84.選挙運動が始まった
結局、何度か草案を書き直し、やっと葵先輩から許可が出た頃には、選挙運動期間直前になっていた。
私も連日早朝から明香ちゃんの隣に立って応援に励む。一月下旬の朝夕は寒い。吐く息が白い。顔を見せないといけないから、マフラーはつけられない。綱はそんな寒さを微塵も感じさせずにキリリとしている。
連日のレッスンのおかげか、綱の立ち姿は以前に増して堂々としたものだ。もともとの良い声は、一層磨かれて挨拶も良く響く。きっととても努力をしているのだろう。
朝の選挙運動が終わったら、花瓶の水を入れ替える。朝から水が冷たいが、どこのだれか知らない人の好意を邪険に扱うわけにもいかない。
選挙期間中には、ブロンズの昇降口に私の黒歴史『バナナ事件』の怪文書がばらまかれるなど、妨害工作などあったおかげで、ブロンズの男子からもバナナ姫先輩と呼ばれる始末である。
まったくもって不本意極まりない。白山姫奈子は芙蓉学院のお雛様であるべきなのだ!!
選挙運動がこんなに大変だったとは、本当に知らなかった。
前世? 氷川くんの応援してませんでしたよ? 芙蓉会から邪魔者扱いされて仲間に入れてもらえなかったから、スネまくって氷川くんのおばあ様の病室に入り浸ってました。
そんなこんなで怒涛の選挙運動期間を乗り越えて、明後日は投票日、明日は立会演説だ。
「白山姫奈子さん」
呼び掛けられて振り替えれば、三峯くんだ。変なことを話してはいけないと身構えた。
口にチャック。口にチャック。
「はい?」
「明日は応援演説だね」
「はい、緊張しますね」
「緊張するの?」
「しませんか? 私は経験がないので緊張します」
「じゃあ、なんで推薦人を引き受けたの?」
「当選させたい人がいるからだけど」
当たり前のことに当たり前に答える。質問の意味が良く分からない。
三峯くんは私の瞳をジッと見つめた。真意を量っている。そんな感じだ。
「他人のため?」
「自分のためよ?」
なんでこんなことを聞かれるんだろう。頭の中がハテナでいっぱいだ。
「だって、こんなの面倒なだけで何の得にもならないでしょう? 何か得になることがあるわけだ?」
三峯くんがニヤニヤと試すように尋ねた。
「それなら三峯くんも同じじゃない? 会長に立候補なんて、なんの得にもならないどころか損じゃない? 先生に言われても私だったら絶対に断る話だわ。負け戦を押し付ける先生も先生よ。可哀そう」
三峯くんは私の言葉を聞いて、薄く笑った。
「白山さんて、ナチュラルに失礼だし、生まれつきの傲慢だよね?」
「どういう意味よ」
ムッとして睨みつける。
「オレが落ちると決めつけてる」
言葉にされてハッとした。
でも、だって、みんなそう思ってる。氷川くんには敵わないって、そう思ってる。三峯くんだってそう思っているのだと思っていた。
「それは、氷川くんを妄信してるから? それともオレを馬鹿にしてる?」
「三峯くんのことを馬鹿にしたつもりではなかったの。失礼な態度でごめんなさい」
私は慌てて頭を下げた。
今から勝負をする人に、少なくとも初めから勝負にならないなんて、口に出すべきではなかった。
「ゴメン、冗談冗談。みんなそう思ってるよね」
三峯くんは笑った。
「でも、オレにはちゃんと得があるんだよ」
「そうなの?」
「芙蓉会を除いた中で、教師に一番信頼されている証だからね。それがみんなに表明される。可哀そうじゃないよ」
胸を張って答える三峯くんは堂々としていて、今から負け戦をしに行くようには見えなかった。私はなんて失礼なことを言ったんだろう。
「そう、そうね。気が付かなくて浅はかな物言いでした」
「それに、オレ、負けるつもりないし」
ニヤリと笑う。
「もしさ、俺が会長になったら白山さんベストにしてあげるよ。だから俺に投票してよ」
「いやです!」
私は即答した。
「応援しろって言ってるわけじゃないし」
「いやです」
「葛城さんの手前?」
「ベストが嫌なんです!!」
なんなんだ。どうしてみんなそんなにベストになりたがる? 私には理解不能だ。
三峯くんは驚いたように私を見た。
「もしかして、白山さんのほうが断ってるの?」
「当たり前でしょ? メンドクサイ!」
三峯くんはそれを聞いて、笑い出した。
「そっか、だから生駒も断ったんだ。勧誘条件が合わなかったんだな、で、葛城さんの条件は何だったの?」
「条件なんてないですよ。さやちゃんは私の友達です。頼まれれば断れません」
そう答えれば、三峯くんはさらに笑った。
「友達? マジで?」
「それこそ失礼ですね! 私には友達の一人もできないとでも?」
「いやいや、そうじゃなくて、あ、そう、友達、かぁ……」
三峯くんは掌で唇を覆って、意外だななんてモゴモゴと呟いた。しかもめっちゃ笑ってるし。
案外失礼な奴だな?
「もういいですか? 失礼します」
頭に来て踵を返す。なんなんだ、もう。
「明日!」
三峯くんが声を上げた。私は足を止めて振り返る。
「お互いに頑張ろうね」
三峯くんは笑顔で私に手を振った。悪い人ではなさそうだ。
「はい。負けません!」
私はそう答えると、三峯くんに背を向けた。







