を軽くしてやってくれ、と。レーナの分どころか、未だにお前の分の鍛練すら終えられていないが」
休憩を挟むことなく、ひたすら剣を振り続ける兄さん。
わたしの分まで、兄さんが……?
どうして、そんな。ただでさえ兄さんは一番弱いのに。あんなに疲労した状態でこの後の模擬戦を行ったら、もしかしたら怪我では済まないかもしれない。
そこまでして、命を懸けてまで、兄さんはわたしを助けようとしてくれている。
これが、家族の愛情というものなの?
だったら……
「そこまで。では最後に模擬戦を行う」
「ハァ……ハァ……ゴホッコホッ……ハァ……」
兄さんたちが向かい合って立つ。その間に父さんが立ち、審判を務めるようだ。1対1の模擬戦。本当なら、わたしを加えた2対1でやるはずの模擬戦だ。
「お兄様」
「っ! レーナ、どうして……」
「お兄様は何も出来ないのだから、わたしに全部任せて」
お兄様はわたしを守ってくれる。この地獄のような家の中で、お兄様の傍だけが安心出来る場所だ。
でも、お兄様はわたしを守れるほど強くない。わたしの分まで背負って戦ったところで、お兄様は何も出来ずに傷つくだけだ。
だったら、わたしが前に出よう。お兄様はただそこにいてくれるだけで良い。
お兄様を守るためだったら、レーナは何でも出来るんだから。
お兄様がディルガドール学園に行ってしまった。心配だ。レーナがいなくて大丈夫だろうか。
戦闘能力を育てる学園なんて、きっと父さんみたいな冷たい教官がたくさんいるに違いない。そんな場所でたった一人なんて。
いじめられてないだろうか。お兄様は小柄で顔も良いし、戦闘能力が高い女に捕まってペットのような扱いを受けていたりしないだろうか。
兄さんみたいな先輩や同級生に過剰な攻撃を加えられたり、父さんみたいな教官に過剰な鍛錬を強制されたりしていないだろうか。
心配だ。とにかく心配だ。
お兄様が帰ってこない。夏休みには一度帰ってきてくれると思っていたのに。
まさか、本当にヤバい奴に捕まってるんじゃ……!
でも、うーん、忙しいだけ、とか? もし本当に危ないとしたら、お兄様ならどうにかして助けを求める手紙くらい送ってくる、よね?
冬休みまで待とう、かな? 一応。一応、冬休み前に手紙は送っておこう。
おかしい。
帰ってきたお兄様は、前よりも更に優しくなっている。それ自体は嬉しいことだけど。
でも、どうして優しくなったの?
レーナに優しくしたくなるのってどんな時だろう。
それって、レーナの大切さを再確認した、とかじゃないの?
そんなことを思うくらい、学園での生活が辛いってことじゃないの?
誰かが、お兄様をいじめてるってことじゃないの?
許さない。許さない許さない許さない!
だれ?
レーナのお兄様をいじめるのは、誰?
帰ってきてから、度々お兄様の口から出てくる、班の仲間。5人ともが女らしい。こいつら? それにしてはお兄様の口調が穏やかな気がするけど……。
そうか、分かった。きっと学園生活が楽しいって思い込むことで心を守っているんだ。だから楽しそうに班の話をするんだ。
お兄様が楽しそうに話すなら、それだけ辛いということ。間違いない。
お兄様は、レーナが守るんだから。




