第109話 我がままなお姫様
涙を拭う。自分の弱い部分を人に見せたくはない。
「あら、クレイ。わたしを探していたの? もう話は終わったのかしら」
声が震えた。恐らく涙も見られただろう。でも、素直に認めるなんて出来なくて、誤魔化しが口をついて出る。
「ちょっと風が目に沁みちゃってね。さっき急に強い風が吹いたのよ。ちょっと都市の風景を見てみたかったんだけれど、失敗したわね」
ぺらぺらと、自分でも無理があると思う言い訳を重ねる。口を止めることが出来ない。一度でも黙ってしまったら、その瞬間に耐えられなくなりそうで。
「こんなことならクレイたちの話を聞いていれば良かったわ。会長対策の話をしていたんでしょう? どうかしら。何か有効な戦術は思いついた?」
でも、分かっていた。きっとクレイにはこんな言い訳は全く意味がなくて、
「陛下と話したんだろう? 納得いく回答は得られなかったか」
ほら、やっぱり。全部分かっているんだ。
「……もう。誤魔化しているんだから、そこは見逃してよ。何でも聞けば良いってものじゃないわよ?」
「知っている。だが、今のアイリスは話を聞いた方が良いと思ったから聞いているんだ」
「何でよ。わたしにだって隠しておきたいことくらいあるわ」
「そのまま放っておいたらどこかへ消えてしまいそうな様子だったからな。とても見て見ぬふりが出来る状態には思えなかった」
班を抜けるべきか悩んでいたのが、表面に現れてしまっていたらしい。ここまで言い当てられてしまうと、わたしが分かりやすいだけなのではないかと思えてくる。
全てばれていると分かっていて、それでも最初に飛び出したのは誤魔化しだった。
「何よその曖昧な根拠は。残念、わたしは全然聞いて欲しいなんて思ってません。ほら、部屋に戻りましょう。もうすぐクルたちも帰ってくるんじゃない?」
「そうか。ではクルが帰ってきたら、今の出来事について話してみるか。本当にアイリスが聞いて欲しくないと思っているなら、クルになら分かるだろう」
「……ズルいわよ、クルを使うなんて」
ここまで説得されたのだから。クルを使って脅されたから。今ならクレイ以外は誰にも聞かれずにすむから。
そうやっていくつもの大義名分を用意して、だからここでクレイに相談するのは仕方がないことなんだと言い訳して、やっと本当に言いたいことが口から出る。
自分でも馬鹿だなあと思う。でも、昔から虚勢を張ってきたから、なかなか素直に人に相談するということが出来ない。
それを分かっているのか偶然なのか、こうしてわたしから相談を引き出してくれるクレイには感謝しかない。
全部話した。
本当は良くないのかもしれない。王への不信感を湧き上がらせるような話を、1人とはいえ国民相手にするのは。
でも、話さずにはいられなかった。
なかなか素直に相談も出来ないくせに、自分の中に不安をしまい込むことも出来ないなんて。わたしは昔から弱いままで、どこまでも面倒くさい奴だ。
別に解決策を考えて欲しい訳ではなかった。ただ吐き出せば、少しは楽になるかと思って、お父様との会話内容も、自分が感じたことも、余さず素直に吐き出した。
でも、クレイならもしかしたら、という期待がないと言ったら嘘になる。いつの間にか、依存に近いほどにクレイを頼りにしていることに気が付いた。
「それは駄目なことなのか?」
「え?」
「陛下が信用し切れなくなったのだろう? だから今まで通り陛下に言われるがままに学園で過ごすことに躊躇いが生まれた。それで?」
「だから、そうしたらわたしが学園で上を目指す理由がなくなってしまうのよ。そんな状態ではあなたたちと一緒にいられない」
「それが分からんな」
分かってもらえないことに怒りが湧く。自分から相談しておいて、相手に分かってもらえなかったら怒りだすなど理不尽にもほどがある。それは理解していたけれど、それでもクレイなら受け止めてくれるんじゃないかって勝手に期待していたから。だから、勝手に裏切られた気分になって、思わず語気が強くなる。
「どうして分からないの!? あなたたちは皆、それぞれの目的のために学園の頂点を目指して努力しているでしょう!? それなのに、わたしみたいな目的もはっきりしない奴がいたら足手まといだって言ってるのよ!!」
「一緒にいたい。それでは駄目なのか?」
「――――っ!」
「フォンはただ知的好奇心を満たすために学園に通っている。クルはお前について来ているだけだ。カレンはただ強くなりたいと思っている。ティールだって別に最優秀班に選ばれずとも、それなりの仕事に就ければ目的は達するな。で? 俺は全員を班から追い出すべきだと?」
「そ、れは……」
「勘違いするなよ。目的が不要だと言っている訳ではない。確かに具体的な目的があった方が、それに向かって努力出来る。より上を目指すためには、目的は持っていた方が良い」
「そ、そうよね。でも……」
「そう。でも、必須ではない。カレンが分かりやすい例だな。あいつは本当にただ強い騎士になりたいだけだ。騎士道を重んじてはいるが、騎士になってどうしたいとか、名声を得たいとか、そんな具体的な目的はない。それでも一切の手抜きはない。常に最高の努力をし続ける、ある意味狂人に片足突っ込んでいるような奴だ」
確かに、カレンから将来の展望を聞いたことはない。それでもカレンは班に必要な人材だと断言出来る。
それは、わたしだって同じこと。
明らかに冷静さを欠いていた。それをやっと自覚出来た。
「やっと普段通りの思考が戻ってきたか? 落ち着けよ。学園に通うという行為自体が悪である可能性は限りなくゼロに近いのだから」
当たり前だ。学園は所詮ただの教育機関。そこで何を学び、どう成長するかなど自分次第だ。誰かの意思で入学したとしても、そこで何をするのかは自分で選べるのだから。
「さて、落ち着いたようだから、やる気が出る話をしてやろう。陛下は自分の子供たちを学園に入れて、何かを企んでいる様子だ。国が主導する研究と合わせて考えれば、まあ強くしたいのだろうな」
冷静さを欠いたせいで気づけなかったが、確かに既にお父様が何をやらせたいのかは見えている。わたしたちを強くしたい。それは明白だ。
では、わたしたちを強くして何がしたいのだろう。わたしたちだけでなく、どうやら人間を強くしたいようだけれど。
「しかし、学園が最優秀班に与える権利はあくまで、好きな進路を選ぶという物だ。そこに陛下の思惑は関係ない」
「……そうかしら。ディルガドール学園は国が深く関わっているわ。もしかしたら、その権利にも口出ししてくるかも」
そうだ。思えば、いくら貴族たちの声が無視出来ないほどに大きくなったからといって、お兄様を前線送りにするというのは違和感がある。
もしかして、お父様の目的というのは、わたしたちを強くして前線で戦わせることなんじゃ……?
「いや、恐らくそれはないな」
「何故そう言い切れるの? 国が深く関わっているんだから」
「だからだよ。国が関わっているからこその、自由進路の権利だ。その権利は国が、王が認めた物なんだよ。王自身が認めているのに、そこに王が口を出せば、それは貴族たちが攻撃する恰好の的になる。言ったことすら守れない王など、国民からの信用もがた落ちだぞ。特に、そんな事実をアイリスの名前を使って広めたりすれば、な」
確かにそうだ。ただでさえ反王家派閥の貴族はそれなりの数いるのに、その上国民まで敵に回ってはいよいよ王家は終わりだ。
そんなことをすればわたしも碌な目には遭わないだろうが、逆に言えばお父様は、そんなことをする決断をさせるような酷いことは出来ないということだ。
だったら、わたしが最優秀班を勝ち取りさえすれば……!
「やる気が出てきただろ?」
「ええ! むしろ今までよりもはっきりとした目的が出来たくらいだわ!」
最優秀班を勝ち取り、自由進路の権利を得ることが出来れば、わたしはお父様とは関係なく好きなことが出来る。
戦場に送ろうとしているとか、政略結婚に使おうとしているとか、もしかしたらお父様なりのわたしの使い方があるのかもしれないけれど、それらを全て無視出来る。
その状態になって初めて、お父様とちゃんと向き合って話が出来る。今度こそ、お父様の真意を質問出来るはずだ。
その後のことは……その時になってから考えるということにしよう。お父様次第ってことで。それくらい自分勝手な方が、わたしらしくて良い。
「何だか清々しい気分だわ。世界が明るく見えるくらい」
「それは気のせいだな。むしろだんだん暗くなってきているぞ」
「分かってるわよ! 水差すんじゃないわよ!!」
「そろそろ晩飯じゃないか? あまり戻りが遅くなるとフルーム先輩も心配するだろう。部屋に戻るぞ」
屋上から建物内に戻る扉へ向けて振り返ったクレイが、背中越しにこちらを見る。
「そういえば、班員の中に不要な人材がいるようなら、追い出して入れ替えようと思っているんだが、誰か心当たりはあるか?」
そんなの、わざわざ確認しなくても分かっているだろうに。むしろここでクレイの予想を裏切った答えを返したらどうなるのか、興味があるわね。
でも、流石にそんなことはしない。はっきりと、笑って告げる。
「全員必要だから、考えなくて良いわ!」




