第147話 来訪者
人間が……滅ぶ……?
何を言っている。そんなことはあり得ない。
確かに、人間は常に危険に晒されている。前線で日々モンスターと戦い、それが崩壊すれば大規模な被害が出ることになるだろう。
だが、ヴォルスグラン、アインミークの前線は安定している。そう簡単に崩壊はしない。
ならば残りはカルズソーンだ。確かに、カルズソーンの前線は安定していない。今すぐにでも崩壊する可能性はある。
しかし、今すぐ崩壊したとして、5年以内に人間が滅ぶなどあり得ない。
カルズソーンの前線が崩壊してから、カルズソーンという国が滅ぶまで、どれくらいだろうか。短くても2年くらいはかかるだろう。
そこから、広がった前線に対応し切れずヴォルスグランが滅ぶまで、同じく短くても2年。アインミーク滅亡も同様に2年として、それでも6年かかる。
これはあくまで最悪中の最悪を想定した計算であり、普通に前線が崩壊しただけなら、アインミーク滅亡までだって5年くらいはかかるだろう。
ミュアには申し訳ないが、とても信じられる内容ではない。
いや……まさか、そうではない、のか……?
ヴォルスグランが国を挙げて推進している、人間の限界を超える研究。何故そんな研究を進める必要があるのかが疑問だった。
ヴォルスグランの前線は安定していて、教育機関で戦闘能力の育成も行われている。わざわざ研究するほどのことではないと思っていた。
だが、もし国の上層部が、人間が滅びかねないほどの危険について、何か知っているのだとすれば?
今は安定している前線。それが容易く崩壊しかねない何か。その何かに対抗するため、人間の限界を超えなければならない。
そう考えれば、陛下が異常なほどに戦闘に重きを置いているのも理解出来る。
もしそうだとして、ならば何故それを国民に喧伝しない?
ミュアの話では、その危険が訪れるのは5年以内だ。時間的余裕があるのなら、国民感情を気にして極秘に研究を進めるのも分かるが、5年という短い期間しかないのなら、感情など気にしている場合ではない。
人間が滅ぶか否かの瀬戸際に、国民が不安に思うからとか、王の支持が揺らぐからとか、そんなことを言っている余裕はないだろう。
ではやはり、ミュアの言っていることはでたらめか? しかし、陛下が人間を強くしようとしているのは間違いない。
「お兄ちゃん……?」
「っ!? あ、ああ、そうだな。悪い、そこまではっきり分かるものではなくてな」
あまり嘘を吐きたくはないが……ここは話を合わせる。もっと情報を引き出せないか試さなくては。
「そうなんだー。見た感じ、お兄ちゃんはすぐ目の前の未来が見えるみたいだったもんね。ミュアとは違うのかな」
「そうだな。俺は近くの未来を見るのが得意だ。だから、ミュアが言っている危険というのもあまり分かっていなくてな。ミュアが感じているという危険について、詳しく教えてもらうことは出来るか?」
「んー、ごめんなさい。ミュアもあんまりわかんないの。でも、すごく危険なんだよ! 国が、とかじゃなくてね、世界が危険なの!」
世界か。ヴォルスグラン、アインミーク、カルズソーンの三大国以外の世界がどうなっているのかは分からない。だが、それだけの広い世界全てに影響するほどの事件が発生するのだろう。
この情報を信用したとして、では俺に何か出来るか? 結局はカンナさんと変わらない。たった1人では何も出来ないし、具体的な説明が出来ないのなら誰かに助けを求めるのも難しい。
「そうか、分からないか。ごめんな、その不安をきちんと理解してやれなくて」
「ううん、良いの! ミュアと同じ人がいるってわかっただけでも嬉しいから!」
流石に罪悪感があるな。このような幼い少女を騙すのは。だが、真実を教えることが良いこととは限らない。これから俺とミュアが頻繁に会う仲になるなら話は別だが、どうせこれから会うこともそうないだろう。ならば、ミュアの喜びに水を差すこともあるまい。
「クレイさん。あなたに話を聞くために、アインミークの研究員などが訪ねると思いますので、お伝えしておきます」
「研究員ですか?」
「ええ。あなたの戦いを見て、これは機械兵の改良の参考になるかもしれない、などと言っていましたので」
機械兵の移動ルートや、盗んだ犯人について話すためにヴォルスグランまで来たのではないのか。その中でも開発のことを考えているとは、流石アインミーク人。生活が機械と絡まり合っているな。
「少々長居してしまいましたね。ミュア様、そろそろ移動しましょう。本日の宿泊場所も探さなくてはいけません」
「うん、分かった!」
「ヴォルスグランが用意しているのでは?」
「我々はヴォルスグランの予定にはない行動を取っていますからね。弟にも会いたいですし、この都市で泊まれる場所を探します」
その行動が許可されるのか。もし姫に何かあればヴォルスグランの責任になりそうだが、大丈夫なのだろうか。アインミーク側としても、勝手についてきた姫が勝手にあちこち動き回るというのは歓迎し難いように思えるが。
「ディルガドールは明日から3日間学科試験になります。もしかしたら、フォグルは時間に余裕がないかもしれません」
「ああ……それは確かに、会いに行くのは止めた方が良さそうですね。弟はあまり……頭が良い方ではありませんから」
「じゃあ、試験が終わるまでここに泊まるの?」
「流石にそれだけの期間になると、陛下にきちんとお話しておかなければなりませんね」
「んー、お父様に話すのかー。戻って来なさいって言われないと良いなー」
短い間なら自由にすることが許可されるだけでも、相当娘に甘い王なんだな、という感想になるけどな。
「じゃーねー、お兄ちゃん!」
「本日はありがとうございました」
店を出て、ブンブンと手を振るミュア、恭しく頭を下げるカンナさんと別れて寮に帰る。結局仲間たちへの贈り物は買えなかった。学科試験が終わったら、お疲れ会をしようとかそれらしい名目で食事にでも誘うか。もしくは本人たちに希望を聞くとするか。
学科試験1日目。午前中で本日のテストが終わり、さっさと寮に帰る。カレンもティールもそこそこ解けたようで、比較的明るい表情をしていた。この様子なら残りも心配ないだろう。
そう安心して、自室まで帰ってくると、
「やーあやあやあ、クレイ・ティクライズくーん。まーっていたよぉ」
部屋の前に、ヤバい奴がいた。
ひょろっとした長身、ニヤニヤと笑う口元、妙なアンテナの付いた眼鏡、やけに長い白衣には試験管やらドライバーやらレンチやらがごちゃごちゃと吊られ、何やら機械的な靴を履いている。
首から提げられた端末をカタカタといじりながら、こちらに観察するような視線を向けてくる、伸びるに任せているような長い灰髪の男。
もしかして、こいつがカンナさんが言っていた研究員か?
「早速だが聞かせてくれたまえよぉ。君の力について。君はどうやら予知能力のようなものを持っているようだねぇ。僕の見立てでは、君の能力は目の前の相手の動きを先読みするようなものだと思うんだけど。どうだい、合っているだろぅ? 間違いないね。そこで、その能力、詳しく僕に教えてくれないかということなんだよねぇ。君には相手の動きがどのように見えているんだい? 実際の映像に重なって未来が見える? 未来の映像だけが見えている? それとも何となく感じ取れるような感じかなぁ。さあさあさあ、教えてくれたまえよぉ」
……うぜぇ。聞かせろと言っておきながら、俺の答えを聞く気があるのかすら怪しい途切れない発言。自己紹介もせずに自分勝手に話し始めるし、部屋の前に突っ立ったままで会話しようとするし、コミュニケーション能力が著しく低い奴だ。
「シェブロス、黙れ」
いつまで経っても口を閉じようとしない研究員に痺れを切らしたのか、後ろにいた男が口を挟む。
年齢は60くらいだろうか。きっちりまとめた短い灰髪の、身長175ほどの男だ。それなりの地位を思わせる、高級感のあるスーツを身に纏っている。
「ニストフェン様、お待ちを。まだまだ聞きたいことが」
「黙れと言った」
「……申し訳ありません」
シェブロスと呼ばれた研究員風の男が、後ろにいた護衛と思われる人たちのところまで下がる。それと入れ替わるように、ニストフェンと呼ばれた地位の高そうな男が一歩前に出てきた。
「ニストフェン・ジェラフィルズだ。アインミークの侯爵で、財務を担当している。貴様がクレイ・ティクライズで合っているな?」
「はい、合っています。お会いできて光栄です」
「話したいことがある。落ち着ける場所へ案内しろ」
「わたしの私室でもよろしいでしょうか。狭い部屋ではありますが」
「構わん」
「では、中へどうぞ」
初対面でかなり上から物を言われているが、まあ立場を考えればこれくらいが妥当か。普段接する王侯貴族が気安過ぎるだけだ。
むしろ、騒ぐ研究員を黙らせてくれたことに感謝したいくらいだ。あのまま放置していたら、いつまでしゃべり続けていたか分からんからな。
扉を開けて、侯爵や研究員、護衛たちを部屋の中へ招き入れた。




