第167話 帰宅
学園都市から魔導列車で半日ほど。久々に見る王都は、どこもかしこも多数の人が行き交っている。
駅から足早に歩き去って行く人、バスへ駆け込む人、駅内の喫茶店で一息つく人など、様々な人がいるが、誰も彼もがどことなく忙しない。
バスを使っても良いが……何となく歩く気分だったので、歩いて目的の場所へ向かうことにする。
警備の騎士が何人も立っている駅を出ると、駅周辺は高層の建物が並んでいる。仕事で他の街と行き来する人のための宿泊施設だ。
それらを通り過ぎると、段々2、3階建て程度の建物が増えていく。王城の白壁に合わせ、白やクリーム色の建物が多い。ここは王都の大通りだ。様々な店が建ち並び、ここで入手出来ない物はないと言われている。ただし、専門店はここにはあまりない。際限なく質の高さを追求するなら、もう少し寄り道が必要になる。
大通りを更に進むと、少しずつ建物の雰囲気が変わり始める。
大きな屋敷のような、高級さを前面に押し出した建物。貴族が貴族以外の人間と会う時に利用するような高級店だ。
貴族街との境界近くに場所を取るそれらの店は、基本的に紹介制。貴族や豪商の口利きがなければ入ることすら叶わない。
そして、見えてくる。
「失礼します。お名前を確認してもよろしいでしょうか」
貴族街への門。比較的最近出来た、新しい門だ。お転婆な姫が脱走したから造られたと言われているが、果たして誰のことなのやら。そこで門番をしている騎士が、丁寧な口調、態度で声をかけてくる。
ここから先は、貴族か貴族の許可を得た者しか入ることは出来ない。ここから見えるだけでも巨大な邸宅が並ぶ、権威の街だ。
ティクライズは貴族ではない。だが、貴族街に居を構えることを許された特別な家だ。
「ティクライズ家次男、クレイ・ティクライズです」
「どうぞ、お通りください」
門番が人のための通用口を開いてくれたので、貴族街へ足を踏み入れる。
貴族街へ入ってすぐ。右手がファレイオルの屋敷、その向かいにある屋敷が、目的地。
まるで牢獄のような、重厚な外壁。その上部を鉄柵が走り、触れた物を麻痺させる魔法が付与されている。
門を通り中へ。貴族街の景観を壊さないようにと最低限整えられた庭を通り、屋敷の前に立つ。
全ての窓に鉄格子がはめられた建物。大きさは大したことはない。決して貴族の屋敷より大きくはならないようにと気を使って造られている。
建物に入らず、裏に回る。そこにあるのは、土地の半分以上を占める訓練場だ。広く平らに整備された、何もない土のフィールド。
忌まわしい記憶の、まさにその場所。
そこに、いた。
肩にかかる程度の長さの艶やかな黒髪。無表情で黙々と両手の剣を振るう、身長140程度の華奢な少女。
俺がフィールドに足を踏み入れた途端、こちらに気がついた少女の顔に満面の笑みが浮かぶ。
「お兄様!!」
そして嬉しそうに駆け寄ってくる。この少女こそ、俺の4つ下の妹。レーナ・ティクライズ。
ある意味で、俺が父よりも苦手としている人物だ。
寮の管理人から手紙を受け取り読んだ時、正直帰りたくはないと思った。
妹、レーナは、接し方自体は俺に対して好意的だ。むしろ父や兄への露骨に嫌そうな対応を見る限り、本人的には俺のことを好きな方だと思っているのかもしれない。
だが、俺は妹が苦手だった。
ティクライズの家で模擬戦を行う際、実力を考慮して、兄対俺と妹、という1対2で行うことが多々あった。
そういう時は決まって、妹は俺に対して、自分に全部任せてお前は何もするな、と言ってきた。サボっていれば父や兄に何をされるか分かったものではないので、その妹の言葉は無視して俺も戦うのだが、そうすると模擬戦が終わった後で妹に文句を言われる。
妹の、そういう俺を見下しているところが苦手だ。
もっと幼い頃、それなりに妹の面倒を見てやったつもりだ。この家で幼い少女が生きるのは大変だろうと思ったから。
だが、それも全て意味のないことだったのだろう。妹は俺よりも強い。俺が面倒を見てやる必要もなく、この家で生きていく術を身に着けた。
そして、俺が落ちこぼれだと理解し、見下すようになった。
そんな妹からの手紙だ。帰ってこいと言われても、気が進まないのは当然だった。
それが分かっているのだろう。だから手紙にあんな文言を入れてくる。
もし冬休みにも帰ってきてくれなかったら、レーナが学園まで会いに行っちゃおうかなー、なんてね。
逃げ場はない。学園で会うか、家で会うかの差だけだ。学園まで来られて、何か問題を起こされても困る。だから俺は、嫌々ながら家に帰るという選択をした。
「お兄様、もうお昼食べた?」
「……いや、まだだ」
「良かったー! そうだと思ってクロウにお兄様の分も用意してもらってるの! 行こ!」
この家で働く唯一の使用人、執事のクロウ。身長175程度、歳でくすんだ鉛色の髪の穏やかな老紳士といった感じの男だ。
この家のあらゆる仕事をたった一人で行っている万能執事で、俺が物心ついた頃には既にこの家で働いていた。
良くも悪くも俺たちのやることに口を出さない男で、俺が鍛練でボロボロになっても穏やかな表情を全く崩さずに手当をしてくれたのを覚えている。
「久しぶりにお兄様と一緒にご飯食べたいと思って、もう遅い時間だけど待ってたんだー」
「……そうか」
手を引かれて、屋敷の中へと入る。飾り気のない廊下を歩き、食堂へと向かう。
「お兄様、眼鏡かけてる。似合ってるよ、カッコイイ!」
「そうか」
食堂に入ると、ちょうど準備が終わったところ、といった様子でクロウが立っていた。
「お久しぶりです、クレイ坊ちゃま。お食事の用意が出来ております」
「ああ、久しぶり。ありがとう、いただく」
四つの椅子の内の一つに座る。レーナが隣に座ったのを見届けて、クロウは部屋を出て行った。別の仕事があるのだろう。食べ終わった頃にいつの間にか戻ってきているはずだ。
久しぶりに食べるクロウの料理はやはり美味しい。以前はこれよりも美味い物はないと思っていたくらいだ。
今は、クルの料理の方が美味いと感じている。これも充分美味いというのに、贅沢なことだ。何事も、知れば良いというものではないという実例だな。
「んふふー、やっぱり一緒に食べると美味しいね!」
学園に入る前は、この家で誰かと一緒の食事など全く気が休まらない時間だった。出来る限り早く食べ終えるようにしていたものだ。
だが、学園で仲間たちとの食事が当たり前になり、誰かと一緒の時間も良いものだと思えるようになった。妹のことは相変わらず苦手だが、一緒に食べると美味しいというその気持ちは理解出来るようになった。
だから、今は本心からこう答えることが出来る。
「そうだな」
そうして、穏やかな気持ちで食事をしていた。会話が弾むというほどではないが、妹があれこれと話しかけてくるので雰囲気も明るい。
戦闘になると途端に俺を貶してくるが、こうしていれば可愛い妹だ。俺ももう子供という訳ではないのだし、兄らしく、寛容さを持って妹と接するようにするべきなのかもしれない。
「お兄様はいつまで家にいてくれるの?」
「そうだな……一週間くらいはいることにするか」
「一週間だけー? 冬休みって二週間くらいあるんじゃないの?」
「それはそうだが、流石に休み中ずっと家にいる訳にもいかないからな。3学期に備えないと」
冬休みに入る直前、教室でキャロル先生が言っていたことを思い出す。
「冬休み以降の予定だけど、最初の月に希望制班対抗戦、その翌月に学科試験、最終月に実技試験があります。冬休み明けすぐの一ヶ月。ここがみんなにとっての山場になると思うよ」
希望制班対抗戦とは、その名の通り希望の相手と戦う行事だ。学園内のどの班でも指名可能で、もちろん強敵相手に勝つことが出来れば相応に成績に反映される。
指名権は一回。性質上、上位の班に指名が集まりやすい。原則として1日1戦まで。冬休み明け最初の一週間で希望を提出し、学園側がそれを見て予定を組むことになる。
レオンたちはもちろん俺たちに勝負を挑んでくるだろう。俺たちはどうしようか。レオン班と戦っても良いし、上級生に挑んで成績上げを狙うのも手だ。
他にも同級生たちはかなりの班が俺たちに挑んでくるだろうな。忙しい月になるはずだ。
「仲間たちにも確認して準備しないといけない」
「仲間たち。それって班の仲間だよね? 女の子もいるの?」
「ん? ああ、俺の班員は全員女子だが」
「ふーん」
そんな話をしている間に食べ終えた。するとやはり良いタイミングでクロウが戻ってきたので、片づけを頼む。
さて、久しぶりに自室に戻るとするか。




