紅をさす
─うっ気まずい
オクダタエコはコウサカジンと向かいあったままだ。
ただ汗が吹き出して、少しシャツが透けてきている。脇汗が凄いことになっている。
─恥ずかしい
でもそれ以上に、コウサカジンの好意にずっと気づかずにいた自分の馬鹿さ加減に呆れと、申し訳なさが入り交じった気持ちでいた
─でも本当だろうか?
─一人の人間がずっとポケ顔でいられるのだろうか?
ほとんどあのゆとりゆとりした顔しかしていないコウサカジンは、今もポケ顔かましている
─やっぱりこの顔が普通よね?
揺るぎ揺らいで心が落ち着かない。
でも。顔は置いておこう。
わたしは心静かに自分の気持ちに正直にあろうとした。
でもね。
やっぱりこう面と向かい合っていると、目の前の男に感情が引っ張られてどうにも決断しようもない。
ただその前に、もう一度相手の気持ちを確かめよう
「ジンさん。もう一度確かめたいのですけど、宜しいでしょうか」
「はい。何でも聞いてください」
「ジンさん。わたし先程見苦しい姿を晒してしまいましたし、今も突飛ばしてしまいました。
それでもわたしを好きで……お嫁さんにしたい気持ちは変わらないのですか?」
もし嫌われたら諦めはつく
「変わりません。いえむしろもっと好きになりました。今もこれからもボクの心はタエコさんと共に人生を歩んで行きたいと思っています」
─ふうー
ここまで聞いたらわたしも決断を下さなければね。
コウサカジンと共に歩くのか、それとも違えるのか、未だ決断が付かない。
もしわたしがまだ若かったならば、直ぐに飛びついたかもしれない。
でもわたしはもう若くはない。
目の前の将来有望な男の人生を、わたしの決断で大きく左右しかねない。
わたしはこの若き男を幸せに出来るのだろうか?
わたしの気持ちはもう分かっている
─大好きだよ
だからこそこのジンさんの将来を大切にしたいのだ。
どう決断するにせよ……早くわたしから解放させてあげないと……
「ジンさん。一時間ほどわたしに時間を下さいませんか?それまでに頭を整理したいのです。
お返事はその後必ず致します」
「はい。分かりました。
タエコさんの良いようにします」
「ありがとうございます。
駅までの間にコンビニがあります。
近くにはカフェも何軒かあります。
そこで時間を時間を過ごしてください。
今18:30ですから19:30頃わたしからジンさんの携帯にご連絡差し上げます。
もしかしたら少し遅れるかもしれませんが、必ず電話します。宜しいでしょうか?」
「はい。分かりました。
良い返事を期待しています」
それからタエコはジンをアパートから送りだした。
そしてカギをかけるとお風呂場へ向かった。
シャワーを浴びながら、この纏わりつく汗と共に余計な感情を洗い流した。
10分ほどシャワーを浴び、タエコの気持ちは固まった。
─自分に正直にあろう
タエコはシャワーを止めると裸のまま居間へ向かった
☆☆
ジンはタエコのアパートから10分ほど離れたカフェにいた。ケーキを頼んだカフェとは別の場所だ。
もうすぐ決断が下されるだろう。
でももし断られても諦めるつもりはない。
また日を改めて突撃するつもりだ。
─初志貫徹
と言えば聞こえはよいが、惚れちまったものは仕方がない。
どうこう理屈じゃ収まらないのだ。
今はコーヒーの2杯目を啜っている。
ノートパソコンを開いて『いかにも仕事してますよ』の風を装ってはいるがその実、画面の時計表示しか見ていない。
もうすぐ一時間が経つ。
スーツの胸ポケットからスマホを取り出す。
その瞬間マナーモードのブルブルが鳴り、直ぐに飛び付きたいところを、ちょっとカッコ付けて五数えてからでる
「はい。ジンです」
「ジンさん。準備ができました。
遅くなって申し訳ありません。
今どの辺りですか?」
「タエコさんのアパートから10分ほどのカフェです。
今から会計を済ませて直ぐ伺いますので、15分以内には着くと思います」
「そうですか。
ではアパートの前に来たらお手数ですけど、またお電話いただけますか?」
「はい。そうします」
ジンは会計を済ませると、いそいそと道を歩いた。
なんだかドキドキする。
タエコさんは魅力的だ。
リサさんが言っていた
『他人に垣根を拵えている』
それは本当だろう。
でも少しづつ垣根の向こう側を垣間見せてくれた。
まだまだ奥が深そうだ。
─でも何故だろう?
─何故あんなにタエコさんに惹かれるのだろう?
好きとか嫌いとかそういう次元を通り越しているような気がする。
─ずっといるのが当たり前のような……。
─側にいるのが当たり前のような……。
なんとも表現し難い心持ちだ。
そして思考の沼地を渡っている間に、アパートの前に着いた。約束通り電話をする
「ジンですが?今アパートの前です」
「それではジンさん。カギを開けときますから、どうぞ中にお入りください。
お待ちしております」
言われた通り階段を上がり、二階のタエコのアパートのドアを開ける。
部屋に入りドアのカギをかける。
居間にタエコさんの気配がする。
障子戸が閉まっている
「ジンです。部屋に上がらせていただきました」
「どうぞ。扉をお開けください」
ジンは居間との境の障子戸を開けた。
!?
炬燵は端に片付けられ、居間は広くなっていた。
そこに着物を着て正座でジンを見上げるタエコの姿があった。
定番の黒縁メガネは外してあり、丁寧に化粧をしていた。
唇に紅を点し、目元は柔らかい色合いのアイシャドウをしていた。
あまりの美しさに言葉を失った。
タエコは立ち上がると、ジンから外套と上着を受け取り、ハンガーに掛ける。
そして座り直し、ジンに着座を促す。
ジンはタエコの目の前。用意された座布団に正座する。
ジンが落ち着いたのを確認すると、タエコはお辞儀をして居住まいを正した。
それから背筋をビシッと伸ばしジンを見つめて言葉を発した
「それではジンさん。
ジンさんのお誘いにお返事いたします」
ジンはゴクリと唾をのんだ……。




