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87.中等部二年 バレンタインデー 1


 選挙戦が終わり、バレンタインシーズンがやって来た。今年も今年で、八坂くんの予定を聞かれるが、私はマネージャーじゃないんですってば! 今年はクラスだって違うし!


 さてさて、今年も友チョコ交換のため買い物にやって来た。


 去年は百貨店のチョコレートコーナーだったのだが、今年はさらにチョコレート専門店への梯子をすることにしたのだ。美佐ちゃんのためにオーガニックなチョコを探すのだ。

 ちなみに綱は当然のようについてきている。


 今年だって一応一人で行けると言ってはみたけれど、お母様に「わかっているわ。でも綱守くんを連れて行きなさい」と言われた。


 全然わかってないと思う!!


 私と綱は、チョコレート専門店まで歩くことにした。途中に白山茶房があるので、ちょっとお茶をしようと思ったのだ。エレナさまのコートを着て来たので、街歩きをしたいというのもあった。


 初めから白山茶房に寄るつもりで、ステンレスボトルを持ってきた。お母様に甘酒のお土産を持って帰る予定である。お母様に甘酒の美容効用を話したら、茶房に寄る際には持ち帰るように厳命されたからだ。


 白山茶房は少し古風な店だ。

 扱っているものも、たい焼きだとかお団子だとか、日本の昔ながらのお菓子が多い。私たちは冷え切った体を温めるために、お汁粉を食べて一休みしてから、雪が降り出しそうな町に出た。


 少し歩けば街路樹の端にド派手なマダムが佇んでいた。

 二月だというのに大きなサングラス。毛皮のロングコートの下からは、バイカラーのハイヒールが足を出している。ゴージャスで迫力がある女性だ。


 しかし、私にはその女性に見覚えがあった。思わず声を上げる。


「チョコちゃん!?」


 サングラスの女性はいぶかしげにこちらを見た。隣に立つスーツ姿の男性も不思議そうな顔をした。


水谷みずたに千代子ちよこさんですよね?」


 恐る恐る尋ねれば、私の背後からワッと声が上がった。

 水谷千代子は三十代後半にして演歌界の大スターなのである。


「そうだけど、あなたは?」


 怪訝に尋ねられる。わからなくても仕方がない。もうずいぶん会っていないし、最後に会った時、私は小さな子供だったのだから。

 見慣れない洋服姿で自信がなかったが、水谷千代子を見間違えなかった自分を褒めてあげたい。


「白山姫奈子です。白山彰蔵(しょうぞう)の孫です」

「え!? ひーちゃん? しょうちゃんのひーちゃん?」


 ひーちゃんて、久しぶりに呼ばれた。

 

 家族の中でおじい様だけが私を『ひー』と呼んだ。それを知っているおじい様の友達だけが、私を『ひーちゃん』と呼んだのだ。そんな人たちともおじい様が亡くなってからは会うことはなくなってしまった。


 不意に懐かしかったことを思い出して、胸が熱くなる。


「はい!! お久しぶりです!」

「まぁまぁまぁ、大きくなったわねぇ……」


 水谷千代子は感慨深くそう言うと、サングラスを外した。


 ガヤガヤと周りから声が上がる。本当に水谷千代子だ、どれどれ、なんて野次馬が話している。きっと今まではイメージにない洋装姿で周りも気が付かなかったに違いない。


「相変わらず、すごい人気ですね!」


 私が思わず感嘆すれば、千代子(ちょこ)ちゃんはとくいげに顔をあげ、髪をかきあげた。


「そんなことないわよ」


 の良い姉御風に答える。


「今日はどうしたんですか?」


 見違えた服装に聞いてみれば、千代子ちゃんは顎をしゃくりあげて少し先の人だかりを示した。

 中心には八坂晏司。その周りをプレゼントを持った女の子たちが取り囲んでいる。


 うん。見えなかったことにしよう。


「婦人誌のモデル撮影よ。あの子の母親役なんですって。ママと息子のデートコーデとか何とか」


 水谷千代子は不機嫌に吐き出した。


「あのモデルのせいで押してんのよ。こっちは春コーデで寒い中待たされてるわけ」


 この毛皮のコートの下は春用の衣装なのか。それはちょっと気の毒である。


「あのこれ」


 私は持っていたステンレスボトルを差し出した。今回はお母様に我慢してもらおう。


「白山茶房の甘酒です。持ち帰り用にして貰ったもので、口をつけていないので良かったらこのまま貰ってください。チョコちゃん、苦手でしたか?」


 そう言って差し出せば、ぱぁぁっと顔を輝かせた。


「大好きよ! ありがとう!」


 側にいたマネージャーがボトルを開けて甘酒を注ぐ。水谷千代子は満足げに微笑むとそれを受け取って、口にした。


「ああ、身体の芯から温まるわぁ……。彰ちゃんが逝ってから、ずいぶんご無沙汰していたわねぇ」


 しみじみとした声に私の心まで温まってくる。


 私のおじい様 白山彰蔵は、水谷千代子のとんでもない谷町タニマチだった。ミカン箱の上での営業の頃から、衣装はすべておじい様が用意して、宿泊場所から移動手段まですべて手配していたらしい。

 私が小さい頃は良くコンサートに連れて行ってくれた。水谷千代子のコンサート会場には子供席があったのだ。そして、その後には決まって楽屋にお邪魔していた。最後に会ったのはおじい様のお葬式だったと思う。六歳になったかならなかったかの頃の私は、ファンクラブだとかそういったものを知らなくて、そのまま疎遠になっていた。CDだけは買って聴いていたが、誰もコンサートには連れて行ってくれなかったのだ。


「どうせママ役をやるなら、あんなモデルじゃなくてひーちゃんが良かったわ」


 千代子ちゃんはご機嫌斜めである。


「昔は彰ちゃんのようにファンを躾けてくれる人もいたけれど、今はダメね。ファンの質を見れば本人の質もわかるってもんよ」


 確かに千代子ちゃんのファンは声をかけることなく遠巻きに見ている。


 私は自分の図々しさに気がついて、慌てた。


「あ、わ、私も馴れ馴れしくてすみませんでした」

「やだ、ひーちゃんは良いのよ。丁度休み時間だもの、まぁ、あの子のせいだけど」


 千代子ちゃんの不機嫌はなかなか怖い。


「ひーちゃんは、あっちに行かなくて良いわけ?」


 試すように尋ねられる。


「八坂くんは見飽きてますから興味なくて」


 私が即答すれば綱が後ろで小さく噴き出した。


「見飽きる?」

「ええ、同級生なんです。いろいろ生意気だと思いますけど、あれでも彼なりに頑張ってると思うので大目に見てください」


 ペコリと頭を下げた。八坂くんには、選挙の際の借りがあるのだ。大スターの反感を買って、今後の芸能活動に支障が出ても困る。


「ふーん。ひーちゃんの友達なら今回は大目に見てあげてもいいわよ」

「ありがとうございます」


 私は綱に目配せをした。気晴らしになるように、差し入れを届けようと思ったのだ。


「スタッフさんてどれくらいいるんですか? もしお邪魔じゃなければタイ焼きを差し入れしたいんですけど……」

「うそ! 本当? 嬉しいわぁ! 六角! スタッフの人数わかる?」


 千代子ちゃんはマネージャーを呼びつけた。


「綱は六角さんから話を聞いて電話してもらえる?」


 私は綱にお願いした。綱は静かに頷く。


「なぁにぃ? かれしぃ? イケメンじゃない。あのモデルに興味ないのもわかるわぁ」


 千代子ちゃんは冷やかすように肩をぶつけてくる。


「や、やだ、違いますよ!」 

「やだぁ、違うのォ? バレンタインデートでしょ?」

「ただの幼馴染です!」


 思いっきり否定する。何故だかほっぺが熱くなって堪らない。耳までジンジンと熱くなる。


 綱が彼氏に見えるとか! ないないない! ありえない。


 チラリと綱を見やれば、綱は話が聞こえないのかいつもの顔で電話をしていてホッとした。


「そう? 息ピッタリじゃない」

「いつも怒られてばっかりなんです」


 幼馴染だから当たり前の様に面倒を見てくれるだけだ。それ以外の理由なんかない。


 口にして少しだけ胸がチクリとした。なんでだろう。


「十分ほどで届くそうです」


 電話を終えた綱が私に声をかけた。


「ありがとう」


 礼を言えば、綱がニコリと笑った。


「折角なので、姫奈の開発したものも入れてもらいました」


 さすが綱だ。


「ひーちゃんが開発したの?」


 千代子ちゃんが興味深そうに私を見た。


「はい! 白山茶房は私でも少し自由にできるところがあるので、アガベシロップで餡子を炊いてみたんです。皮にはそば粉を入れてみました」

「珍しいわね」

「良かったら味見をしてみてください。低糖質なので罪悪感少なめになっています」

「楽しみね」


 そんなふうに話をしていれば、白山茶房からタイ焼きが届けられた。温かいうちにと、マネージャーの六角さんが配って歩く。それが良いきっかけになったようで、八坂くんもファンの子たちから解放されたようだった。

 撮影が再開されるらしく、チョコちゃんはメイクさんの元へ戻っていった。


「ありがとうございました」


 マネージャーの六角さんが頭を下げる。


「洋装の水谷は注目されず、だいぶ機嫌が悪かったんです。声をかけて頂けて助かりました」


 チョコちゃんは八坂くんのせいのように言っていたけれど、不機嫌の理由は別のところにあったらしい。

 誰よりも注目を集めたいというのが、チョコちゃんらしくて思わず笑ってしまう。


「いいえ。お役に立ててうれしいです」


 私はそう答え、八坂くんに気が付かれないうちにと、そそくさとその場を後にした。


「だいぶ遅くなってしまいましたね。急ぎましょうか」


 綱が私の顔を覗き込むようにしたから、なんだかドギマギしてしまう。チョコちゃんに彼氏だなんて言われたから変に意識してしまうではないか。


「あ、うん、そうね?」


 慌ててチョコレートショップへ向かおうと方向転換をすれば、綱に手を引かれて驚く。思わず慌てて手を振りほどいた。


「な? なにっ? 急に!」

「なにって……、方向が違いますよ?」


 綱はキョトンとして私を見た。


 過剰反応、だ。


 思わず頬を両手で包み込んで俯いた。顔が熱い。


「ごめんなさい」

「いいえ? いつものことでしょう?」


 当然のことのように綱が呆れ顔をした。


「いつものこと……、そうね、いつものことね」

「姫奈が意味不明なのは」

「……意味不明って……」

「猪突猛進? ですか?」

「そんなことないわよ!」

「突然の『チョコちゃん』には驚きましたよ」


 綱に言われて反論できない。ムググと唸るだけである。


「さあ、行きましょう? 美佐様のチョコレートを選ぶのでしょう?」


 そうだ。チョコレートを買いに行こう。


「案内して、綱」


 そう言えば綱は苦笑いをした。ふいと方向転換をして見せた背中が大きい。


 なぜだかそれが少し寂しかった。





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