9.父兄参観 1
私は今、決戦の時を迎えている。手の中には、学院から配られたプリント。
そう、父兄参観のプリントである。
私のお父様はワーカーホリック気味で、父兄参観はお母様がいつも来ていた。お父様は、強面なので私もお母様の方が良かったのだが。
今回はダメ。お父様に絶対来てもらう。
なぜなら、お父様に仕事の仕方を考え直して欲しいから。
前のようにブラック企業とか言われたくない。断固阻止!
成功を祈るために朝早くからお稲荷様に詣で、お父様の書斎をノックした。いつもは、私が起きる前に仕事へ出かけ、寝てから帰ってくる。そんな働き方は絶対にヤバい。しかもそれがトップなんて、どんな無茶を部下に強いているかわからない。
現に、綱のパパはそれに合わせていて、綱にろくに会えないのだ。綱にはママがいないから、寂しいに違いない。
「お父様、お願いがあります」
「手短に頼む」
むう。
「これを見てください」
「父兄参観か……お母様に行くよう伝えておく」
「嫌です」
キッパリと言う。お父様は怪訝な顔をした。
「お父様に来て欲しいの!」
「仕事がある」
「私より仕事が大事なの!? 娘の大切な日なのに、お仕事お休みできないなんて酷いわ! そんなことで潰れる会社なら潰れちゃえばいいのよ」
どこのメンドクサイ女だと思ったが、今回は負けられない戦いなのだ。なんでも使う。我儘娘の我儘を最大限に駆使する。
「お前が大切だからだ、わかりなさい」
「わからないわ! 私はお父様を自慢したいのよ! やっと入った芙蓉学院での初めての授業参観なのよ!」
そう怒鳴り散らせば、お父様はビックリした。
「自慢?」
「ええ、学院の給食はお父様の会社でしょ? 美味しくて評判なの。だから、お父様、お願い。私のお父様がやってるのよって言わせて?」
小首を傾げてあざとく言ってみる。こんなの、和くんぐらいにしか使ったことはないがはたして効果は……。
「……マーケティングと思えば、な」
あった!
「仕事のついでは嫌よ」
しかし、ここで折れたりしない。もう一押し。
「う、」
「ちゃんとお休みしてね。そして一緒にお茶してから帰りましょ? こんな忙しいお父様が、私のためにお休みするって。お休みしてもお仕事回せるのよって自慢するんだから!」
「姫奈子」
「……もしかしてできない?」
伺うように、上目遣いで見る。そんな無能な男ではないだろう? 言外に伝える。
「……できないわけなかろう」
「そうよね! やっぱりお父様素敵! でね、この日は綱のパパもお休みにさせて連れて来て欲しいの」
「生駒、か」
お父様は怪訝な顔をする。
「だって、綱はママいないじゃない。私のお父様だけ来るなんて、心苦しいわ」
しょんぼりして見せる。
「姫奈子……」
「私がお父様を自慢したいように、他の子だってパパを自慢したいでしょ?」
「……姫奈子は優しいな」
なんか、目頭押さえ出した。どうした?
「ねえ、お父様。お休み、ちゃんととって。私のために時間使ってくれなきゃ嫌よ」
「わかったわかった。その日は休む」
「絶対よ?」
「ああ、絶対だ」
「お願いね?」
「ああ」
「嬉しい!」
久々にお父様と出かける約束を取り付けて、心がウキウキする。
「ああ、姫奈子、授業の後はどこに行きたい?」
「お父様の新しいカフェがいいわ」
「私の?」
「ええ、私の授業参観の後は、お父様の授業参観よ」
悪戯を思いついてそう言えば、お父様は困ったような、それでいてまんざらでもないような顔で笑った。
「だったら、私も娘の自慢をしなくてはね」
父兄参観の日がやって来た。
お父様は、朝からお休みを取った。自慢の父になるべく、サロンで身なりを整えてからくるらしい。気合の入り方がすごい。
お母様はそんなお父様を微笑ましく見守っていた。
「姫奈子ばっかりズルい」
朝食の席で声を上げたのは、小学五年生の弟、彰仁だ。前世で『黙れ馬鹿デブス』と罵った男だが、今現在はただのショタだ。芙蓉学院初等部の制服は半ズボンなので、どちらかというと上質なショタだ。そう気が付いてしまってから、可愛くって仕方がない。
今のところ彰仁と私の関係は、以前ほど悪くはない。反抗期や思春期ごろから険悪になったので、これからというところだろう。
特に仲良くもないが、普通に兄弟げんかをする姉弟といったところだ。
これからもこれくらいの関係でいられるようにしなくては。
「俺の父兄参観には来てくれないのに、姫奈子にはいくの? 贔屓だ!」
珍しく一緒に朝食を取るお父様に、非難をぶつけたのだ。
いいぞ、彰仁よく言った! こうやってお父様を学校行事に引きずり込もう!
お父様は、気まずそうに眼をそらした。
「そうよね、彰仁もお父様を自慢したいものね」
私が言えば、彰仁は私を睨む。
はいはい、余計なことを言いましたね。あー、その睨み方すら可愛いわ、むかつくー。
「あら、次の父兄参観も行ってくださるのでしょう?」
お母様がにっこりと笑う。
「……あ、ああ。通知が来たら早く見せろ」
お父様はぶっきらぼうに答えた。
朝食後、彰仁がやって来た。ふくれっ面をしている。すでに反抗期に入ってきているのかもしれない。
「姫奈子はズルい」
開口一番これだ。なんだ、可愛いじゃないかムカつくな。
「お父様を困らせてよくないぞ!」
「困らせてなんていないわ」
「お仕事の邪魔だ」
「これくらいのことで、お父様のお仕事がどうにかなるわけないでしょ」
フン、と鼻を鳴らして見せる。そっちが突っかかってくるからいけない。私はそもそも性格が悪いのだ。可愛い弟なんかイジメたくなる。
彰仁は反論できずに口を噤んだ。
「私、帰りはお父様とカフェに寄ってくるのよ」
フフフン、と自慢するように言ってみる。
「楽しみだわぁ~」
そう言えば、彰仁はギっと私を睨みつけた。くっそー、かわいいー。
「なによ」
「姫奈子ばっかり……」
「なによ」
「芙蓉に中等部から入ったからって、頭がいいなんて言われていい気になってんじゃねーぞ!」
彰仁の言い草にカチンときた。
頭が良くてエリートなのは彰仁の方だ。しかも小学生の分際で、バレンタインのチョコをいっぱい貰ってくる。
私はずっと二つ違いの彰仁にコンプレックスを抱いていたのだ。
「は? なにそれ。嫌味なの? どうせ私は幼等部・初等部って受験を失敗した白山家の落ちこぼれよ。幼等部から芙蓉で初等部芙蓉会メンバーの彰仁は、褒め殺しすらお上手です事!! ちょっとかわいいからってそっちこそ図に乗ってんじゃないの?」
思わず言い返せば、グっと言葉を詰まらせて、彰仁は顔を赤くした。怒っているのだろう。
「姫奈子のばか!」
そう言って自分の部屋に帰っていった。さすが小五、まだまだ子供だ。
「お嬢様……」
呆れかえった声が背中に届いて振り返る。
「綱」
「お嬢様、アレは良くありません」
「わかってるわよ」
大人げなかった。
でも、姉弟げんかぐらいしたっていいだろう。家族なのだ。
「外の人にはしないわ、彰仁だから特別よ」
「……だから、」
綱は何かを言いかけて、大きくため息をついた。
言っても無駄、そんな感じだ。
「ねぇ、綱。今日は父兄参観なのよ。可愛く髪を結って?」
「はいはい、わかりましたよ」
綱は肩をすくめた。
「あと、お嬢様、ありがとうございます」
「?」
「父のことです」
「ああ! お父様の仕事しすぎが気になってるの。できるだけ休ませなきゃって。だから、気にせず生駒にも休むように伝えておいてね。生駒が仕事をしてたら、お父様も休まないもの」
あのお父様のことだ。自分だけ休むなんてできないに違いない。だから、生駒にも休んでもらうのだ。
「今日は私お父様と帰るわ。綱もパパとゆっくりしてらっしゃい」
「ええ、ありがとうございます」
綱は珍しくはにかんだように笑った。
きっと喜んでいるのだろう。綱を喜ばすことができた。そのことが私には嬉しかった。