最終章
「由美、ごめんね。私やっぱり、家に帰る」
由美は私の顔を見つめ、頷いた。
「何かあったらすぐに電話して」
「うん、ありがとう。信之さんも本当にありがとう」
信之も黙って頷いた。
家に帰ると、電気もついていない薄暗い部屋で、亮ちゃんがポツンと膝を抱えて座っていた。私は思わず駆け寄って、彼を抱きしめた。すると、亮ちゃんが言った。
「奈々、ごめん」
「ううん」
「保育園の前で杉下に会ったと言っただろう?」
「うん」
「彼に言われたんだ、『確かに死んだ俺の親父は酷い奴だった。だけど、一緒に死んだ祖父さんはいい人間だったんだ。そんな人間の命を奪っていい奴なんかこの世にいない。お前が祖父さんを殺したんだろう! 俺は絶対にお前を許さない!』って。あのとき、僕には全部記憶が戻っていなくて、どうして彼にそんなことを言われるのか分からなかった。だけど、今なら分かる。僕は人殺しだ。人を殺しておいて、のうのうと生きていてはいけないんだよ」
「亮ちゃん、死んではだめ……」
「……」
「亮ちゃんが死んだら、私は生きていけない」
「奈々と結婚する前、たった一人で、暗い部屋に帰って来て、一人で飯を食べてテレビを見ていると、何も話さなくていいから、ただ黙ってそこに座っているだけでいいから、誰かにいて欲しいと思っていたんだ。だから、奈々と一緒に暮らすようになって、僕は嬉しかった。ただ嬉しかったんだ。それは奈々もそうだったんだろう? 僕は君の気持ちが痛いほど分かっていた。だから、離れ離れにはなれない」
「……私を殺すの?」
「そうだよ」
「亮ちゃんが逝くなら、私も一緒に逝きたい」
私は黙って目を閉じた。亮ちゃんは、そっと私の首に手を掛けた。
気が付くと、私はベッドに横たわっていた。ベッドの傍らには心配そうな顔をした亮ちゃんがいた。由美と信之さんもいた。亮ちゃんは私が目を開けると涙を流した。何度も何度も、「ごめん」と言って私の手を握りしめた。亮ちゃんはフランキーにはなれなかったんだなと思った。
由美が言った。
「あなたたちはね、今までものすごく悩んで苦しんで来たの。それは周りの人はみんな分かってる。決して、許されることではないのかもしれないけれど」
後から聞いた話だけど、亮ちゃんは結局、すぐに私の首から手を離したらしい。亮ちゃんはきっと何もかも知ったんだろう。由美は他校の同級生で、何度も同じ合宿に一緒に参加していた仲間だったこと。信之さんも二年後輩の他校の陸上部で、大会で転んで怪我をしたとき、エースで憧れの人だった亮ちゃんに助けられて感激したことがあったこと。篠原さんは亮ちゃんのお父さんのファンで、だから幸代さんがはめていた指輪は亮ちゃんのお父さんが作ったもので、お父さんの才能を引き継いだ亮ちゃんの作る作品も亮ちゃん自身もずっと気になって仕方がなかったってこと。亮ちゃんは正樹君を小さい頃から、いや生まれたときから可愛がっていたこと。おばちゃんの娘が絹子さんで、絹子さんは亮ちゃんのことを心配して、おやっさんに引き取られている亮ちゃんを追って、中目黒に移り住んだこと。友加里さんとも喧嘩友達で、小さい頃はいつも一緒に遊んでいたこと。おやっさんは亮ちゃんの保護司でもあり、亮ちゃんのことを本当の息子のように思っていること。十九歳だった亮ちゃんは、ネットカフェに火なんか点けてなくて、首を吊って命を断とうとして、おやっさんに助けられたということ。自分の命は自分だけのものじゃなくて、生かされているんだということ。生きてこそ、自分の罪を償えるのだということ。
亮ちゃん、大丈夫。焦らないでゆっくり生きればいい。
ベッドサイドのテーブルには緑色の石の指輪が置かれていた。ちゃんと亮ちゃんは私が言ってたことを覚えててくれてたんだと思った。十年目の結婚記念日には、小さくていいから、またエメラルドの指輪が欲しいって言ってたことを。
十年前の十月十九日、僕たちは、通りがかった街の小さな教会で結婚した。
二人だけの結婚式だった。
持てるものは何もなく、そこにあったのは、ほんの少しのお金と希望だけ。
そんなものしかなかったけれど、僕たちは幸せだった。
一人じゃなくてずっと二人でいたから。
僕は生きる。
僕は生きて、自分の罪を償っていく。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
被害者のことを考えると、殺人を犯した人間は生きていてはいけないのではないのか?と思い、この物語を書きながら私自身も随分葛藤しました。
今でも何が正解なのか分かりません。
けれども、殺人を犯した人間も何ら特殊な人間でもなんでもなく、
加害者の家族も同じように苦しんでいることを知るある出来事が実際に私の日常に起こりました。
そのことがきっかけでこの物語を書いたのだと思います。




