イレーネの青春(1)
「わたし……だめだなぁ」
イレーネは黄昏ていた。
薄いブロンドの髪。
誰もが振り向くような美人では無いけど、男ならチラ見するような容姿。
以前は一人でいると良く声を掛けられていたが、今はその頻度も少なくなった。とはいえ貴族の男性に誘われるのは変わらない。
優柔不断。
自分で物事を決められない。
流される。
それがわたしの特性だった。
以前は良く分からないまま声を掛けてきた男の人の強引な誘いに乗り、付いて行った。その度に何処からともなく助け船が出て、大事になる前に救われた。
でも今は誘われても、キッパリと断れるようにはなった。それもこれもエリザベート様のお陰だ。
☆
イレーネ・プロッサム。
其が彼女の本名。
プロッサム子爵家の三女だ。
商団を率いているプロッサム家は裕福で、イレーネも他の兄弟姉妹と同じように白薔薇学園へ通う筈であった。
けれど母が強固に反対した
「イレーネは意志が弱く流され安い子です。
学園ではいいように使われます」
母アネッサがいうには、このままの性格で学園に通えば誰か有力貴族の取り巻きにされて使い捨てにされるか、男子学生の誘いを断れず録な目には合わないだろうということ。
ならば政略結婚をすれば良いと父フレイドは提案するが、ここでも母は
「いけません。イレーネが嫁いだら迷惑を掛けます。
よくよく吟味せず人の話を鵜呑みするイレーネには、とても女主人など勤まりません」
周りの意見に流されて、女主人として家を采配することもままならず家を傾かせるという。
押しに弱く相手の言いなりになる性格は、勿論商売人としては致命的でそれもダメ。
何とか母アネッサも矯正しようとアレコレ手を尽くしたが、性格的な問題でどうにもならなかった。
という事で……母曰く
「丁度テイラム公爵家から『イレーネを侍女』にと声が掛かりました。受けようと思います」
という事で、イレーネ本人の意思や思惑など一切考慮されずテイラム公爵家……王都のテイラム邸へ侍女見習いとして奉公が決まった。
イレーネ13歳の時だった。
侍女見習いの初めの二年間は礼儀作法と紅茶の入れ方やドレスなどの着付け方法を習った。
髪の編み込みとかは侍女見習い同士で、練習した。
貴族の令嬢は髪を伸ばすので、編み込みの練習台としてはうってつけだった。
でもここでも流される性格は変わらなかった。
休憩時間でも仲間の一人が「猫が好き」といえばイレーネも「わたしも猫が好き」とこたえ、別の一人が「犬の方が可愛い」といえばイレーネも「わたしも犬の方が可愛いと思う」と追従する。結局「どっちの方が好きで可愛いの」と聞かれると「どっちも好きで可愛い」と迎合する。
でもこれなら良くあるやり取りだけど、紅茶の選び方やドレスのチョイスも隣の人の意見を丸呑みして、コロコロ意見を変えるので結局誰からも信用されなくなった。
街へ買い出しの手伝いに行けば何故か仲間からはぐれて、直ぐに男の人から
「君、可愛いね遊びにいかない」
「そういうのはダメだと言われています」
「いいじゃんちょっとだけだからさ。
迷惑を掛けないよ。君。凄く可愛いよ」
「そう……ですか?ちょっとだけなら……」
なんてホイホイ付いていく。
そこをイレーネを探していた同僚に見つかり助け出される。それも一度や二度ではない。公爵邸でも男性使用人から良く声を掛けられ、ホイホイ付いていく。
そして誰かに助け出される。
とにかく一年も経たないうちに『イレーネは頭の弱い娘』というレッテルを貼られた。
そして15歳でエリザベート様の付き人に抜擢された。
抜擢と言えば聞こえが良いが、我が儘気儘な公女に侍女達が振り回され、辞めたり辞めさせられたりで人員が不足したのだ。
その穴埋めにイレーネが体よく利用された。
頼まれたら嫌とは言えない押しに弱い性格で、地雷物件を押し付けられたのだ。
初めに仕えたのはエリザベート公女7歳の頃。
もう出来上がっていた。
可愛げの無い癇癪持ち。怒鳴る。怒鳴る。怒鳴る。
気に入らないことがあれば奇声をあげ、相手を責める。
日々のドレスも靴も髪飾りも、一度に決まったりはしない。自分で選んだ筈なのに、着付けの最終段階で「これも気に入らない」「あれも気に入らない」が始まり、誰かが怒鳴られ犠牲になる。
皆エリザベート様の我が儘が発動したら、癇癪の嵐が過ぎ去るのを待つしか無かった。そして空気の読めないイレーネは良くその嵐に巻き込まれた。
もともと心が弱いイレーネは心が萎縮した。先輩侍女には何度と無く「辞めたい」と伝えたが、その都度説得され押し戻され無かったことにされた。
そしてエリザベート公女の侍女になってから二年生目。
公女の婚約者のエアリス王太子殿下が初めてテイラム公爵邸へ足を運んだ時、イレーネの全てが変わった。
9歳のエリザベート公女が別人のように生まれ変わり、我が儘や癇癪が鳴りを潜めた。
イレーネに対する扱いも変化した。
今までは優柔不断なイエスマンのイレーネに呆れを通り越して不快な表情を見せていた公女。
けれど性格が変わってからは、イレーネの意見を尊重するようになった。
先ず公女は専属侍女に物事を尋ねる時に、真っ先にイレーネから意見を聞いた。いつもは誰かの発言をオウム返しにすれば良かったのに、それが出来なくなった。
髪型でも、ドレスでも、靴でも何でもイレーネに「今日はどれにする?」と聞いてくれた。
イレーネは初めはキョロキョロと周りを伺い、おずおずと自分の意見を言っていたが、エリザベート様は全然怒らずイレーネが意見を出すまで見守ってくれた。
だから少しずつだけど自分の想いをハッキリ言えるようになって、言葉に出すうちに自我も出てくる。
そして……そんな日々の積み重ねの後……
「イレーネ。貴女は服飾関係にとても良いセンスがあります。今日からドレスや靴の担当は貴女に任せます。
わたくしは貴女を信じます。だから、貴女も自分の能力を信じて、わたくしをもっと輝かせなさい」
そしてイレーネにも、人に誇れる仕事を貰い、少しずつ自信が付いてきた。
そしてわたしが19歳の時、三人の王子殿下がテイラム公爵邸に訪問する事になった。