第106話 己の意思で
砦に泊まった翌日。何度かモンスターを相手に新しいイメージで魔法を使ってみたけれど、結局完成はしなかった。だが、無意味ではない。ある程度の目処は立った。今はこれで良しとしておこう。
「じゃあ帰るね」
「今回は早いな。もう少し手伝ってくれても良いんだぜ?」
「いやー、やっぱシャフィがいないと大変だし。まあまた気が向いたら来るよ」
「おう、待ってるぜ」
「ご苦労様。第三部隊はよくやっていると陛下にもお伝えしておきます」
「はっ! ありがたき幸せ! 姫様もお気をつけてお帰り下さい!」
コルディン隊長に見送られ、リレポステへ向けて歩き出した。
リレポステへの道中、歩きながら、ふと頭に浮かんだ雑談を振ってみる。
「残念だったわね、お兄様がいなくて」
「ねー。まあわざわざ強さを再確認しなくても覚えてはいるから、別に良いんだけどさ」
前線でほぼ丸1日行動したが、お兄様と会うことは出来なかった。西側、カルズソーンとの国境方面の状況があまり良くないらしく、そちらの応援に行っているらしい。
わたしも久しぶりにお兄様に会えるかと期待していた。残念だ。
「本当に会えなくても良かったの?」
「もう、まだそんなこと言ってるの? だからそういうんじゃないんだってば。そもそも仮にわたしが王子のことが好きだったとして、恋人になんかなれる訳ないんだからさぁ」
「そうかしら。相思相愛なら、意外と叶うことがあるかもしれないわよ? 少なくともわたしは反対しないし」
「本気で言ってる? 第一王子が貴族ですらない女と恋人になんかなったら、国が混乱するよ」
「だからこそ燃えるものなんじゃないかしら!」
「はぁ……恋物語の読みすぎだね」
どうやら本当にお兄様のことが好きな訳ではないようだ。面白くないわね。
「逆にアイリスちゃんはそういうのないの? クレイ君とか」
「んー、そうねぇ。クレイは無しではないわねー。他に候補がいないとも言うけれど」
「そうなんだ。貴族の子息とかは良い人いないの?」
言われて、パーティなどで婚約者候補として会う貴族の子息を思い浮かべる。顔はクレイより整った奴が多い。クレイも整った方だけれど、貴族は見た目が良い奴ばかりが集まって婚姻していくから、子も見た目が良くなりやすい。貴族らしく気品ある立ち居振る舞いが出来るまともな奴もそれなりにいる。中には女だからって見下した雰囲気を隠しもせず出しているクズもいるけれど。
でも、あまり惹かれないというのが正直なところだ。どいつもこいつも頼りなさそうなひょろっとした優男で、わたしの蹴りでも折れてしまいそうなくらい弱々しく見えてしまう。昔から強い兄弟たちに囲まれていたせいかもしれない。それになにより、
「あいつら、わたしを上から見下ろしてくるのよ……!」
「いや、そりゃそうでしょ。身長差考えなよ」
「そういう物理的なのだけじゃなくて。何か敬意を感じないというか、チビのガキンチョだと思われてそうというか。貴族は自分が偉いと思ってるからね。下に見ることが出来る相手には大きく出るものなのよ。大体はちゃんと隠してるけれど……まあ雰囲気は出るわよね」
「あー、そういう感じかー。貴族って割と背高い人多いもんね。そうなると平民の方が付き合いやすいってなるんだねー」
「そうそう、そんな感じ。平民は絶対わたしを下に見ないし。で、そんな平民の中で対等な立場で交流がある男ってクレイくらいしかいないのよ」
何だかいつの間にか気安く話せる仲になっているわね。波長が合うのかしら。この人と波長が合っても、あまり嬉しくない気もするけれど。
そんな他愛もない話をしながら歩を進め、リレポステまで半分程度来た辺り。前方から、誰かが高速で接近してくるのが見えた。
「あれは……クル?」
クルが見知らぬ男を脇に抱えて、物凄い勢いで走ってくる。クレイはどうしたのかしら。一緒にトレーニングしているはずだけれど。
「何か様子がおかしくない?」
「ええ、きっと何かあったんだわ。クルー! どうしたのー?」
大声で呼びかけてみるが、返事がない。そのまま更に接近してきて、20メートルくらい離れた場所で一度止まった。そこで抱えていた男を下ろして、こちらに向かってグッと足に力を込めて、
次の瞬間、目の前で拳を打ち出している。
ゆっくりと、クルの拳が迫る。体が動かない。意識だけが加速しているように、世界が遅く動いている。
目の前の拳に、尋常でない力が込められているのが分かる。周囲の空間すら歪んでいるかのように見えるその一撃は、わたしの頭を狙っている。当たれば確実に命はない。
自分の頭が弾け飛ぶ。その姿を明確に幻視して……
空から落ちてきたクレイが、その勢いでクルを蹴り飛ばす。
「く、クレイ……?」
「間に合ったか……無事だな?」
命の危機から脱したことを理解した途端、心臓がうるさいくらいに鼓動を始める。さっきまで止まっていたのではないかというくらい、バクバクと暴れ回る心臓に、自分が生きていることをやっと実感した。
「え、ええ。一体何が……?」
「詳しく説明している時間はない。あの男、例の組織の研究者だ」
例の組織って、まさかクルが育てられたあの組織のこと!? 何故そんな奴がこんな場所にいるのよ!
そう驚いている間に、クレイに蹴り飛ばされたクルが起き上がってくる。凄い勢いで飛んできたクレイの蹴りが全く応えていない。衝撃を逃がしたのだろう。普段なら、流石はクルだと称賛するところだけれど……。
「よく分からないけど、操られてるってこと? ならあたしが捕まえるから、時間稼いで」
「無理よ。あの状態のクルに魔法は効かない」
正確には、ただの殴打で魔法を打ち消されてしまうから、ほとんど意味がない。殺す気で撃ち抜くならともかく、拘束するなど不可能に近い。
どうすれば……。
「俺に任せろ。2人はあの男が逃げないように気を配っていてくれ」
「クレイ、無茶よ! 本気のクルはもしかしたらレオンより強いかもしれないのよ!?」
クレイを止めようと声を上げるが、もう覚悟を決めてしまったのか返事をくれない。普通に考えれば、クレイがクルを止めるなど不可能だ。実力に差があり過ぎる。
でも、クレイが何の勝算もなくこんなことを言い出すとは考えにくい。きっと既に打開策があるんだ。
だったら、信じる。
「……クルのこと、お願い」
「ああ」
サラフ先輩の強化を受けたハイラスに空から運んでもらい、上空からそのまま投げ落としてもらうことで、何とか間に合った。
俺自身にも強化をしてもらっていたお陰で耐えられたが、強化がなかったらクルを蹴った瞬間に足の骨が折れていただろう。
それだけの一撃を受けて無傷。分かってはいたが、クルを無力化して救出するのは不可能だ。
クルが高速で間合いを詰めてくる。
「解析」
サラフ先輩の強化と、解析による先読み。2つを合わせてもクルを上回ることは出来ないが、動きに迷いがある今のクルなら、ギリギリ回避が間に合う。
打ち出される拳を避ける。
「クル、聞こえているか?」
薙ぎ払われる腕を、頭を下げて回避。蹴りが飛んでくる前に腰に飛び付き動きを封じようとするが、力任せに振り回された腕が頭に当たり引き剥がされる。それだけで額の皮膚が裂けたのか、血が垂れた。
「誰かに自分の意思で従うのは良い。だが、無理矢理従わされるのは駄目だ。そう思わないか?」
試しに魔法陣から炎弾を撃ち込むが、軽く手を払うだけで掻き消された。迫るクルに何発も魔法を撃ち込んでみても、その全てを虫でも払うかのように掻き消され、足止めの役目すら果たせない。
何度も繰り出される拳を回避する。避けきれずに掠めた部分が裂け、血が流れる。
「人は本来自由なものだ。個人の意思を奪う権利など誰にもありはしない」
胴を薙ぐように蹴りが来る。跳び退いて回避しようとしたら、まるで伸びるように足が追尾してきた。読めているのに避けられない。掠めた蹴りに吹き飛ばされる。
慌てて起き上がろうとしたところへ、既に拳が打ち込まれている。回避は不可能。
胴を正面から打ち抜く拳。骨が折れる嫌な音が響き渡る。
その腕を全力で掴む。折れている左腕も、今折れたあばらも激痛を発している。だが、そんなことはどうでも良い。
片腕を掴んで封じ、もう片腕に魔法陣から鎖を何重にも巻き付けて縛る。こんなものは僅かな時間稼ぎにしかならない。だが、それで良い。
「聞け! お前への最優先命令権を持つのは誰だ! クデサードとか言う狂人か!? 違う! 俺か、アイリスか! 違うっ!!」
暴れるクルを無理矢理抑え込んで、その奥にいるはずの心に呼びかける。
「お前が本気なら俺ごときとっくに殺されている! 何故殺せていない!? 考えろ! 何故お前の体は本気が出せていないんだ!」
本当にクデサード・レクタサーチが最優先命令権を持っているのなら、その命令があった時点で全力で俺やアイリスを殺しに来ていなければならない。
たとえどれだけクル自身が拒否しようが関係ない。アイリスが時間をかけて封じ込めたのも意味がない。クルの意思を無視して命令に従わせるからこその最優先命令権だ。そうなるようにクデサードたち組織がクルを作ったはずなんだ。
だが、クルは抵抗出来ている。ギリギリで殺さないように手加減が出来ている。
思えば、何故今まで破壊の技が使えなかったのか、というのも同じなのだろう。
「所詮奴が持つ命令権など、後から無理矢理植え付けた物に過ぎない! そんなものは最優先でも何でもない! 思い出せ! お前が本来持っている意思を!」
つまり、クル自身がやりたくないことは、命令でも強制し切れない。
「自分への命令権を持っているのは、自分だけだろうがっ!!」
自分への命令権を持っているのは自分だけ? だったらどうしてわたしはずっと、誰かの命令に従い続けてきたのだろう。
アイリス様のお陰で日常生活を送れるようになってからも、自分の意思で戦うことは出来なくて、ずっと命令を受け続けてきた。
それは何故?
戦闘に意識が向かう瞬間、まるで体を動かす全ての糸がプツリと切れてしまったかのように、ピクリとも動けなくなる。お前の体はお前の物ではないのだと言われているようで、全身が凍り付いているのかと思うほどに冷たく感じる。
それは何故?
だって、自分の意思で戦ったら、その結果の責任を負わなくてはいけないから。
……ああ、そうか。
わたしは、自分の力の責任を自分で取りたくなかっただけの臆病者なのか。自分の行動の責任くらい自分で取ると言っていたのに。そんなのは言葉だけで、本当は自分の力を一番恐れていたのは自分なんだ。
少し力を込めれば、人間など軽々と破壊してしまう。そんな力を自分の責任で振るうのが怖くて、ずっと逃げていただけ。
命令されるだけなのは楽で良い。何も考えず、ただ従っていれば結果はついてくる。例えその結果が良いものではなかったとしても、その責は自分にはない。
これは、物心ついた頃からずっと命令され続けてきたわたしの弱さ。
でも、いつまでもそれではいけない。ただ命令に従うだけでは、果たせない誓いがある。
自己命令、大切な人たちを脅かす敵を排除せよ
自己命令、敬愛する仲間を守り抜け!
自己命令、親愛なる己が主の支えと成れ!!
あの日。自分の心を取り戻し、新たなる人生が始まったあの日、誓った。この人の役に立つ人間になろう。立派に生きて、主が誇れる従者になろう。
今こそ、己が誓いを果たす時!
腕を縛る鎖を引き千切り、ボロボロになりながらわたしを助けてくれた大切な人を抱きしめる。
「ありがとうございます」
「起きたか、寝坊助が」
「申し訳ありません。少々寝坊しました。すぐに遅れを取り戻します」
そっとクレイさんを地面に座らせる。体中傷だらけだ。この傷は全てわたしが付けたものだ。申し訳なさに今すぐ処置をしたい衝動に駆られるが、我慢して振り返る。
「ば、馬鹿なっ!? 96号、何をしているのです! 早くその男とお姫様を殺しなさい!」
「拒否します。そして、お覚悟を」
「何故!? わたしの研究が誤っていたとでもいうのですか!? あり得ない! あり得ないあり得ないあり得ないっ!!」
錯乱して頭を掻きむしる研究者に向かって、構える。20メートルもの距離を一瞬で貫いて、
「喪心・破魂撃」
制御し切った拳の一撃が、その体を破壊することなく意識だけを奪い去った。
「わたしを強く育ててくれたこと。その一点に関しては、感謝しています」




