第131話 公爵の目的
指定の時間に、指定の場所へ向かう。場所は少し前に演劇の練習にも使った森の中にある湖だ。
周囲は暗い。こんな場所にはほとんど人が来ないので、当然明かりなどある訳もなく、月明かりのみが木々の葉の間をぬって地面を照らしている。
そんな森を進んで行くと、瞬間、一気に視界が開けた。木が途切れ、目の前に湖が広がる。
遮る物のないその場所は、暗い中でもはっきりと周囲を見ることが出来る程度の明るさを保っていた。月明かりに照らされ淡く輝く湖が美しい。
そんな湖を背に、こちらを見つめる1人の男。
身長は175程度だろうか。アイビーと同じ新緑の髪。鼻の下で左右に伸びた天を突く立派な髭が特徴的な、精悍な顔つきの男性だ。
あれが、ヘデラ・フェリアラント公爵。カルズソーン王の弟、アイビーの父親か。
「時間通りか。初めまして、だな。ワシがヘデラ・フェリアラントだ」
「お初にお目にかかります、閣下。クレイ・ティクライズと申します」
「うむ。このような時間の呼び出しへの対応、まずは感謝を述べよう。どうやら勘違いにより使者とのもめ事があったようだが、互いに無事でなによりだ」
勘違い、ね。あの感じだと、俺が使者の侵入に気付くことが出来なかったら名乗る気すらなかったように思えるが。まあ、良い。別に喧嘩しに来た訳じゃない。
「して、此度はどのようなご用件でしょうか」
「うむ、そうだな。では」
そこで公爵が右手を上げ、
「やれ」
何かの指示を出す。が、
「む……」
何も起きない。辺りは夜の静寂を保ったままだ。
「辺りに潜んでいる黒ずくめの方々には、大人しくしていただいております。ご心配なく。命を奪ってはおりません。ただ拘束しているだけです」
「何……?」
「茶番に付き合う気はありません。始めましょうか。話し合いを」
この周辺には、恐らく公爵の護衛として国からついて来ていると思われる人間が10人ほど潜んでいた。気配を消しているつもりだったのだろうが、本職が護衛ということもあり、やはり雑だ。俺にはどこに何人潜んでいるのか丸わかりだった。
妙な勘違いを受けているせいで護衛たちをけしかけられる可能性があると考え、先に拘束しておいた訳だ。正面から複数人を相手になどしていられないからな。
「なるほど、なるほど。使者を返り討ちにしたことと言い、潜む護衛たちを1人で殲滅して見せたことと言い、確かな実力を持っているようだ」
ブツブツと呟く公爵。何やら1人で納得したように頷くと、
「ガッハッハッハッ! 良かろう! では、話し合いと行こうか!」
いきなり快活に笑い始めた。やはり、最初から本気でやり合う気などさらさらなかったのだろう。茶番以外の何物でもない。
「聞こうか、クレイ・ティクライズ。ワシがお主を呼び出した理由は何だと思う」
俺が言え、と。明らかに試されている。恨むぞアイビー……。
「まず、何故閣下がわたしに手紙を出すことが出来たのか、ということを考えました」
「ほう、手紙を出すくらい誰にでも出来ることではないか?」
分かっているくせに、楽し気に問いかけてくる。先ほどまでの重々しい雰囲気より、こちらの明るい方が素に近いのだろう。生き生きしている気がする。
「正確に言うならば、何故わたしに対して手紙を書こうと思ったのか、ということですね。どこの誰かも知らない人間に手紙は書かない。そこには明確に、わたしに対する何らかの興味がある。どうやってわたしのことを知ったのか? そういうことです」
「娘から聞いたのだ」
「はい、それ以外にわたしのことを聞く機会などないでしょうから。では、何故ご息女はわたしの話を閣下にしたのでしょうか。ご息女が閣下にした質問はこうのはずです。『何故レオン王子との政略結婚を国から申し込まず、自分が直接王子と接しているのか? 何か事情があるのでは?』」
「よく知っておるな。確かに、最初にされた質問はそのようなものであった」
「その疑問を持つきっかけとなったのはわたしとの会話ですから、確かにわたしが完全に無関係とは言い切れません。しかし、そのような詳細を全て閣下に話すことはなかったはず。何故なら、彼女はあなたを敵だと思っていたから」
アイビーとレオンの子を欲しているのが国だとしても、その指示を直接アイビーに伝えたのは公爵だ。アイビーは公爵も国側の人間だと思っている。そんな公爵に、自分が疑問を持つに至った経緯を全て細かく伝えるなどということはまずあり得ない。
「もし彼女がわたしのことまであなたに伝えているのなら、彼女はあなたのことを敵ではないと確信したことになる」
「嬉しいことだな。愛しき娘に嫌われることほど、父親として悲しいことはない」
白々しい……。事の詳細をアイビーに伝えて敵意を取り除いたのは、他ならぬ公爵自身だろうに。
「どうやったらそんな確信を持つのか。それは、ご息女に出されている指示が彼女のことを想って出されている物だと知ったから」
「ククク……」
「カルズソーンは、戦力としてレオン王子の子を欲した。そのため、アイビー・フェリアラント公爵令嬢を政略結婚に使おうと考える。しかし、父親として娘の意に沿わない結婚などさせたくないあなたは、政略結婚ではなく恋愛結婚にしてしまえば良い、と考えた。レオン王子の容姿や性格を考えれば、しばらく身近に接すれば自然と惹かれるはず、と」
アイビーに公爵から指示が出されたのは、ヴォルスグラン行きの3日前だったという。あまりにも急だ。恐らく、公爵も慌てていたのだろう。急いでディルガドール学園にアイビーを転入させる手続きを行い、王たちを説得し、アイビーを送った。詳しい事情を説明する暇がなかったのも仕方がない。
「わたしに手紙を出したのは、釘を刺すためでしょう。ご息女と王子の恋を邪魔するな、と。しかしそれは誤解です。ご息女がどのように閣下に伝えているのかは分かりませんが、わたしに邪魔をする気など毛頭ありません。少々事情があり、彼女は王子のことをあまり好ましく思えなかったのです」
「ガッハッハッ! そう解釈するのか! お主、自己評価が低いな。しかし、ここまで見抜かれるか。恐ろしい頭脳だ」
ふむふむ、と何度か頷く公爵。明日だって演劇の練習があるのだから、早く寝たいのだが。納得したなら解放してくれないだろうか。
「護衛たちをたった1人で殲滅する実力、こちらの思惑を全て見抜く頭脳、礼儀も知っておるようだし、容姿も、まあ及第点といったところか。うむ、良かろう! アイビー!」
「はい、お父様」
木の陰からアイビーが出てくる。最初から隠れてこちらの様子を窺っているのには気が付いていた。うっかり護衛と一緒に拘束しかけたのは、言わないでおこう。
「認めよう。国のことはワシに任せておけ。この能力と、ティクライズという名前も伝えれば、陛下を説得するのは難しくないはずだ」
「ありがとうございます」
「早く孫の顔が見られることを願っているぞ! ガッハッハッハッ!」
「まあ、お父様ったら」
豪快に笑いながら去って行く公爵。放置か?
「クレイよ、娘のことを頼むぞ」
「え、ええ、出来る限りは?」
「では、また会おう!」
今度こそ去って行く公爵。いや、護衛たちも連れて行ってやれよ……。とりあえず拘束を解いて、自由に動くことが出来るようにした。あとは、まあ好きにしてくれ。
「いかがいたしますか、クレイ様。もう今日にでも夜を共にしましょうか」
「お前は……。一応聞いておくが、公爵が言っていた陛下の説得というのは?」
「はい。クレイ様の能力の高さを陛下にお伝えして、私のお相手をレオン様からクレイ様に変更していただこうかと。今日お呼び出ししたのは、お父様にクレイ様の能力の高さをお見せするためですわ」
やはりか。俺に釘を刺すためではなかった訳だ。しかし、本当にそれで良いのか?
「カルズソーンは戦力として能力の高い子を求めているんだろう? 俺の特性が子供に受け継がれるかは、かなり怪しいぞ」
俺は、ティクライズの突然変異のようなものだ。ティクライズとしての能力も、俺固有の能力も、あまり遺伝することを期待出来ない。カルズソーンの目的を達成するのは難しいと言わざるを得ない。
「以前お伝えしたと思いますが、私に与えられた指示は、数ある策の一つ。その中でも優先度が低い物です。考えてみてください。私の子が高い能力を発揮したとして、その子個人で前線状況が良くなることはありません。仮に私が10人くらい産んだとしても、更にその子、孫の世代まで続いていかなければ戦力としては期待出来ないのです」
子の全員が優れた能力を持つとは限らないしな。この計画自体が、期待度が著しく低いと言うことが出来るだろう。
「私とて、この計画が国を助けることに繋がるのであれば、嫌いな相手と添い遂げるくらいの覚悟は出来るつもりです。しかし、ほぼ確実に意味のない計画のためにそんなことはしたくないのです。そもそも自分の子を戦闘の道具のように扱うことにも抵抗がありますし……」
まあ、それは当たり前だろうな。嫌いな相手と結婚して、子を戦闘の道具として扱って、それに何の意味もありませんでした、などと言われては、逆に国を滅ぼしたくなるだろう。
「俺の実力が優れているなど、詐欺でしかないがな……」
「うーん、そうでしょうか。カルズソーンから見れば、クレイ様の実力は相当に高いもののはずですわ」
カルズソーンから見れば、か。確かに、3国はそれぞれ戦闘能力の基準が異なると言われている。
3国を回ったとある冒険家が記した本には、
アインミークにおける強さとは、いかに機械を上手く扱うことが出来るかである。
ヴォルスグランにおける強さとは、いかに魔法と武器を上手く扱うことが出来るかである。
カルズソーンにおける強さとは、いかに植物と親和することが出来るかである。
とある。
つまり、単純な個人戦闘能力として最も優れているのがヴォルスグランだ。それを機械や植物によって補っているのが他の2国ということになる。
植物という人間が自由に出来ない物を頼りにしているせいで、カルズソーン人はどうしても場所によって戦闘能力に差が出来る。そのせいで前線が安定していないとされている。
「それに、ヴォルスグランにおいても、クレイ様の実力は高いです。先ほどお父様も仰っていましたが、あなたは自己評価が低い。ご自身が優れていると思っている部分以外、何もかもが劣っていると思ってはいませんか?」
俺が優れているのは、頭脳面と気配遮断くらいのものだ。ディルガドールの入試の点にも表れているように、俺の実力は低い。まともに正面から戦って勝てる相手の方が少ないはず。
「クレイ様はよく仰っていますね。正面から戦っては誰にも勝てない、と。正面から戦うとは、どのような状態を指していますか? まさかあなたの魔法は卑怯だから、それを使っている時は正面から戦ってはいない、などと考えてはいませんよね?」
「いや……」
そんなことはない、と思っていたのだが、確かに魔法陣を使って不意を突いたりしている戦闘をまともな戦いと認めていない、ような気がする。
そんな無意味な基準を作るのは馬鹿らしいと、自分でも思う。が、無意識にそう思っていた、のだろう。恐らく。
それはきっと、昔から負け続けてきたから。自分は弱いのだと、心の底から思い込んでいた。
「あなた様は強い。お父様の護衛が何も出来ずに拘束されてしまったくらいなのですから。分かっていますか? 公爵が、他国に連れてきた護衛、ですわ。いくら不意を突いたからといって、そう簡単に負けてしまうほど弱くはないのです。ましてや、この周辺には植物も多いのですから」
そう、か。俺は、弱くはない、のか。思えば、1学期最後の対抗戦、俺はハイラスと1対1で戦っていた。結局負けはしたが、ハイラスは学園トップクラスの強者だ。そんな相手としばらく戦っていられる俺が、弱い訳がなかった。
「お分かりいただけましたか?」
「ああ、ありがとう。目が覚めた気分だ」
「では、そのお礼として今夜は……」
「それは別の話だろう」
「むう、駄目ですか……。やはり私が正妻とは認めていただけませんか?」
「そういう訳ではないがな……」
そもそも学生の身で、正妻だの愛人だの子供だの考えられる訳がない。アイビーだから駄目とか、誰なら良いとかではなく、結婚などまだ考えていないというだけのことだ。
「あの、最低でも子作りはしていただかないと困りますからね? 国に対する建前として、計画の遂行を目指している、というポーズは必要ですから」
「それなぁ。そもそも何故そこまで俺にこだわるのかもいまいち分からないんだが」
「クレイ様には隠し事はしないと宣言しましたから、正直に言います。自由に対するあなた様の答え、考え方が私と完璧に一致していました。ここまで自分と同じ考えの方が存在するのかと、感動すら覚えたほどです。ですから、あの時から私は既に、あなた様に対してかなりの好感を持っていたんですよ」
自由とは、という問いに対して俺は、自己の証明、と答えた。自由でなければ生きている意味がない、誰かの命令で生かされている間は、自分の人生を生きていない。
「あの時は特に、レオン様の答えに絶望したすぐでしたから。無理を言って寮の庭のお世話をやらせていただいていたのも、少しでもストレスを発散しなければ頭がおかしくなりそうだったからなのです」
歌など口ずさみながら楽しそうに庭の世話をしていたが、あれは何とか気持ちを奮い立たせようとしていたのか。それを見られて恥ずかしそうにしていたのも、自分の精神状態があまり良くないところを人に見られたくなかったのだろうな。
「あなた様のお陰で、私は自分の人生を取り戻すことが出来ました。感謝しているんですよ、これでも。利用するようなことをしてしまったので、説得力がないかもしれませんが……」
「いや、構わないがな。面倒ではあったが、この程度の面倒で救うことが出来たなら、それは喜ばしいことだ」
「あら、身内認定大作戦、成功ですか?」
「……どうだろうな」
アイビーが俺にこだわる理由も分かった。だからといって、いきなり夜を共にしましょう、とは流石に言えない。今日はもう眠いし、さっさと帰ることにしよう。
「ふふ、否定しないということは、成功ということですわね。なら、最低でも愛人の席はいただけると考えても良いでしょうか」
「帰るぞ。俺はもう眠いんだ。寝ているところを無理矢理起こされたからな」
「はい、お供しますわ」
「お供するなって言ってんだよ!」




