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花が散った、その後に  作者: 魚の涙


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10 吐き気

その花畑は、そこにもありますか?

 がたがたと馬車が揺れる。

 その揺れが視界と脳を揺さぶって吐きそうになる。

 適当に手綱を握り締めた状態で姿勢を維持しながら、気が付けば夜が明けていた。

 夜に馬車を走らせるのは自殺行為だが、あの異形の奇術師を相手にするよりは遥かに安全と言える。


 多分あれはハコビだろう。

 花畑に触れて姿を眩ました有名な奇術師だ。

 人体改造主義者だったと言う話は知っていたが、あそこまで人間離れした容姿だったとは知らなかった。


 ハコビとその弟子が幅を利かせていた時代に私は乳飲み子だったからな。

 歴代最年少の公認死体屋である私は人生経験と言う意味では他の死体屋に勝てない。

 まあ、それ以外ならそこそこイケてると思うのだが。


「どうやら撒けた様ね」


 幌の中から声が聞こえる。

 それは男の声だったが、喋り方は生首王女のそれだった。


「それにして、力技にも程があるわ。私の奇術を純粋な筋力で完封して来たわよあの脳筋は」


 憤りを隠せない声で王女が喋っている。

 喋っているのはこの馬車の御者だった男の身体だ。

 死んでから丸三日は経過している筈のその身体は何故か腐敗の兆候を見せない。


 その防腐処理技術を知りたいと思うが、そこまで強固に防腐処理された死体が売り物になるのかと言う問題がある。

 この王女がその辺りの事を考慮して防腐処理を施しているとは到底思えない。

 その結果御者の死体は加工される事無く馬車の荷台に転がされていた訳だ。

 その死体が座り込んで上品にな微笑みを浮かべている。

 ついでに言うと馬車を引く馬も王女が操る腐らない死体だ。


 やはり死体は役に立つ商品だ。


「王女様の奇術って筋力で対抗出来る物なので?」

「筋力でどうにか出来ない筈の奇術も普通に耐えられたわ。単に精神が図太いだけかも知れないけど」


 成程、やはり王女は複数の奇術を扱うのか。

 そんな気はしていた。

 なんて言うか、本職の奇術師に比べて緩いと言うか、一貫性が無いと言うか、そんな印象があったからね。

 仕事で関わった何人かの奇術師が奇術師王女の事を軽んじる言動を見せていたから、きっと個々の奇術はそれ程洗練された物では無いのだろう。


 確かにハコビの肉体は異様だったけれど、だからと言って複数の奇術を正面から無効化出来るとは思えない。

 単に奇術師王女は奇術師としては未熟だと言う事だろう。


 そんな未熟な奇術師でも私には手に余るのだが。

 正直な話ハコビから逃げられたのはただの偶然だ。

 目玉が多くて助かった。そうでなければあの粉の正体に気付く事は出来なかっただろう。

 気付かずに吸い込み続ければ死んでいた。


 それでも、少し吸い込み過ぎたかな。

 ハコビから逃げ切れたと聞いて安心したからか、私の身体は真後ろに倒れた。

 受け身も取れずに、しかし荷台に転がったのは運が良い。

 路面側に倒れていれば摩り下ろされていただろうから。


 摩り下ろされて土と砂で汚れた死体は碌に使い道が無い。


「あら? どうしたの?」

「興奮剤ですよ。ハコビ程じゃないですけど、私も結構吸い込みましたから」


 興奮剤とか覚醒剤とか呼ばれるあの手の薬は、実はよくお世話になっている。

 死体屋の常備薬とも言える薬なのだ。

 人間は時と場合を選ばずに死ぬものだから、死体屋は何日寝ていなかろうが死体があれば仕事をしに行く。


 この世は生と死に満ちている。

 死体が生まれない瞬間等、大陸規模で見れば一瞬たりとある筈も無いのだ。

 きっとこうして倒れている今だってどこかで誰かが死んでいる。


「あれ、多分中毒者用の高濃度品ですよ」

「ああ、自治領連で問題になっているあれね。成程ねー、この辺りが産地なんだ、あれ」


 興奮剤は聖国ではよく使われる、と言うか聖国軍が興奮剤漬けだと言う事は死体屋の間では有名だ。

 興奮剤の慢性的な過剰摂取で死んだ死体は脳に特徴的な変質が見られるのだが、聖国軍兵の死体は多かれ少なかれ同じ変質が見られる。

 嘘か本当か聖国軍兵の死体だけを集めて作られた万能薬擬きは興奮剤に似た薬効を示したとか。


 興奮剤は使えば使う程効きが悪くなる。

 それを補うためには大量に摂取するか、濃縮した覚醒剤と呼ばれる物を摂取するかの二択だ。

 どちらも致死量までしか使えない訳だけれどもね。

 今大陸は人不足だから、興奮剤中毒者も増えているかも知れない。


 ああ……ただでさえ貴重な死体が汚染されて行くのか。

 何かしら薬物使用の模範となる仕組みを作る必要があるのかも知れない。


「所で、この馬車どこへ向かっているので?」


 手綱を握っていたとて、本当にただ握っていただけなのだから。

 道も知らねば方角を見る余裕も無い。

 興奮剤の作用で景色が眩しくて仕方ない。


「自称王国の方よ。物流も滞っているって事は人の目も少ないだろうし、私に感知出来る範囲ではあの異形の目も少ないみたいだから」


 目か。比喩じゃなくて本当に目が飛んでいるんだろうな……。

 確か三翼の飛眼球だったか? ハコビの通り名は。

 あの羽ばたかず回転する板は翼と呼んでいいのだろうか?


 ゆるゆると息を吐きながら目を閉じる。

 体中を巡る血液の音が煩い。

 興奮剤を過剰摂取すると全ての感覚が鋭敏になる。

 当然視覚以外も研ぎ澄まされる訳で、目を閉じた所で知覚の奔流から逃れられる訳では無い。


 なので、その息遣いに気付いた。

 気付いた所で機敏に動ける様な状態では無い。

 なので、声を掛ける事にした。


「どちら様で?」


 目は開けない。

 開けた所で見えなければ意味が無いし、この状態なら声が聞こえればそれで十分だろう。

 どうしようもない時は焦っても仕方が無いのだ。


 ぎいぎいと不愉快な笑い声が聞こえた。

 声はその発生源が判然としなかったが、息遣いが聞こえた場所にいるのだろう。


「誰!?」


 王女が驚愕を隠せない声で叫んだ。

 そしてこの王女は息をしていない。

 死体なのだから当然だ。


「いやぁ、なにさ、取って喰っちまおうって訳じゃねぇさ」


 この鈍りは南方、自治領連出身者でまあまあ聞く。

 あの辺りは領地の併合と離散を繰り返しているから、様々な文化がごた混ぜになって良く分からない方言も多い。

 自治領連出身者同士でも訛りが酷くて会話が噛み合わないとか普通にある。

 聖国式標準語の偉大さは国や集落を渡り歩く者程痛感させられる物だ。


「……まさか、古鞄の川流れ?」


 あの見るからに異様なハコビ相手に傲岸不遜な態度を崩さなかった王女が妙に弱気な声を漏らす。


 ……と言うか、古鞄の川流れって、フセン?


 ぎいぎいと、不愉快な笑い声が響く。

 笑い方下手だなフセン。人の事言えないけど。


「傑作さね? あのお転婆王女がしおらしいんがさ?」


 思わず目を開いて、王女の方を向く。

 急に動いたせいで過敏な視界が揺れて酷い眩暈を覚える。

 歪む視界の中で中年の男が怯えた様に縮こまっていた。


 ……しおらしい?

 やはり奇術師は見えている世界が違う様だ。


 そして私の視界には先程まで見えていなかった人物が見えていた。

 痩身の老人だ。聖国式の正装に身を包んだ、見た目だけなら老紳士と言っても差し支え無い温厚そうな痩身の老人だ。


「いやぁ、愉快な流れさね? 久々に読めない流さね? そんで奇術師が溢れとるさね」


 喋ると台無しだが。


「妖腕の花売りさ死んで、教皇とその側近さ死んで、三翼の飛眼球さ復帰して」


 フセンは死を扱う奇術師だった筈。

 行方知れずとなった者の生死を判別し、目を合わせるだけで相手に死を与える奇術師。

 何かしらの制約はあるとされているが、それが簡単に分かるのならそいつは奇術師では無い。


「いやぁ、意味不明な流れさね? 銀芯の獣追いが花畑さ分け入って、風色の逃げ森がその後さ追って、王女が花さなって」


 ぎいぎいと、不愉快な笑い声を漏らしながら、フセンが私を見る。

 それでも私の心臓は動いているし血液は流れている。

 幸いにも殺されはしなかった様だ。

 にやりと、フセンが笑みを深めた。

 見た目だけなら好々爺と言った感じだが、ニワシでもあるまいし奇術師の中身が好々爺等と言う事はあるまい。


「南の王国は花さ塗れて。さぁて、お主等は何さしに行く?」


 どこかで予想はしていたが、それでもとんでも無い事を聞いてしまった。

 ああでも、この場合の花は散った花である可能性も一応あるな。

 一応確認しておくべきかな? 聞きたくないけど。


 ああ、気持ち悪くて吐きそう。


「あそこは自称の王国よ?」


 王女が空気の読めない訂正を入れるのを聞きながら、私はおろおろと胃液を吐いた。


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