メイプルシロップ
「セルクル無いけど。いいか?」
「普通。セルクルなんてないでしょう!」
ホットプレートにタネを落とす前に問い掛けるジンに、セイラはすかさず突っ込みを入れる。
ジンはマイセルクルを持っていて、その円形の型に流し込んで綺麗なホットケーキを作っていた。もちろんセイラの部屋にはホットケーキサイズのセルクルなんてない
「じゃ。焼くよ」
「任せるわ。楽しみ」
ホットプレートに流れたタネが、円形状に広がっていく。程好い大きさになると、隣にも流し込む。
ほとんど同じ大きさだ
「凄いねジン。双子みたい」
「オタマに同量盛れば、同じ大きさになるのは道理だろう?」
「また屁理屈言う!そういう時は素直に褒められなさい!」
「はいはい」
高校生までは当たり前のようにこんなやり取りしていた。一足先にセイラが大学生になり寮暮らしを初めてから、会う機会が殆んどなかった。
でもワンシーズンに一回は何かと理由つけて会っていたっけ。
ポツポツとクリーム色の生地に泡が立ち始めると、ヘラで少し捲って色味を確認して、ひっくり返す
「うわ!上手!きれいな小麦色!」
「どういたしまして。素直に褒められます」
「もう!素直じゃないよ!そういうのは!」
両方とも綺麗な色合い。
その間手早くナイフでバターを四角に切り分ける。
サラに出来立てホヤホヤのホットケーキを一枚づつ盛って、バターを乗せる
「パッケージでは四角いバターの上からメイプルシロップ掛かっているけど、実際それしたらバターがとけないよね」
「ホットケーキ、あるあるってやつね」
バターを溶かすと、その上からメイプルシロップを掛ける。わたしがシロップ担当の間に、ジンは二回目のタネを流し込んでいた
「では!ジンの作ってくれたホットケーキ!
いただきます!」
「いただきます」
「うん!美味しいー」
ジンのホットケーキは掛け値なしに美味しい!
中はしっとりしていて、でも生焼けじゃない。フワフワして口触りも最高!
この頃ホットケーキ出す店が減って何処もパンケーキになっちゃったけど、ホットケーキにはホットケーキの良さがある。
でも同じ生地。同じ分量なのに、わたしの作るホットケーキは外はカチカチで中はパサパサになる。
そうそう。
目玉焼きもわたしのつくる黄身は黄色く固まってしまう。でもジンの目玉焼きは半熟トロトロだ。
わたしは自分で言うのもなんだけど、ガサツでせっかちだ。料理も動画見ながら日々トライしているけど、真似して作っているのにちょっと違う物が出来たりする。
得手不得手って有るもんだとつくづく思う。
その点、細やかなジンとは正反対だけど足りないものを補い合って、ある意味、相性抜群だと思う。
食べ終わったのを見計らったように、二枚目がお皿に乗せられる。ジンが切ってくれたバターをわたしとジンのホットケーキの上に乗せる。
セイラはじっくりとバターを溶かしながら、珈琲を啜るジンを見つめる
──幸せだな~
なんて幸せなんだろう。
現実逃避なのかも知れない。
でも、ここにジンがいる。
それは真実だから……
「何だよセイラ。
胡散臭い目でこっち見て」
恋する乙女……じゃなくなったけど……恋する女の眼差しを胡散臭いなんて……
「こういう目でジンを見たい時もあるのよ」
「そう……時々するよね。そういう目……」
──してたのかぁ~迂闊だった
でも胡散臭いなんて思われていたなんて、わたしの色気もたいしたこと無いわね。
でも本当に胡散臭いってひどくない?
「ねぇ。ジン。わたし……ジンが好きよ」
「俺も好きだよ。セイラ」
間髪入れずに返ってくる答え。
──分かってる
分かってるんだ。
わたしの[好き]とジンの[好き]には大きな隔たりが有るってこと。だからこんなにも呆気なく[好き]を返してくれる。
もう……苦笑するしかないよね
「俺……そろそろ行くから。片付けはしとくね。
それと……タエコを見舞ったら、また来るよ」
「何で?」
「何で?って……。
セイラ体調悪いの俺のせいだろう?
少しくらい世話させろよ。
夕飯の準備する事ないからな、俺が作るよ」
「いいよ。悪いよ」
嬉しいけど……ね
「遠慮するな。俺たちの仲だろう?
幼い時から一緒にいるんだ。少しは頼りにしてくれ……な?」
「うん。ありがとう。
お言葉に甘えるよ」
「なら、もう寝な。
鍵はちゃんと閉めとくから」
ジンは合鍵を持っている。
お店と三階のこの部屋の鍵。
家族みたいなものだから、わたしが病気や怪我で連絡取れなかったり、そんな時の助けに来てくれると思う
「ちょっと、引っ張らなくても自分で行けるわよ」
ジンが腕を掴み、寝室へわたしを誘導する
「だってセイラ。あのままテレビとか付けて起きたまま、体調崩す未来しか見えない」
言えてるから反論出来ない。
お店で笑顔張り付けて気を張っている分、部屋ではズボラになってベッドへ寝るのも億劫でそのままソファーで寝てしまうことも多い。
何から何まで見透かされている。
なのに肝心なわたしのジンへ向ける愛には気づかない。
そんなジンも愛おしく思えてしまう自分に腹が立つ
「じゃ。セイラ。ちゃんと寝てるんだぞ。
もし俺が戻ってもセイラが寝ているようなら、晩飯できるまで起こさないから」
「何から何まで悪いわね。
なんなら御礼に寝ているわたしを襲っても抵抗しないわよ」
ジンは心底呆れた顔をして
「何言っているんだ?
俺がセイラを襲う訳ないだろう?」
予想していた答えなのに、わたしの胸はキュッっと痛む。昨日。夜。このベッドの上で。何度も。何度も
『わたしたち裸で交じりあったのよ!』
叫びたい衝動を抑え、営業スマイルを作った
「こんないい女が『襲っていい』って許しているのに、食指を伸ばさないなんて、ジンだけよ」
「言ってろ」
ジンはベッドに座るわたしの額に手を置いて
「少し熱があるね。
ゆっくり寝てな」
そう言って寝室を出て行った。
ダイニングキッチンから聞こえてくる水洗いの音が収まり、ドアをガチャガチャさせてジンの気配が消えた。
わたしはジンが消えると同時に、ベッドに潜り込み、大声で泣いた。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
泣いて。
雄叫びのような泣き声をあげて。
泣いた。
こんなに泣いたのは、きっと赤ん坊の時以来ってくらい……。
泣きに泣いた。
そしてわたしは泣き疲れた赤ん坊のように……。
深い眠りに落ちた。
☆
あの夢の世界で、セーラになったわたしは赤い封蝋された招待状を持っていた
「セシル王妃陛下からのお誘いです」
長年勤めてくれている専属侍女がセーラに告げる。
この離宮に軟禁されて20年目。
初めてのセシル王妃からの誘いだった。
そしてこの離宮に足を踏み入れて、初めて外出を許された瞬間でもあった。