第三十七章
「おやっさーん、亮さん、元気ー?」
工房に入ってくるなり、由美は勢いよく言った。
「あ、また来たのか」
「また来たのかって、どういうものの言い方するのよ! 私はあなたの客よ、客! しかも上得意様に向かってなんて言い草?」
「はははは、そうだね。いつもお世話になってます」
またもや、この間と全く同じ会話を繰り返した。
「今日はね、大事な話があってきたの」
「なに?」
「うちの会社の社長がね、believeともっと本格的に提携したいと言い出したのよ」
「え?」
「だって、うちは主に結婚指輪をお願いしてるでしょ? 婚約指輪も本腰を入れたいそうなの。もしOKしてくれるなら、宣伝も本格的にやりたいと言ってたわ」
「由美さんよ、それはありがたい話だが、うちは職人が二人しかいないってことを忘れてるんじゃないかね?」
おやっさんが言った。
「社長はね、とにかく、おやっさんや亮さんが作る指輪をすごく気に入ってるのよ。いつも、私が指輪を持って帰ると、すごい、すごい!と言って見てるもん。やっぱり一生物だから、結婚する人には、特別素敵な物を持ってもらいたいと言ってたわ」
僕はその言葉を聞いて、なんだかちょっとありがたくて胸が一杯になった。
「だからね、大変だと思いますが、少し考えておいてください」
そう由美が言うと、おやっさんは「分かった、考えとくよ」と言った。
話が終わって、すぐに帰るのかと思ったら、由美が「今日は亮さんとも話があるから、お昼を一緒に食べない?」と僕に耳打ちした。僕は、どうしてだか嫌な予感がしたが「いいよ」と答えた。
僕がいつも信之君と使っている駅の傍のカフェへ行こうとしたら、由美は「こんな目立つところはダメよ」と言って、人でごったがえしているハンバーガーチェーン店へ連れ込んだ。注文するのに随分時間がかかったが、周りを見渡すと見知らぬ若者ばかりで、確かにここで何を話しても知っている人に聞かれる心配はなさそうだった。由美は席に着くなり、「ねぇ、信之と何を画策してるの?」と言った。
「は?」
「信之に調べさせてるでしょ?」
「あ、うん」
「何を?」
「いや、ちょっと……」
「私に言えないこと?」
「……」
「男の約束だから?」
「うん」
「何をしてもいいけど、奈々子だけは泣かせないでね」
僕は由美にそう言われて、ドキッとした。
「奈々子はね、本当にいい子なの。昔からそうなの。あの子のしてることって、大抵自分のためじゃなくて人のためなのよ」
「そうかもしれない」
「かもしれないじゃなくて、そうなのよ」
「……」
「昔、奈々が私に工房を紹介してくれたでしょ? 何故だか分かる?」
僕は首を振った。
「私があなたの作ったネックレスを気に入ったからじゃなくて、私がブライダルプランナーだから、宮前の工房を奈々子が私に推したのよ。亮さんとおやっさんの役に立てるかもしれないと思って。どちらかというと亮さんの作るジュエリーは個性的でしょ? 普段使いのジュエリーなら個性的なものは素敵だと思うけど、結婚指輪は個性的というより、上品なほうがいいと私は思ってたの。でも、私の考えは間違ってたけどね。だって、本当に亮さんのジュエリーは大好評だもの」
「……」
「いい? あの子は本当に良い子なの。それをよく覚えていて欲しいの。例え、何が起ころうとも」
僕は深く頷いた。
第三十八章に続く




