83.選挙って大変ね
筋肉痛である。頬も唇も舌も、腹筋も背筋も太ももも脹脛も筋肉痛である。あれから、選挙が終わるまでは週に二日トレーニングをこなすことになった。
自主トレ用のメニューも課せられ、呼吸法の改善をしている。
流石の綱ですら疲れを見せていた。応援だけの私ですら大変なのだ。トレーニング以外の打ち合わせもある綱は、もっと大変なのだろう。
八坂くんに文句を言おうと思ったら、逃げられた。ついでに、葵先輩と明香ちゃんにつかまった。
応援演説作成である。
ああ、しんど。
「明香ちゃんが書いて? 得意でしょう? 私は頑張って覚えるわ」
グッタリとしてそう言えば、葵先輩がため息をついた。葵先輩は明香ちゃんのブレーンなのだ。
「姫奈子さん……それはダメよ?」
「葵先輩」
「あなたが、明香さんの、どこを、皆さんに伝えたいの? どうして明香さんを推薦するの? それはあなたにしかわからないでしょう?」
葵先輩、正論すぎます。だけど、上手い文章なんて考えられない。しかも、応援だよ? 応援……。無理すぎる。
葵先輩は歴代の応援演説資料を私に手渡した。
「これを参考に考えてみて?」
うへぇ……。これを読むのか……。
思わず白目をむけば、明香ちゃんが笑った。
「姫奈ちゃん、私をお菓子だと思ったら?」
「お菓子?」
「そう。みんなに買ってもらうには、姫奈ちゃんだったらどうしたらいいと思う?」
明香ちゃんが私の顔を伺うように見た。
「さやちゃんがお菓子……」
「果物でも、何でもいいけれど……何か食べ物に例えるなら?」
オールマイティーな明香ちゃん。頼りになって、皆からの相談を嫌な顔一つしないで受け入れる。
そんな明香ちゃんを食べ物にたとえるなら。
そうだ!
「さやちゃんって小麦粉みたいよね」
そう呟けば、葵先輩はきょとんとして、明香ちゃんは噴き出した。
「どうしてそう思うの?」
葵先輩に尋ねられる。
「だって、どんな要求でもうまく応えてしまうから。しょっぱい相談も、あまーい打ち明け話も得意でしょ? ウドンを作ったかと思えば、ケーキだって作れる。ご飯にもおやつにも、洋風にも和風にもなれる万能選手だわ。調味料みたいにこれがないと困るとは思わせないけれど、どんな家庭でも、絶対に必要でしょ? 私、無人島に何か一つ食べ物を持っていけるって言われたら、絶対に小麦粉を選ぶわ!」
思わず力説してしまった。明香ちゃんはそれを聞いて顔を真っ赤にして目をそらした。葵先輩は柔らかく微笑む。
「そうね、それを書いて欲しいの」
「……はい?」
「そういうことを書いて欲しいのよ。姫奈子さんから見た明香さんの売り込みたいところよ」
「だって、皆、知っていますよ? 私なんかが言わなくても」
「そうかしら? 私は知らなかったわ。明香さんが小麦粉だってことも、小麦粉がそんなに大切だってことも」
ゾクリとするほど嫋やかな声に、震えが走る。葵先輩は美しく微笑んだ。まさしく女王。いや、女帝の風格である。
明香ちゃんと二人、葵先輩に圧倒される。言葉が出ない。
「姫奈子さん、明日までよ? 明日までに草案を持ってらっしゃい」
有無を言わせぬその言葉に、私は無言で頷いた。
今日は二回目の公示日だ。今からピロティに立候補者のポスターが貼り出される。私たちはそれを見にやってきていた。三峯くんも大黒さんもピロティに来ていた。
前評判はいろいろ噂が立っているが、対抗馬が正式にわかるのはポスター掲示によってである。
会長は噂通り、三峯くんと氷川くん。皆納得の声を上げる。三峯くんは困ったように肩をすくめた。
女子の副会長候補は、大黒さんと明香ちゃん。大黒さんが顔を上げて髪をかき上げた。少しのザワメキが起る。
私が明香ちゃんの推薦人なのが意外なようだ。それはそうだろう、私だってそう思う。視線が痛く縮こまれば、明香ちゃんがニッコリ笑って私の腕にくっついた。
そうだ、不安な顔なんて見せてはいけない。
私は明香ちゃんに微笑を返した。明香ちゃんは満足げに頷く。
そして、男子の副会長候補が張り出されたとき、ピロティはどよめいた。立候補者は、綱と志倉くんという人だ。志倉くんの顔が思いつかないから、クラスが一緒になったことはないのだろう。
しかし何といってもどよめきの理由は。
「晏司くんがなんで生駒くんの推薦人なの!?」
大黒典佳が叫ぶように金切り声をあげた。
八坂くんは仕事で忙しく、この場にはいなかった。噂も一切出回っていない。それはそうだろう、八坂くんと綱は犬猿の仲、と言うのが共通認識だったからだ。
淡島先輩と明香ちゃんが、どす黒い顔でニンマリと笑った。……この人たち、絶対敵にしたらアカンやつ。
「八坂と生駒って仲良かったんだ?」
三峯くんがやってきて尋ねられた。
私はニッコリと笑う。
「嫌よ嫌よも好きのうち、ってあるでしょう?」
ドヤァと答えれば、三峯くんは目をパチクリさせている。
あれ? なんか違う?
「姫奈ちゃんそれは……ちょっと」
明香ちゃんが隣で小さく噴き出した。
「ああ、違いますね? 喧嘩するほど仲が良い、でした!」
誤用を訂正したら、三峯くんも噴き出した。何故か周りがザワザワしている。
綱がこちらを向いて顔を顰めた。
こら、綱。協力してもらってるんだから、選挙期間中くらい仲良くしなさいよね?
「そうなんだ。すっかり、白山さんが生駒くんを推薦するんだと思ってた」
「私はさやちゃんを推してます。清き一票を葛城明香によろしくお願いします」
私はペコリと三峯くんに頭を下げた。
「では、俺にも清き一票をお願いします」
三峯くんに頭を下げられた。
多分、氷川くんの圧勝になるだろうから、私が一票をいれても問題はないだろう。それに、あまり大差がついても可哀想だ。
「そうね、」
いいわよ、と答えようとした瞬間、明香ちゃんに腕を引かれた。
「姫奈ちゃん、選挙期間中に軽率な言動は慎んでね?」
メチャメチャ怖い顔で睨まれた。
「は、はい……」
圧倒されて返事をすれば、三峯くんが笑った。
「ちょっとした冗談だよ」
三峯くんは爽やかに笑うと、去っていった。
「姫奈ちゃん」
明香ちゃんに睨まれる。
「ごめんなさい」
私は素直に謝った。
明香ちゃんはため息を吐いた。そして、小さな声で囁く。
「最終的に姫奈ちゃんが誰に入れるかは自由よ。でもね、あそこで姫奈ちゃんが三峯くんに入れると言えば、姫奈ちゃんは氷川くん側でないと思われるわ。下手したら、私も生駒くんもよ」
指摘されてゾッとする。余りにも軽率だった。
「本当にごめんなさい」
真摯に謝る。
「わからなかったんでしょ? 良いわよ。でも、選挙期間中は特にお口に気を付けてね」
明香ちゃんがチャックで閉じるように私の唇をなぞって笑った。
軽率。本当に私は軽率なんだよなぁ……。
自分の浅はかさにガックリと項垂れて、私たちは教室に戻った。
翌日は早朝から選挙運動が始まった。
選挙運動を終えて、いつもより遅く教室に帰れば、二階堂くんが私の机から大きな花瓶を持ち上げたところだった。真っ白な花が沢山活けてある。
教室がザワリと音を立てた。
「あ、バナナ姫、早かったな」
二階堂くんが目を泳がせながら言う。
「何? そのお花」
「いや、その」
紫ちゃんが困ったように私を見た。
「あの、姫奈ちゃん、仁くんは花瓶を退かそうとして」
あ、さりげに名前呼びなのね? いいですけど!
「選挙のお祝いのお花なの?」
キョトンとして思わず問う。そうでもなければ、私の机に花を活ける理由が思い当たらない。
「あ、うん、そう、じゃないの」
二階堂くんが歯切れ悪く答えた。
「でも、普通は立候補者に贈るものなのにね? 面白いわねー」
不思議に思って笑うと、二階堂くんが脱力したように答えた。
「選挙事務所扱いじゃない?」
「ああ! それなら納得ね! 親切な方がいるのね?」
ポンと手を打つ。
「でも、流石に机の上は邪魔だと思ったから、動かそうとしてたんだ」
「そうなのね。ありがとう」
ニッコリ笑えば、クラス中に脱力したようなため息が充満した。
何?
思わず振り返って綱を見る。綱は困ったように笑った。
「え、何? なにか可笑しい?」
「いいえ。姫奈はそのままでいてくださいね」
「なにそれ」
不服に思って綱をにらめば、二階堂くんも、氷川くんも、同意を示すように頷いた。
………だから、なにそれ!







