イレーネの青春(3)
『貴女は馬鹿……?』
そのシレーネ様の言葉に思わず「はい」と返事をしそうになった。
わたしの両親は可愛がってくれたけど、わたしの能力を手放しでは褒めてくれなかった。危なっかしいと感じていたと思う。
侍女見習いをしていた頃には、同僚から「あの娘は頭が弱いから……」そう陰口を叩かれていた。わたしも自覚していたから、あまり気落ちはしなかったけどいい気分はしない。
とにかく何が言いたいのかといえば『馬鹿』と断言されても、仕方ないということ……。
「イレーネさん。貴女は……」
シレーネ様が呆れたように、こめかみを押さえた
「馬鹿と言われて納得するの、止めていただける?
別に貴女の頭の出来を揶揄したのではないの。一族の嫁を選ぶのに馬鹿な女を迎える訳はないでしょう?」
シレーネ様は他人相手なら猫を被りまくるが、身内……特にマリアンネ公爵夫人との掛け合いは喧嘩のように口さがない。
いまいち理解が出来ず言葉が出ないわたしに、シレーネ様は付け加えた
「もう!単刀直入にいいますね。
カイルのことです!
あんなに分かりやすい反応に気付かないのは、貴女だけですよ。わたしの兄の伯爵夫妻もあの朴念仁の弟が挙動不審に顔を赤らめて、ぎこちなく貴女に接するのを見て驚いたのよ」
「どういうことでしょうか?」
確かにカイル卿の顔が終始赤かったのは分かるけど、それは行き遅れのわたしを押し付けられた怒りなのでは?
ここでもシレーネ様は『信じられない』とも言いたげにまたこめかみを押さえ
「被服関係にはあれだけ察しがいいのに、こと、恋愛となるとここまで鈍感とは……」
──それは認めるけど……
そもそも恋愛なんてしたことないし、婚約者もいなかったし、異性と仕事以外で話したのも殆んどないし……。
もちろん以前は良く知らない男から誘われたりしたけど、それはわたしに好意を持って声を掛けたのではなくて、ただの遊びだと理解している。
それこそ世間知らずな馬鹿なわたしは、誘われたからホイホイ付いて行って同僚とかに連れ戻されて事なきを得たけど、もし誰も助けに来なかったら傷物になっていたかもしれないと今なら分かるな……。
「もう……貴女って人は……まあ、恋愛経験豊富な輩よりは良いですけど……。
先ず。ハッキリ言います。
貴女を伯爵家のお茶会に招いたのは、秘蔵のドレスで勉強して貰うのはついでで、本来の目的はカイルを紹介したかったからです」
──お見合いみたいなもの?
それで二人きりで屋敷やお庭を案内してくれたのね。
お互い初顔合わせで縁談まで用意してくれたのは正直有難い。中には婚約式も挙げず、結婚式で初めて相手の顔を見たなんて笑い話しもあるくらいだもの。
でも残念ながら、わたしはカイル様のお眼鏡には叶わなかったようだけど……。カイル様も家と家との縁談には、不本意でも口を挟めなかったのね
「顔合わせの結果は上々だったわ。
何せ、カイルは貴女と別れて直ぐに縁談の話を進めるように兄夫婦に打診したくらいですから?」
「………」
──カイル様がわたしとの縁談を望んだの?
あんなに気が進まなそうなのに?
「イレーネ。
カイルは貴女に一目惚れしたそうよ。
誰にも渡したくないそうです。
直ぐにでも式を挙げたいと駄々を捏ねましたが、公爵家の侍女が、それも押しも押されぬ次期王妃となるエリザベートの侍女になる貴女を、ホイホイと軽く渡すわけにはいかないと言って聞かせたわ」
──一目惚れ?
わたしに?カイル様が?えっ?
「貴女も勘違いが甚だしいですよ。
貴女を望んだのはカイルなの。
あれでもモテるのよ。格好いいし、王宮騎士のエリートだし縁談も多かったの。まあわたしが公爵の妃ってのもあって縁を結びたい輩も多かったのも事実ですが、それでも相手がカイルならばと先方の御令嬢は乗り気な方が多かったの。
でも全て断っていた。
『好きでも無い女と暮らしても息が詰まる。それなら独身のまま気楽に暮らしたい』それが口ぐせのカイルが貴女を望んだのです。
それなら、貴女も断る理由はもう無いわよね」
──もちろん……無い
とても素敵な方だと思っていた。だからこそ、嫌っているわたしが傍に寄り添うのは勿体無いと諦めていた。
でもわたしを好いてくれているのなら……
「わたしもカイル様に好意を抱いておりました。
だからこそ素敵な殿方の迷惑になるのが心苦しかったのです。でも、もしカイル様がわたしを望まれて要るのでしたら、わたしに断る選択肢はありません。
喜んでこの縁談をお受け致します」
☆
縁談はトントン拍子に進み、一月も掛からず婚約式を挙げた。
お互い跡取りでは無いので、手続きは早かった。
カイル様は男爵位を賜った。
婚姻に至れば、テイラム公爵家より子爵の地位が授与されるという。過分な配慮で戸惑っていたら、エリザベート様は
「イレーネ。忘れたのかしら?
王妃の侍女となるには子爵以上の爵位が必要なの。
独身のままなら子爵令嬢として申し分ないけど、嫁いだ男爵程度ではわたしの侍女は勤まらないの。
カイル卿を馬鹿にしているのでは無くて、あくまで制度上の決まり事。
貴女を傍に置き続けるには、貴女の身分を引き上げるしかないでしょう?つまりはそういう事よ」
だからわたしとの婚姻が条件での子爵位授与だったのね。テイラム公爵には手元にまだ多くの主の居ない爵位が残っているから、それを手放して公爵が身軽になるだけだから気にするなと気を使われた。
それからわたしとカイル卿はお互いの休日が被る度に、デートを重ねた。初な恋愛音痴のわたしの為に、王都を案内がてらエスコートしてくれた。
実は恋愛音痴はカイル卿も一緒で、お互い手探りで愛を育みあった。
エリザベート様が白い妖精となった舞踏会では、初めてお付きの侍女ではなくて、カイル男爵の婚約者として付き添った。でも……エリザベート様の着付けは手伝ったけど。
そして六月に結婚式を挙げる筈だった。
けどあ舞踏会後のエリザベート様への襲撃で全てが変わった。
わたしは頭部に重大な損傷を負ったエリザベート様の看病の為に、一年近い日々を捧げた。
勿論、カイル様との結婚式は延期となり、会うことも出来なくなった。
エリザベート様が日々回復される中、わたしの心に深い傷が刻まれていった。
あの日……メリッサにエリザベート様を託されのに、わたしはエリザベート様を一人にしてしまった。
そして襲撃された。
もしあの時……せめてメリッサ達が戻ってくるまでエリザベート様の傍に付いていたら、あんな事件には巻き込まれなかっただろう。
ピクリとも動かないエリザベート様に覆い被さり、襲撃者から身を挺して公女様を守ったメリッサとジェシカ。
血だらけの二人の姿が目に焼き付いて離れない。
エリザベート様を一人にしてしまったわたし。
わたしはエリザベート様の侍女失格だ
「わたし……だめだなぁ」
エリザベート様が回復して、社交界へ復帰した
──もう……潮時かな……
エリザベート様襲撃の原因の一端を担ったわたしが、何時までもエリザベート様の傍にいるわけにはいかない。
カイル様との結婚も白紙に戻そう。
わたしは辞表を書いて、エリザベート様の元へ向かった。