第三十八章
「もしかして、杉下君に会ったの?」
奈々子が唐突に言った。
「え?」
「この間、友加里さんがお店に来てくれたの。そのとき話したんだけどね、亜美ちゃんの仲良しの健太君のお父さんと亮ちゃんが、保育園の前で話しているのを見かけたと友加里さんが言ってたの。友加里さん、健太君のお母さんと仲良しで色々事情を知ってて、だから、健太君のお父さんが保育園に来てるのを見つけて気になってたら、亮ちゃんもいて、しかも、二人がトラブってるように見えてびっくりしたと言ってたの。だから、友加里さんに、健太君のお父さんがどんな人なのか、容姿や服装を教えてもらったけど、絶対杉下君に違いないと思ったの」
「……」
僕はため息を吐いた。奈々子になんと説明すればいいのだろう?
「いや、保育園の前を通りかかっただけだし、おやっさんと友加里さんのことも気になってたし、亜美ちゃんが園庭で遊んでいるところを見かけたから、様子を見てたんだよ。そしたら、たまたま杉下に会ったんだ」
「杉下君って、健太君に会いたくて、あの保育園に来てるだけなのかな」
「そうなんだろうね」
「ふーん……」
奈々子は、なんだか腑に落ちない顔をしていた。ずっとしかめっ面をして考え事をしているので、「何かご不満でも?」と訊いたら「別に」と言った。
「そう言えば、この間、正樹君が絹子さんは調布出身だと言ってたんだよ。僕はてっきり中目黒出身だと思ってた。奈々は知ってた?」
「え、そうなの?」
「それにね、おやっさんも絹子さんとは幼馴染だろ? ということは、おやっさんも調布出身ということなのかな」
「……」
「二人とも中目黒に引っ越してきたのかな」
「正樹君がそう言うならそうなんじゃないの?」
「そういえば、篠原さんもおやっさんとは幼馴染みじゃなくて、大人になってから知り合ったと言ってた。
「そうなの」
「でも、なんだか変だよね」
「何が?」
「だって、僕も奈々も絹子さんもおやっさんも杉下でさえ、みんな調布出身なんだよ」
「それが変なの?」
「変だよ。だって、偶然が多すぎるじゃないか。なんでみんな、中目黒にいるんだよ」
「偶然じゃないのかもよ」
「え?」
「だって、私は亮ちゃんに出逢って結婚したから、ここに住んでるんだし……。結婚前は自由が丘に住んでたんだもの」
「あ、そうか」
「絹子さんと宮前さんも何か事情があるんじゃないの? たまたま中目黒に土地を持ってたとか……」
「そうかな……。おやっさん、いつも金がねえと言ってるよ」
「土地があるからお金があるとは言えないじゃない?」
「まぁ、そうかな」
「土地を他人に貸してこそ収入になるけど、自分がその上に住んでたら収入にならないじゃない?」
「さっきから、すごいやっきになってるけど……」
「だから、別に深い意味はないんじゃない?」
「そうなのかな」
「そんなに気になるんなら、絹子さんや宮前さんに聞いてみればいいのに」
「うん、そうしようかな」
奈々子はなんだかずっと不機嫌だった。まるで知られたくない事実を知られて、言い訳をしているようにしか見えなかった。
「それはそうと、杉下君とは何もなかったの?」
「うん。アイツと関わったら碌なことがないと思ったから、彼を振り切って逃げたんだよ。それを友加里さんが見てたんじゃない?」
「そうなんだ……」
「うん」
「それだけ?」
「うん、それだけ」
「良かった、ほっとした」
「奈々もアイツと関わるんじゃないよ」
「まさか!」
「だって、また、どこかで会うことがあるかもしれないじゃないか」
「どうか、そんなことがありませんように」
第三十九章に続く




