82.レッツ!トレーニング!
今日は綱と一緒に、八坂くんに連れられて、八坂くんのお母様のサロンへやって来た。
ボイストレーニング等のレッスンのためである。
八坂夫人が経営するお店の一つに、ミス・ユニバースのパフォーミングパートナーを務めるトレーニングスタジオがあるのだそうだ。
そこで綱と私は、人前に立つメソッドを叩きこまれるらしい。
スタジオの中では、八坂夫人とキリリとした美女トレーナー、さらに精悍なイケメントレーナーが待っていた。
緊張して頬が強張る。
三人は私たちを頭のてっぺんから足のつま先まで舐めるように見た。
「素材は十分ね」
八坂夫人はそう言うと、綱にイケメントレーナーを、私に美女トレーナーを紹介した。
「二人とも時間がないからみっちりやるわよ」
八坂夫人はとても楽しそうに言った。八坂くんはそれを見て、顔をこわばらせた。
「姫奈ちゃんも生駒も覚悟した方がいいよ」
え、ちょっと、何それ?
「お手柔らかにお願いします」
オドオドとお願いしてみる。
「なにを言っているの。そんなことではワールドワイドな美しさを手に入れられないわ」
美女トレーナーがにこやかに笑った。真剣なまなざしが怖い。やってやるぞ感が滲み出ている。
「あの、選挙に勝てればいいんです。ワールドワイドとか……」
オロオロと希望を伝える。応援演説さえ無事に終わればいい。
「冗談を言わない! やるなら一流の女になるのよ。自分史上最強になるのよ! 私がやったからには、時間が足りなかったなんて言い訳はさせないわ! みっちりやるわよ! 完璧にね!!」
ニッコリと微笑んだトレーナーに首根っこを掴まれて、私はトレーニングルームへ引きずられていく。
「いやぁぁぁ! 私は素敵な旦那様に桜デンブでハートを描いた愛妻弁当を作って、子供たちのオムライスにはケチャップでパンパンマンの絵を描くような、そんな平凡な結婚がしたいんです~!!」
私の悲痛な叫びは、「ヤダそんなの無理よ」という八坂夫人の高らかな笑いともに、防音壁に遮られた。
「明日詳しく教えてね」
八坂くんはそう笑うと、逃げるようにサロンから出て行った。酷い。
そこから先は……地獄、地獄だった。そう、地獄は死んだ後に見るんじゃない、生きている今に見るものだ。
トレーナーとマンツーマンでのボイストレーニングは、箸を咥えたり、ペットボトルを咥えたりで、美女とは程遠いレッスン風景である。
仮にもお嬢様なのだ。こんなことしていていいのか? こんな姿男子に見られたらお嫁に行けない……。
半泣きになりながら腹式呼吸と、発声方法の基本を教わる。口やほっぺたが攣りそうだ。
基本のボイストレーニングが一通り終われば、ウォーキングのメソッドだそうだ。
足の形がはっきりわかるように短パンに履き替えさせられ、膝の上の肉に注目されてしまった。心がえぐれる。
ウォーキングはいい、まぁ、いい。でも、ハイヒールでやる必要めっちゃなくないですか!? 学校の上履き、ぺったんこですよ?
「ハイ真っ直ぐ、顔上げて! いいわよ、姫奈子さん、さすがにバレエ経験者ね。姿勢は良いわ。とってもいい! 音楽に乗って、そう、そこで止まって腰に手を当て、はいポーズ! ううん! 最後恥ずかしがらないわよ!」
トレーナーの声が飛ぶ。
だから、なんでポーズ? 選挙運動でポージングしないから!
「はい、いったん休憩しましょうか。水分とって」
床になだれ込むようにして座り込む。足が変になりそうだ。それにしても、どうしてここまでしなければならないのか。
「顔に出ているわよ? 迷いがあるわね。自分のマインドを見つめ直して? あなたはどうなりたいの? 美しくなりたいのでしょう?」
見透かされたように注意が飛ぶ。なんだよ、マインドって。
「だって、」
「だって、なんて言い訳しちゃだめよ。どうしてここへ来たの? 誰のため? なんのため? 『だって』と言って可能性をつぶして、失うものはないかしら?」
ギクリとする。
綱にも昔叱られた。だって、と言って努力しないで叱られた。
なんでここへ来たのか。
綱の望みを叶えるためだ。難しい選挙に勝ってもらうためだ。そのために私ができることをしようと思った。そう思ったのは自分。だからこれは、自分のためだ。
「今は必要性がわからないでしょう。でも、いずれわかるわ。私を信じなさい」
きっぱりと言い切られて、頷いた。今は必要性がわからないけれど、信じよう。口も足もプルプルしているけど、ついていこう。
やれることもしないで、負けてしまうのは嫌だ。やり切ってそれでもだめなら諦めがつく。
私は顔を上げた。そして改めて、お願いします、と頭を下げた。







