8.芙蓉館 2
振り向けば、厄災。八坂晏司である。ひゅっと息を吸い込んだ。
げっ! 今日の午後は見かけなかったから安心してたのに。学院に来てたとは!
慌てて淡島先輩を見れば、楽しそうに笑っている。確信犯だ!やっぱり嵌められた!
「人がいないところで悪口?」
人の悪い笑顔で肩を叩いた。
「いえ、そういうわけでは……」
おろおろとして明香さんを見れば、目をそらした。酷い。
「人それぞれというか?」
私の顔を覗き込んで、八坂くんが復唱する。
イケメン、顔が近い顔が近い!!
「あの、雑誌の八坂くんは皆様の憧れかと思います」
「うん、それは知ってる」
だったら、それでいいじゃないか!
「で、姫奈ちゃんは?」
「は?」
「姫奈ちゃんは、どうなんですか」
ほぼ非難である。
「憧れもしないし、好きじゃない?」
「よく知らないので……」
オドオドと答える。
「ふーん? じゃあ、よく知ればいいよ、仲良くしよう?」
「それは遠慮します」
絶対に嫌だ。
反射で答えれば睨まれる。その睨み方すら色っぽい。顔がグングン熱くなってくる。
モデル怖い。モデル怖い。
「即答はひどくない?」
「……八坂くんはお忙しいでしょう?」
「そんなことないよ。姫奈ちゃんのためなら時間作るよ」
さらりと言うな、プレーボーイ。
慣れない私は口説かれていると勘違いしそうになる。わかってる、ただの悪ふざけだ。
「だって、……だって、素敵な方をたくさんご存じでしょう。私なんかをからかって暇潰しなどされなくても」
真っ赤な顔で涙目になって睨みつければ、八坂くんは目を見開いて吹き出した。
ほらやっぱり馬鹿にして!
「まあこの辺で許してあげようかな。あんまり苛めると嫌われちゃうからね。それとももう嫌われてる?」
あざとく首をかしげてくる。絶対自分の顔で許されることを知っている男だコイツ!
私もまんまとその策にハマってしまう。怖いし関わりたくないけれど、顔は確かにカッコイイのだ。っていうか、この人に嫌いです!なんて言える人いるんだろうか?
くっそう、言ってみたい。言ってやりたい。
「……キ」
「き?」
八坂くんはニヤニヤと笑って聞きかえす。
「……キライ……に、なりますよっ!」
私のヘタレ―!!
八坂くんは胸を押さえて膝をついた。肩が震えている。笑いをこらえているのが丸わかりだ。
ほんと、イケメン死ね!!
丁度その時、私のラインが鳴った。グッジョブ! 綱!
「あ、明香さん、私戻りますね。今日はありがとうございました」
「ええ、またお誘いしますね」
明香さんが微笑み返してくれる。
「どうしたの? ゆっくりしていけばいいじゃない」
淡島先輩が尋ねてくる。
「いえ、人を待たせているので」
そう答えると、また通知が鳴った。早くしないと電話がかかってきそうだ。
「見なくてわかるのか」
氷川くんに問われる。
「ええ」
絶対に綱だ。中等部入学を機に持たされたスマホ。私の連絡先を知ってる人は、家族以外には綱と詩歌ちゃんと明香さんだけだからだ。友達少ないとか言うな!
しかし、一応確認してみる。
やっぱり綱だ。
一回目は、終わりました。二回目は、迎えに行きます。
「やっぱり綱だわ。迎えに来るそうなので、外に出なくちゃ」
「え、姫奈子さん、生駒くんに行き先を連絡してあったの?」
不思議そうに明香さんが尋ねる。
「いいえ?」
「え? だったら、なんで?」
「綱ですもの。ではごきげんよう」
綱はいつだって私を見つけ出してくれる。だから、今日だって迎えに来てくれるのだ。怒られないように外へ行かなければ。また嫌味を言われてしまう。
私はそそくさと席を立った。
その時、芙蓉会のメンバーが微妙な顔をしていたことには気が付かなかった。
芙蓉館の外に出れば、丁度綱がやってくるところだった。
キラキラとした黒髪が相変わらず綺麗だ。うらやましい。私もあんなサラサラで綺麗な髪になりたい。
「姫奈」
名前を呼ばれてドキリとする。学院内では名前呼びにしてもらったのは私の都合だ。しかし、人目があるときはあまり気にならないが、二人っきりの時はまだ慣れない。
「どこをフラフラとほっつき歩いていたんですか」
開口一番、お小言である。
「明香さんと芙蓉館にいたのよ」
「芙蓉館?」
「ええ、招待していただけたの」
「そうですか。他にどなたが?」
「ええとお話したのは、八坂くんと、Fクラスの氷川くん、詩歌ちゃん、後は二年の淡島先輩がいらっしゃったわ」
「八坂……」
綱は八坂くんが苦手らしい。あからさまにムッと顔を顰める。
「待っていてくださいとお願いしたはずです。子供でも守れる約束じゃありませんか。なんでそんなことも守れないんです?」
「だって、私だってお友達と仲良くしたいわ」
「八坂くん、ですか?」
「なんでよ、明香さんと詩歌ちゃんよ? 私はお友達とも遊べないの?」
睨みつければ、綱はグッと言葉を飲み込んだ。
「では、私に連絡をしてください。誰と、どこで、何をするか」
「わかったわ」
「それと芙蓉館にはあまり行かれない方がよろしいかと」
「どうして? なんで綱にそこまで言われなきゃいけないの?」
「姫奈は部外者です」
「でも、またおいでって言われたわ」
「どなたに?」
「淡島先輩に」
二年生の名前を出せば、綱は大きく息を吐き出した。
「次からは、私も一緒に行きます」
「え?」
「私もメンバーです」
そうだった。綱の胸ポケットには芙蓉の蕾がほころんでいる。すっかり意識していないが、綱は特待生なのだ。
なんだか、もやっとする。もやっとイラっと。
「ああ、ソウデシタネ!」
口に出して失敗したと思った。こういうところが、性格ブスなのだ。頭の良い綱を僻んでいる。芙蓉会に入れた、エリートだと認められた綱のことを嫉んでいる。
綱が冷めた目で私を見た。
それを感じて、グッと唇を噛む。
自分の心根が汚いとわかっている。だけど、気持ちは勝手に沸いてくる。性格の良い人たちはどうしているんだろう。どうして自分ばっかりヤな奴なんだろう。
こういう時、詩歌ちゃんならどうするの? エレナ様なら。
「……ごめんなさい。私、嫌な子ね」
俯いて謝る。
きっとあの二人なら、自分が悪いと思ったら素直に謝れるはずなのだ。
「いいえ。姫奈は可愛いですよ」
驚いて顔を上げると、綱は優しく笑っていた。
「私こそすいませんでした。少し言い過ぎたかもしれません」
綱は目をそらした。
「今まで姫奈は女子校だったでしょう? 友達と言えば女性と決まっていましたが、今年からは男性も一緒です。私がそれに慣れてないんです。……心配です」
小さく付け加えられた、心配の言葉。その一言で、胸の奥がほわりと温かくなる。
嬉しい。心配してくれる人がいる。
「なら仕方がないわね」
でも照れ臭くって、そっけなく言えば、綱が無表情に戻った。
「さあ、車を待たせております。早く行きましょう」
私たちは車へ向かった。