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二人でいたから  作者: 早瀬 薫
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第十章

 ジュエリーのデザインを考えるのに煮詰まってくると、僕は時折、工房をふらっと抜け出すのだが、画家の篠原さん宅や代官山の本屋の他に、僕にはよく立ち寄る所があった。おやっさんの幼馴染の絹子さんという女性が営んでいる甘味処「花屋」という店だった。甘味処なのに「花屋」という名前の店なので、しょっちゅう間違い電話がかかってくるそうだが、絹子さんは「困った、困った」と言いながらも、一向に名前を変える気が無いらしい。おやっさんは冗談交じりに「『絹屋』にしとけよ」と何度も言ったが、絹子さんはその度に「呉服屋じゃないんだから!」と言い返した。甘味処なのだけれど、僕はそこで滅多に甘いものは食べなかった。昼時になると、絹子さんが常連さんだけに日替わり定食を出してくれて、僕も日課のように食べていたからだった。おやっさんも絹子さんも、そして生きていれば僕の両親も同世代になるのだと思うが、おやっさんが親父代わりなら、絹子さんはお袋代わりだった。彼女も僕のことをよく気に掛けてくれていた。

 絹子さんもまた、おやっさんと同じく早くに旦那さんを亡くしていた。交通事故だったそうである。しかも結婚期間はわずか一年しかなかったそうだ。なんだか僕の周りには淋しい人間ばかりがいて、みんなが寄り添うように生きているような気がしていた。だから、二軒隣りの松岡さん夫婦のところに赤ちゃんが生まれたときには、自分の身内が生まれたかのようにみんな喜んだし、向かいのおじいちゃんが転んで入院したときは、みんなが交代で看病に行くようなあり様だった。僕は世知辛い都会でこんな風なご近所付き合いできることを内心嬉しく思っていた。絹子さんには、僕より五歳年下の正樹という息子さんがいて、彼は家業が休みの日には、気が向くとふらっと工房に立ち寄った。彼もまた僕の弟のような存在だった。


「亮さんの淹れるコーヒーは、相変わらずうまいなぁ。俺はまだまだだな……」

 正樹が、亮が淹れたコーヒーを啜りながら呟いた。花屋の定休日は毎週火曜で、今日は火曜だった。

「そう? ありがとう。そう言えば、この間からコーヒーもお店で出すようになったんだよね」

「そうなんだよ。だって、いくら和風とはいえ、一応喫茶店なわけじゃん。だからコーヒーの需要もあるんじゃないかと思って、メニューに加えてみたら、やっぱり案の定、注文が殺到してるわけ」

「絹子さんがあれだけ反対してたのに、よくメニューに入れたね」

「もうね、お袋はね、頭が固いの! だってさ、スタバでも抹茶ミルクとか抹茶ケーキとか当たり前に置いてるんだから、うちだってコーヒーくらい置いたっていいわけじゃん」

「まぁ、そりゃそうだね」

「それでさ、この間、コーヒーゼリーと抹茶ゼリーと白玉を入れたやつに練乳をかけたものを出してみたら、結構評判が良くてさ、おかげでお袋は機嫌が悪いわけよ」

「え? そうなんだ。でもほんとは喜んでるんじゃないの? だって、正樹君が店を継いでくれたんだし、張り切って働いてるんだから」

「そうなんだろうけど、自分が考えたあんみつが売れなくなったから、機嫌が悪いんだよ」

 僕はそれを聞いて吹き出してしまった。正樹は高校を卒業した後、食品メーカーに勤めていたが、

半年前に会社を退職し、母の経営する「花屋」を手伝っていた。絹子さんは、最近持病の腰痛が悪化していたし、内心では息子が店を継いでくれたことを喜んでいるに違いない。

「おい、正樹、彼女とはいつ結婚するんだ?」

 唐突に、工房の奥のおやっさんが正樹に訊ねた。しかし、無口なおやっさんが突然口を開いたかと思ったら、いきなりそんなことを訊くものだから、正樹は口に含んだコーヒーを噴き出していた。僕はそれを見て可笑しくて大声で笑ってしまった。

「いきなり何なんですかっ?」

「いきなりじゃねぇよ。この間も訊いただろうが」

「そうだっけ?」

「早くしてくれないと困るって言ってんだよ」

「何がですか?」

「それはよ、それはだな……てめぇ、俺に言わせるんじゃねぇんだよ!」

 そう言って、おやっさんは不機嫌そうに口ごもって奥の部屋へ入ってしまった。その様子を見ていた正樹は、何を怒っているんだろうと、ちんぷんかんぷんな顔をしていたが、僕が助け船を出してやった。

「おやっさんはね、正樹君の結婚祝いに指輪を贈ろうとしてるんだよ」

「えっ!?」

 大声を出した正樹に、僕は口に人差し指を当て「しっ!」と注意した。その後、正樹は急に黙り込んでしまった。よくよく彼の顔を覗き込んでみたら、なんだか目が赤かった。

「亮さん、亮さんもおやっさんのことをほんとの親父みたいに思ってるでしょ?」

 僕は黙って頷いた。

「おやっさんはいい人だね……」

 またもや僕は黙って頷いた、今度は笑顔で……。


第十一章に続く

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