第二十九章
休日の朝、いつものように僕は信之と待ち合わせてランニングをしていた。考え事をしながら走っていたので、信之のペースに合わせることをすっかり忘れてしまい、ふと気づいて振り返ったら、信之ははるか後方にいた。信之の顔を見ると必死の形相をしていたので、おかしくなって笑ってしまった。僕はペースを落とし、彼が追いついてくるのを待った。暫くして追いついた信之は、「早すぎますよ!」と悲鳴を上げた。
「何かあったんですか?」
ベンチに座ってタオルで汗を拭きながら信之が言った。
「分かる?」
「分かりますよ。あの気遣い屋の加山さんが、我を忘れて走ってるんですから」
「いや、奈々子と喧嘩してしまってね」
「えー? 結婚以来、喧嘩したことがないって言ってたのに?」
「うん」
「ついにやっちゃったんですね」
「まぁね」
「それで仲直りしたんですか?」
「うん、すぐに仲直りはしたよ」
「でもなんだかしっくり来ない?」
「そうだね」
「実はですね、僕、この間から、良い人ぶるのを止めたんですよ。言いたいことは言おうと思って。それに、年下とはいえ、亭主なんだからもっと威厳を持とうと思って、由美に言い返したんです。勿論、向こうが勝手なことを言うからですよ。彼女がキルフェのシュークリームが食べたいというから、無理してデパートの催事に三時間も並んで買って帰ったのに、本当はバルーンのほうが良かったとか言うんです! 三時間ですよ!三時間! だから流石の僕も切れました!」
「へぇー、そうなんだ。それで?」
「それがですね、意外なんですけど、素直に向こうが謝って来ました。でも、なんだか嬉しそうでした」
「そうかそうか、それは良かったね」
「はい。だからね、加山さんも言うべきことは言ったほうがいいですよ」
「そうだね」
「変に気を遣うからややこしくなるんですよ」
「うん。でもね、別に気を遣ってるわけじゃないんだよ。気になることがあるだけなんだよ」
「気になることって?」
そう信之に訊かれて戸惑った。ずっと黙り込んでいると、信之は「水臭いですよ!」と言って怒りはじめた。僕はため息を吐いた。でも、今更、彼に嘘を吐くことも出来なかった。
「実は偶然、奈々子をいるはずのない所で見かけてしまってね、彼女を尾行したんだ」
そこまで話すと、その後を話すのは簡単だった。奈々子と調布近辺の五人の人たちとはどういう関係なのか、どうしてあの人たちと直接話さず手紙だけを入れて帰るのか、だが奈々子が自分に嘘を吐いていることが一番悲しいということを話した。そして、三軒の家には共通点があって、二十年前に火事になっていることも話した。そうやって、今までの経緯を信之に話したら、彼は目を丸くして聞いていた。
「なんで早く言ってくれなかったんですか? 加山さんが悩んでたのは、このことだったんじゃないですか?」
「……」
僕は何も言えなくなって、また、ため息を吐いた。
「でも、その偶然の一致は奇妙ですね。しかも三か所が同じ時期に火事になるなんて、絶対おかしいですよ」
「僕もそう思うんだ……」
「分かりました。調べがついていないのは、東府中と多摩川ですね。任せてください」
第三十章に続く




