第三十二章
「亮さん、僕の親父はね、お袋に一目惚れしたんですよ。付き合ってたった三ヵ月で結婚したらしいですよ」
「そうなの!?」
駅前の定食屋で正樹と二人で昼飯を食べていた。昼休みになろうかというとき、ちょうど工房に正樹が現れ、「今日はうちは休みですから、うちに来ても昼飯にはありつけませんよ」と言った。おやっさんが毎日花屋に来るものだから、絹子さんが気遣って急遽花屋を定休日にしたのだった。花屋が休みだと、さすがにおやっさんも友加里さんの家に行くだろうとの絹子さんの魂胆だった。おやっさんは「なんだよ!」とぶつくさ言いながらも、抽斗から赤いベルベットが貼られた小さな箱を取り出し、正樹に「ほらよ」と言って渡していた。箱の中には完成した婚約指輪が入っていた。正樹は随分感激して何度もおやっさんに礼を言っていたが、花屋をおやっさんのために開けることは考えていないようだった。それとこれとは話は別らしい。おやっさんは、僕と正樹を工房に残し、一人で先にぷいっと工房を出て行ってしまった。
「何をそんなに驚いてるんですか?」
「予想外だったから」
「親父がお袋に一目惚れするのって変ですか?」
「いや、別に深い意味はないんだけど……」
一目惚れされたから結婚したという理由は、世間ではよくあるパターンだと思うが、果たして絹子さんがそういう理由で結婚するような人なのだろうか? 絹子さんは、一目惚れされるようなよく知らない人じゃなくて、何年も付き合った自分が納得のいくような人と結婚したのだろうなと僕は勝手に思い込んでいた。
「大恋愛だったんだね」
「そうだったんでしょうね」
「でも、おばさんもそうだけど、おやっさんといい、篠原さんといい、なんでこうもみんな家族を亡くしてるんだろう……」
「呪われてるんですよ、きっと」
「この町内が?」
「いや、人が……。だって僕の親父は、甲州街道で事故を起こしたんですから」
「バイクに乗ってたの?」
「そうらしいです。この間、もうすぐ僕が結婚するからってんで、お袋と小枝子と一緒に墓参りに行ったんですけど、その後で、親父が事故を起こしたところに行ってみたんですよ。そしたら、親父が残した傷が、まだガードレールにくっきり残ってて、お袋、泣いてました。それ見て、俺もなんだか辛くなって……」
「そうだったんだ……」
「お袋は親父が死んだ後、一度、花を供えに行ったっきりで、何十年も事故現場に行ったことがなかったんですよ。だから余計にショックだったんじゃないかな」
「……」
「でもね、行って良かったんじゃないですか? いつまでも逃げてばっかりいるより、立ち向かったほうが立ち直れるってもんでしょ」
「そうだね……・。正樹君の言う通りだね」
「しかし、お袋もケチだから、墓から結構距離があったのに、歩かされたから足が疲れましたよ。墓だけじゃなく事故現場にも行ったし……。俺はいいんだけど、ヒールを履いた小枝子が可哀相でね。嫁に来る前からこんなんだったら、先が思いやられる」
「そうなんだ。大変だったね。正樹君のお父さんのお墓はどこにあるの?」
「多磨霊園です」
「多磨霊園?」
「ええ」
「多磨霊園って京王線沿いの?」
「そうですよ。でも駅から二キロくらいあるんですよね」
「そんなにあるの?」
「あ、うちの墓は奥まったところにあるから」
「お父さんはあの辺の出身なの?」
「いえ、お袋がそうなんですよ。親父は岩手出身で、墓も岩手にあるんですけど、お袋がそんな遠いところじゃ滅多に行かれやしないから嫌だってんで、それで自分の実家の墓に入れてしまったんですよ」
「そうなんだね」
「あ、でもね、僕もあの辺に住んでたことがあるんですよ」
「えっ?」
「だから親父が甲州街道で事故死したんですよ」
正樹からよくよく聞いてみると、絹子さんは中目黒出身ではなく、調布出身で調布で生まれ育ったらしい。自分も調布で生まれたと言っていた。僕はてっきり絹子さんは中目黒で生まれ育ったのだとばかり思っていた。絹子さんの出身と奈々子が訪れていたところが近いと知って、なんだか胸騒ぎがした。この間から、奇妙な一致が多すぎる。でも、待てよ、この間、おやっさんは、「絹子は妹みたいなものだ」と僕に話していた。ということは、おやっさんも調布にいたということなのだろうか……。僕は頭が混乱し始めた。
「ねぇ、おやっさんも、もしかして調布出身なの?」
「さぁ、どうなのかな。出身まで聞いたことがないからなぁ。でも、あの工房、ボロボロだし、百年くらい前からあそこに住んでるように見えますけどね」
第三十三章に続く




