17 異形の森
その花畑は、誰が作りましたか?
気が付くと、身体が自由に動かなくなっていた。
周囲に花は見当たらない。
花畑に落ちたと言う訳では無さそうだ。
「私の知り合いに、人の話を具体的過ぎて分からないと言う人がいましてね」
声が聞こえる。
声の方向を見ようとして、殆どの目が機能していない事に気が付く。
見えているのは僅か十二の目だけの様だ。
基底体と物理的に接続されていない身体からの情報も得られない。
「その人の見えている世界が他人と違い過ぎて、殆どの他人と共通項を見出せないのです。奇術師は比較的その辺りの異なる常識に敏感な方ですが、所詮人間には見えていない物を正確に認識する事は不可能なのですよ。そう、例えば虚無とかね」
聞こえて来る声には聴き覚えがある。
だが、その声の主とは喋り方が大きく異なる。
「古鞄の川流れでは……ない?」
確信が持てない。
声は確かに古鞄の川流れのそれだと言うのに。
「ええ、そうですよ。私は風色の逃げ森と呼ばれる奇術師です」
そう言う声は、古鞄の川流れのそれだった。
「この声はわざとですよ。カミノクラ=アズキは風色の逃げ森を花畑の敵として認識していましたからね。花畑の中で風色の逃げ森として認識されてしまうと、このざまです」
声の主が私の視界へと入って来た。
右腕と顎はもぎ取られ、腹と胸に大穴が空いている。
足からは折れた骨が飛び出し、頭が歪に歪んでいた。
露出した肉が赤黒く変色し、血は全く流れていない。
人体改造主義者である私だからこそ分かる。
風色の逃げ森は既に死んでいる。
それも、つい最近死んだ様にも見えない。
「あれから随分と時間が経ちましたが、ようやく花咲か王女を花畑から切り離す事が出来ました。花畑の消滅まで至らなかった事が唯一の心残りですが」
風色の逃げ森の身体が徐々に崩れて行く。
「さて、三翼の飛眼球。強制はしませんが、この老いぼれから頼まれませんか?」
指が全て崩壊した左手が、私の基底体に触れた。
瞬時に私の基底体が全ての機能を取り戻した。
素早く起き上がりながら全ての視界を確認し、尻尾の先端を風色の逃げ森の喉元に付き付ける。
突き付けてから、風色の逃げ森には脅しにも牽制にもならない事に気付く。
一連の動きの間に左腕は崩壊し、今下半身が崩壊した。
「花畑はいずれ消え去ります。後は時間の問題ですが、その時間が私には乗り越えられない」
風色の逃げ森の頭部が胸部を巻き込んで崩壊した。
「花咲か王女――花畑を作ったカミノクラ=アズキは拠り所を奪われて消え去りましたが、今代のカミノクラ=アズキ――奇術師王女が森林内を彷徨っている筈です」
貴方が潰した生首ですよと、頭部が存在していた場所から声が聞こえる。
最早風色の逃げ森の身体はどこにも無い。なのに、声だけは未だに聞こえる。
視線を周囲に彷徨わせ、尻尾をふらふらと揺らすが、風色の逃げ森の痕跡はその声以外には検知出来なかった。
「どうせ理解しないでしょうから詳しい説明は省きますが、奇術師王女は不死身の様な存在に成り果てました。殺しても殺しても、どこかにカミノクラ=アズキが湧いて出ます。但し、人間から隔離すればいずれ消滅します」
人の認識に依存する点は花畑と同じですと声は言うが、正直私には理解に困る話だ。
もう少し具体的に、何をすればいいのかを教えて欲しい所だ。
その考えを察したかの様に、声は森林に人間を立ち入らせるなと言った。
「要するに、森林を伐採しようと入り込む連中を追い立てればいいのかい?」
声がした。
その声の主には身体があった。
樹皮に似た材質で構成されたその身体は教団のまとめ役だった老婆に与えた身体だ。
生態も植物に似せて作ったため、森林の内部では私の感覚器を用いても感知が難しい。
「生きていたか」
「半分程花畑に呑まれたけどね」
半分も生き残った事は僥倖だが、同時に有り得ない話でもある。
となると誰かが教団の連中を助けたと言う事だが、恐らくは風色の逃げ森の仕業だろう。
その考えを読まれたかの様に、気が付いてしまえば簡単な理屈だと声が言った。
「何も無い事を認識する事は難しいですが、何かでは無い事を認識する事は意外と簡単なのですよ」
私もとある死体屋を見て気が付いたのですけれどもねと声は自嘲した。
死体屋と言うと……あの妙に自然体の女か?
「一つ聞きたいんだがね?」
まとめ役が声を張り上げる。
返事は無い。
「あたし等は改造した人体を使う場所を求めて花畑に挑んだ」
正確にはその条件で望む人体を与える取引に合意した、と言う経緯だが。
「ハコビ様は花畑に報復するために花畑に挑んだ」
弟子が全て呑まれた。あれ等は私には無い発想の人体改造をしていた。
この基底体はそれら全てを注ぎ込んだ最高傑作だ。
「あんたは、ニワシ様は、何のために花畑に挑んだんだい?」
風色の逃げ森と言えば人格者として名が知れている。
人格者だから花畑に挑んだのではないかと言うと、まとめ役はそれじゃあ弱いねと言い切った。
「あたしには人格者になる過程が見えてこないのさ。と言うより、風色の逃げ森はいつから生きていた?」
言われて気付く。
奇術師は早死にする者が多い。
何かしらに執着して道を踏み外し、その結果他の奇術師に殺される。
私だって一歩間違えればどこかの国から奇術師を差し向けられるだろう。
「ニワシ様は、花畑に対処するために奇術師になったんじゃないのかい? 或いは、花畑が出来る原因に関わっていたか」
返事は無い。
沈黙しているのか、もう消えて無くなっているのか。
「花畑の起源ははっきりとしていない。同じ様にはっきりとしていないのが、王国が分断した理由……王の不在が起きた原因」
王国が南北分かれた原因は後継者争だったと伝えられているが、その原因となったその代の王がどうなったのかは知られていない。
消えた王と花畑の原因になった王女。
正直な所、可能性は色々と考えられる。
まあ、それを知っていたであろう風色の逃げ森からの声は無いが。
「……消えちまったかね? 或いは、真相は墓場まで持って行く積りなのかねぇ?」
まとめ役が厭味ったらしくそう言っても、風色の逃げ森の声は帰って来ない。
「真相が分からないと言えば、この花畑を上書き出来る森林も誰が作ったんだかねぇ」
確かに、花畑が異質過ぎて霞んでしまうが、この森林とて十分に異質な存在だ。
分析しても普通の樹木と大差無いのにも関わらず、どう言った理屈が作用して花畑への耐性を持つのかが全く分からない。
「この森林事態も奇術みたいな存在と言う事か」
「伐採出来るだけましだけどねぇ」
遠くから改造された人体の音が聞こえて来る。
生き残った教団の連中がこちらに向かって来ている様だ。
腕を増やした者、足を増やした者、内蔵を増やした者。
指を減らした者、骨を減らした者、皮膚を減らした者。
大きくなった者、小さくなった者、捻じれて歪んだ者。
そして、三翼の私と目と耳と鼻。
この森林はそう言った者達の住処となった様だ。
花畑に関わる散々な日々の果てとしては、マシな部類なのだろう。
「この森林は人体改造主義者が非改造者を追い立てる場所になると言う事かな」
「王女を閉じ込めるのを忘れちゃいけないよ」
花の様には甘くない森林の香りが、基底体の嗅覚を刺激した。




