85.立会演説会
今日は立会演説会だ。体育館に全校生徒が集められ、応援演説の後、立会演説、そして質疑応答が行われる。応援演説をする私たちも、立候補者と共に舞台袖に集められていた。
大黒典佳に思いっきりガンを飛ばされる。大黒さんの応援演説をする子が、私を見て鼻で嗤った。
「文化祭であんな目にあったのに勇気あるわね」
「本当に。おさすが」
二人はコソコソと笑いあった。
私はサッと血の気が引くのを感じた。嫌なことを思い出してしまったのだ。
今日こそはちゃんとしなくては。明香ちゃんに迷惑をかけてしまう。いつもより、きちんとしなくては。できるだろうか。
私が失敗したら。明香ちゃんが落選したら。
覚えたはずの演説が、頭の中でバラバラと分解していってしまう。怖い。
指先が震える。壇上に上がる階段が黒くゆがんで見えた。
明香ちゃんがチラリと私の顔を見て、穏やかに笑う。緊張なんてみじんも感じさせない表情だ。そうして、キュッと私の手を握った。
「大丈夫よ。皆、姫奈ちゃんが何かやらかすのを期待してるから。失敗しても、私に同情票が入るだけよ」
八坂くんがそれを聞いてクスクスと笑った。氷川くんは驚いたように瞬きをして、明香ちゃんと私を見比べる。綱はもっともだといわんばかりの顔で頷いた。綱のいつもの表情にムッとした。
「なにそれ? ここへきて貶されてる?」
「そんなことないわよ。褒めてるわ。失敗したって失敗にならないなんて才能じゃない」
明香ちゃんが笑う。
「褒めてるように聞こえないんですけど?」
「気のせいよ」
ムーっと頬を膨らませれば、明香ちゃんが私のほっぺを押す。そこで、私の名前が呼ばれた。ハイと答えてさやちゃんに宣言する。
「見てらっしゃい! さやちゃんが恥ずかしくなるくらいほめ殺してあげるんだから!!」
私はそう言うと、舞台への階段を踏みしめた。
明るい舞台の光を浴びれば、反射的に背筋が伸びる。レッスンの効果だろう。
トレーナーの声が頭の中で問いかけてくる。
何のためにここにいる? どうしたくてここに立つ? 誰のために?
マイクの前で息を吸った。眼下に広がる人の波に、もう青いリボンは見えなかった。
応援演説と立会演説会はつつがなく終わった。そして、残すは質疑応答である。立会演説で表明した公約について、生徒からの質問に答えるのだ。
舞台にはパイプ椅子が並べられている。立候補者の後ろに推薦人が座る。私は当然、明香ちゃんの後ろだ。舞台上には緊張感漂う空気が流れている。
綱は真っ直ぐと前を向いて、壇上を見上げてくる沢山の目に怯えることもなく対峙している。いつからこんなに凛々しくなったんだろう。
私は胃が痛い。
なにせ、三峯くんの『芙蓉館を一般生徒にも開放する』という公約が、大反響を巻き起こしていたからだ。生徒の大部分は三峯くんの公約に好意的で、体育館の雰囲気は三峯くんよりになっていた。
芙蓉会サイドは剣呑な空気になっている。
「氷川候補は芙蓉館を開放することについてどのようにお考えですか?」
三峯くんが穏やかに問う。氷川くんは表情も変えずに回答する。
「現実には不可能な公約だと感じる」
「それはどうして?」
「芙蓉館に関する予算は寄付金で賄われている。生徒会の介入は難しい」
「それをどうにかする力量がないと受け取ってもいいですか? 現在、芙蓉館が芙蓉会だけの施設として存在することが、生徒内の不満になっていることを、もしかしてご存じないとか?」
優位に立とうとする三峯くんに、氷川くんは静かに微笑んだ。
「私は今年度会計として予算を見てきたが、現実的ではないという話をしているだけだ。再度言うが、芙蓉館の運営は寄付金が主になっている。芙蓉館が一般に開放された場合、利用者数から見て現在の寄付金では運営が不可能だ」
「現状のサービスを維持する必要はないのでは? カフェのレベルを落とすなど、考えることはできますよね? もしくは、平等を取って閉鎖することも」
三峯くんの質問に、氷川くんがため息をついた。
三峯くんの言わんとしていることはわかる。だけど、現実的ではない。
「白山さんはいかがお考えですか?」
突然私を指名してきたのは大黒典佳だ。
流れ弾だ。か、勘弁してほしい。私にそんな予備知識はない。
「白山さんは候補者ではありません」
明香ちゃんが答える。綱が大きく頷いて同意を示した。
そうだ! 私は候補者じゃない!
「そうですけれど、外部生はどう考えられているのかなと思いまして。外部生の癖に芙蓉館に入り浸っている白山さんは、もちろん現状にご不満でしょう?」
大黒さんは悪意いっぱいで私を嘲笑う。
私は小さく息をついた。視線が集まるのを感じる。氷川くんも、淡島先輩も、八坂くんも私を見ている。綱は目の奥で心配そうに私をうかがった。
綱のための大舞台。綱に心配をかけてはいけないのだ。
推薦人としての意見はないが、外部生としての見解なら私だって答えられる。私はグッとお腹に力を込めた。
「一外部生として、と言うのであればお答えいたします」
「構いませんわ」
大黒さんは悠々と頷いた。
「私は、一般生徒への芙蓉館の開放もしくは閉鎖は過剰要求だと思います」
私が言い切った瞬間に、体育館がザワザワとする。
「どうしてよ! 同じ生徒なのに差別があるのは可笑しいでしょう!? 文化祭でも芙蓉館で練習されて特別賞までいただいていたようですけれど? 私は芙蓉館に入れずに音楽室での練習を余儀なくされましたから、思うような結果を得られなかったわ! 芙蓉会だけ特別な部屋が使えるなんて不公平じゃない!」
大黒さんが反論する。
確かに一般論で考えれば、教育現場にランク付けがあからさまにあることは、良くないのかもしれない。実際私は前世で捻くれたし、差別も逆差別もある。
しかし、だ。
「芙蓉館を解放することは芙蓉会の存在感を弱めます。芙蓉会のない芙蓉学院のブランド価値は下がるわ。そのリスクを取れますか?」
芙蓉学院は、もちろん教育的にも申し分のない学院ではあるが、それだけなら芙蓉学院でなくてもいいのだ。それこそ、桜庭女学園でもいい。ランクがあからさまにされるのが嫌ならば、違う学校を選べばいい。公立へ行けばいいのだ。
内部生は自分で考える前にお受験させられているから気が付かないのだろう。親が勝手に入れた、そうにしか思えないのかもしれない。
だけど私が桜庭女学園でなく、芙蓉学院をわざわざ外部受験した理由。
芙蓉学院には、将来的に芙蓉グループでの活躍、ひいては日本経済を引っ張ることを期待される子供たちが集まるから。そう、芙蓉会があるからだ。
芙蓉会では、小さいころからリーダーとしての資質を問われ、振る舞いを叩きこまれるのだ。学院生活を小さな社会として、人の上に立つ経験を積ませる。そういった人材の育成を期待するからこそ、保護者は寄付金を惜しまないのだ。
それに、自分自身が芙蓉会に入れずとも、学友や友人になれるかもしれない。なにも友達になんてならなくてもいい。同窓会や、校友会で将来的に顔を合わせることができるだけで、十分利益になるのだ。
それは親だって同じだ。子供を通じて関係を作りたい。そう思っている親だっている。
だから私は芙蓉学院を受験した。氷川くんと知り合うために、未来の日本を担う人間の妻となるために。
「あと、文化祭の練習の件ですが、防音室の方が環境は良いですよ? 談話室のピアノはアップライトですし、指揮者伴奏者は芙蓉会の方が多いので、混みあっていますし。一般学生の練習の場を奪わないためにも、芙蓉館があるのでは?」
体育館が静かになった。大黒さんは顔を真っ赤にしている。
「もし、カフェスペースが欲しいという理由で芙蓉館の解放を望むなら、図書館の飲食スペースのメニューを増やすだとか、チュートリアルルームへの飲食物の持ち込みの許可を求める方が良いと思います」
「どうせ、自分がベスト入りだと思って他人事なんでしょう! ばっかじゃない!!」
大黒さんが吠えた。私もカチンとくる。
「芙蓉館でカフェしたいからってベストを目指すとしたら、そっちの方がよっぽど馬鹿げてるわ! あいにくと私、お金には困ってないの! 芙蓉館なんかより、お気に入りのカフェで、好きな友達と過ごすほうがよっぽど楽しいわよ! 当たり前でしょ!?」
怒鳴り返せば、三峯くんと八坂くんが噴出した。生徒会席で淡島先輩まで笑っている。綱は小さく下を向き表情を隠した。多分笑っているのだろう。
明香ちゃんの背中が小刻みに震えているのがわかった。
体育館の中に笑い声とざわめきが広がる。
ヤバい。やらかした。やっぱりやらかした。
「静かにしてください。質問は以上でしょうか」
議長が間に入った。
大黒さんは口をへの字に曲げた。三峯くんは無理やり笑いをかみ殺し頷く。氷川くんは取り澄ました顔で、鷹揚に頷いた。
これで質疑応答は終了になるらしい。
私は、ホッとして大きくため息をついた。
おっかない。選挙、まじでおっかない。







