96.白山茶房
今日はお父様に呼び出されて書斎に来た。書斎の応接用のソファーで、お父様が難しそうな顔をしている。
「そこへ座りなさい」
言われるがままに粛々とソファーに腰掛ける。怒られるような心当たりはない。それに、お父様が私を怒るなんてこと前世を含めてなかった。小学校受験で落ちた時でさえ、ただ静かに『残念だ』と言っただけだった。
しかし今、空気は緊張をはらんでいる。
「姫奈子、お前は白山茶房をどうしようとしている?」
「はい? 特に何も……」
「二月以降の売り上げが急に伸びだしている。今月は前年度の五倍だ」
「良かったですね!」
思わず喜べば、お父様は困ったように私を見つめた。
「だからその理由だ。姫奈子は白山茶房をどうするつもりだ? 何をしている?」
「私は特に何もしてないですが……」
今までどおり、白山家で自由になるお店として便利に使ってきただけだ。ホワイトデー用の手土産や低GIのお菓子などの開発だったり、華子様や蝶子様との女子会に使ったり。あとは、チョコちゃんへの差し入れなどに利用しているくらいで、売り上げに貢献するようなことをしてはいない。
お父様はテーブルの上にスクラップブックを置いた。そして、開いてみせる。そこには水谷千代子のインタビュー記事と、八坂君の小さなコメントが貼られていた。
「これにも心当たりはないか?」
「ああ、これは偶然チョコちゃんの撮影現場に出くわしたので、差し入れしたときのことだと思います!」
二月に偶然出くわした撮影は、水谷千代子と八坂晏司の親子コーデというもので、大人向け女性雑誌の企画だ。その企画後のインタビュー記事で、チョコちゃんは白山茶房のたい焼きと甘酒をべた褒めしてくれていたのだ。そして、八坂君の小さな記事はたい焼きを茶目っ気いっぱいにくわえている写真だった。多分、モデルのオフショットみたいな記事なのだろう。小さく手書き風に、#白山茶房 #ダイエットに最適 #でも美味しい なんて書いてある。
「そうか」
「わぁぁ、雑誌に取り上げられるなんて初めてですね! うれしいわ! 後でお礼を言っておかなきゃ! このチョコちゃんと八坂くんの親子コーデ、連載化されるって言ってました! 楽しみですね! 雑誌を買わなくっちゃ!」
ニコニコとお父様に笑いかければ、お父様は脱力したように笑った。
「手土産のアラレも順調な様だぞ」
「良かった! ホワイトデーのお返しに試作品を使ったんです。皆さんお気に召してくれたんですね」
「そうだったのか。あと、浅間様から菖蒲の花合わせに三色団子をと要望が入ったそうだ」
「あら、蝶子様お団子お好きだったんですね? もしお店が閉められるようなら、焼き立てを会場でご用意できるのに」
そう答えれば、お父様は大きくため息をついた。
「蝶子様とは?」
「うーちゃんの、浅間詩歌さんのおばあ様ですわ」
「それは私も知っている」
私は首をかしげた。
「そうではなく、なぜ姫奈子が浅間の大奥様を名前でお呼びしている?」
「あ! 蝶子様は華子様と一緒のチョコちゃん友達で、名前で呼ぶように言われました」
「チョコちゃん友達……」
「今度一緒にコンサートへ行くんです!」
「まさかとは思うが、華子様とは」
「はい! 氷川くんのおばあ様です」
お父様は目頭をぐりぐりと押さえて、頭を振った。
「財界の蝶と華に……なんてことだ……」
お父様が小さく呟く。
「お疲れですか?」
「ああ、そうだな……。突然疲れを感じた」
「大丈夫ですか? お休みします?」
「いや、いい。とりあえず、姫奈子。失礼のないように、くれぐれも失礼のないように!」
「はい!」
当たり前だ。元気いっぱいに答える。
「それとだ、姫奈子。白山茶房はお前にやる。花合わせの日を休みにするかどうか、お前が決めろ」
「は?」
「好きに使え」
「え?」
「後で実印を持って来い」
「ええっと?」
「さすがに店には立たせるつもりはない。店長はそのままだ。私がオーナーだったが、その名前をお前に変える。まぁ、何が変わるということもないが、最終決定権をお前にやるということだ」
「な、お父様!? 甘やかしにもほどがありますよ? 中学生に何を与えているのです? おかしいと思いませんか?」
「思わない。赤字でいいと、道楽に残しておいた店だ。それをここ半年ほどで立て直したのはお前だ。飲食の仕事をしてみたいといっていただろう。好きに使ってみろ」
「お父様!」
「不満か?」
「不満ではないですけど……不安です」
「成功など求めていない。困ったら私に返せばいい。やってみろ」
お父様は仕事をする目で私を見つめた。私はグッとおなかに力を入れる。
「はい。ありがとうございます」
ゆっくりと頭を下げた。
今日は、白山茶房に来て居る。お父様からオーナーを受け継いだ私が改めての挨拶という形だ。
白山茶房。白山家の原点ともいえる店なのだが、だからこそなのだろうか、白山家の個人的な趣味として残してきた店だ。存続させることだけが目的で、利益はもともと求めていない。逆に、白山グループが出し過ぎた利益を、こちらで吸収しているくらいである。
「お嬢さんがオーナーになるとはねぇ。確かにお嬢さんが無理強いする商品開発は面白いですから、納得ですが」
店長さんが屈託なく笑った。
「ありがとうございます。それで、困っていることはありませんか?」
「やっぱり人手が足りなくて……」
店長さんは困ったように笑った。
店長さんは職人さんで、店頭でたい焼きを焼いている。店長さんのお父様は、前の店長で今もお店で裏方として働いてくれている。お店のスタッフは、パートの人が多い。
今まではのんびりした職場だったので、それでもよかったが最近はお客さんが増えてさばくのが大変らしい。
「求人の方は出してるんですよね?」
「ええ、でも、平日昼間の求人は応募があるんですが、夕方や休日の求人はトンとだめで」
ため息をついて、店内を見渡す。
確かに、この店に若いアルバイトを呼ぶのは難しいと思った。なにせ、制服らしい制服はなく、私服に割烹着なのだ。お母さん世代ならともかく、私だって嫌だ。
馴染みのお客さんは年齢層が高いため、気さくに「おい! おばちゃん」なんて声をかけるものだから、若い子は眉を潜めていたりする。
それに、蝶子様の菖蒲の花合わせに行くのなら、格好つけていきたいではないか!
「制服を作ろうと思うんです。可愛い制服だったら応募が増えると思って」
「そんなもんで増えるんですか?」
「ええ! だって私も明治のカフェの女給さんみたいな着物にエプロンなら着てみたいもの!」
「私もそれを着るんですか?」
「もう一種類、作務衣を用意します。動きやすいように二部式にして、汚してもいいように洗えるもの。どちらか好きなものを着て貰えばいいかなって!」
「良くわかりませんが、面白いかもしれませんね」
私は了解を得て、地味目な藍色の絣の作務衣と、色々な色の入った縞の絣の二部式着物の制服を作った。白いエプロンをつけてしまうので、二部式でもわからない。それに揃いのヘアピンを用意した。小さいけれどよく見れば季節の花になっているのだ。
今日は制服着用の初日だ。放課後、少しだけお父さまから特別に許可をもらって接客に入らせてもらった。もちろん制服を着てである。
和帽子に作務衣姿の店長さんはキリリとして男っぷりが上がっていた。昔からいるパートさんにも新しい制服は好評で、お互いに髪を整え合ってヘアピンを挿している。女性で作務衣を選んだ人もストイックで美しい。
「姫奈子ちゃん! 凄いの! 今日は『おばちゃん』って呼ばれないのよー!」
パートさんが嬉しそうにウキウキと報告してくれる。
「バイトの問い合わせも今日だけで結構来ています」
店長さんも笑った。以前から店内に貼り出していたバイト募集のポスター自体は、張り替えていないのに効果をあげてくれたようだ。
白山茶房の閉店は早い。食事はないので17時には最終オーダーだ。
店を閉めてから、今日来た分のアルバイトの応募に目を通した。学生らしい女の子が多い。意外にも男の子もいた。カップルでの応募なのだろうか。
バイト先での恋愛とか、羨ましすぎるでしょ!? 私が面接するなら、絶対オトス!!
はっ、いけない、性格ブスはいけないのだ。
「いやー、お嬢さんのおかげですよ」
「いいえ、私も楽しかったわ」
エプロンを取りながら店長と笑いあう。
「服だけでこんなに変わるとはね」
「私も思った以上でした」
「採用はどうしますか?」
「店長とパートさんで一緒に働きたい人を選んでください。ただ短時間労働希望の人を多めに取った方がいいかもです」
「ああ、流行りすたりがあるからね、飲食は」
「そうなの。このブームも一過性かもしれないし……でも、職人さんで見込みがある人も探してね」
「ええ、わかりました」
片づけが終わって店を出れば、珍しくお父様が待っていた。
こっそり様子を見に来たらしい。相変わらずの過保護だ。
「疲れたか」
「楽しかったです!」
「そうか」
言葉少なく車に乗せられる。あまりお父様と隣り合って後部座席に座ることはないから、気恥ずかしい気もする。
「あの制服は、可愛いと思うぞ」
「ありがとうございます」
「よく似合っていた」
思わず頬が緩んでしまう。自分のアイデアが認められるのはとても嬉しい。
それに、もし没落するようなことになっても、これで少しは安心できる。自分の店なら少しくらい手伝ってもお父様も大目に見てくれるだろう。バイトの練習になる。
それに、少し貯蓄もできればありがたい。
「たまに手伝いに行ってもいいですか?」
「たまにだぞ。中学生の労働にはいろいろ制約があるからな。目立つのは良くない」
「……そうなんですね。勉強しないといけないことがあるのね」
「社員のためにも労働基準法ぐらい目を通しておけ」
社員のため、そんな言葉がお父様から出るとは思わなかった。前世はブラック企業の会長だったのに。
「わかりました。ありがとうお父様」
お父様が満足げに笑うのを見て、私は胸がいっぱいになった。







