62.中等部二年 体育祭 1
今日は体育祭である。氷川くん主導による練習と、スパイ活動により準備は万端だ。無事、スパイ活動は功を奏し、私たち二年F組と、淡島先輩のクラス三年Y組は、内密で共闘すべく手を組んでいる。
ただし、騙されていなければ、だけど。相手はやっさすぅぃ笑顔で平気で人を騙す、淡島先輩である。
八坂くんは無事、体育祭へ参加することができたようだ。体育祭が始まる前から人だかりができている。去年もそこそこの人だかりだったが、今年はまぁすごい。氷川くんのおとり巻きが可愛く見えるほどだ。
実は私がUクラスで意図せず悪役令嬢っぷりを露呈させた一件以降、大黒さんが我が物顔で一年生に注意をするようになったらしい。大黒さんは八坂くん非公式ファンクラブのトップを自ら名乗っているので、影響力があるのだ。
また、一条くんら芙蓉会の二年生も先生たちに申し入れをして、注意を促してもらったそうで、休み時間の追っかけは大分収まっていると聞いた。
いやー、白山さんが騒いでくれたお陰で、先生に上げやすくなったよ、とは一条くん談。
それでは私の立場が悪くなっているのでは?と問えば、白山さんだから大丈夫って、……そんなわけあるかい!!
八坂くんは今年も応援団長を引き受けたようで、長い鉢巻が風に翻って一層に凛々しく眩しい。春の彰仁を思い出して微笑ましく思いながら、私たちは学生用テントに自分の椅子を運んだ。
テントの中は、縦割りクラス別になっていて、前から一年、二年、三年の順になっている。前の方には応援団が立ち並び、開会式が始まるのを待つ。
Fクラスは白組だ。真っ白な旗には、黒光りする玄武の姿。青空にはためいてなんとも勇猛である。応援団長は、ジュニアラグビー部のキャプテンで筋骨隆々ゴリゴリゴリマッチョ。同じ中学生なのが不思議なくらい大人っぽい三年生だ。
目が合ったので、とりあえず頭を下げてみる。野生動物と目を合わせてはいけない。
「お! ゴリっ」
「先輩! バナナです!! 本人にはバナナです!!」
隣にいた副団長の二階堂くんが慌てて団長を止めた。同じ校友会の先輩後輩の二人は仲が良いらしい。
……うん、ゴリラ言おうとしてたね? っていうか、ニンジンくん。本人には、ってどういうこと?
団長はゴホンと咳払いして笑った。
「バナナ姫! 今日は頑張ろうな!!」
いや、バナナでもないから! 別にバナナ姫、許してるわけではないから!
「恐れ入ります」
しかし、爽やかに光る団長の笑顔に、令嬢らしい完璧なる笑顔で優雅に会釈を返した。
「大丈夫ですよ、あっちの方がゴリラです」
ボソリ、綱が呟いた。相変わらずの毒舌だ。
「コチラがゴリラなら、アチラはキングゴリラよ」
私もボソリと言い返す。それを聞いて綱はクスリと笑った。
開会の宣言は淡島先輩。優勝旗の返還後は、応援合戦だ。応援合戦は去年よりもひどいコンサート状態になっていた。
八坂くんのファンの娘たちは、自分たちのチームカラーとは別に青い髪飾りで統一してきているようだ。興奮している女子たちは皆、青い物を頭に着けていた。一段と大きなリボンの自称オキニ大黒さんも懸命に手を振っている。
おお、すごい。頑張れよ。
賑やかなる体育祭は無事にスタートした。
いつも通り、大縄跳びから始まってムカデ競争。今年の大縄跳びも順調だった。そりゃ、アレだけ二階堂くんが頑張れば当たり前のような気もする。
二階堂くんは二年生になってグングン体格が良くなった。去年までは紫ちゃんより小さかった背も、あっという間に並んでしまった。男の子の成長は目を見張るものがあってビックリする。二階堂くんもこのゴリマッチョ先輩のようになるのだろうか。
ぼんやりと思いながら、障害物競走の列に出走順に並ぶ。前に立つ綱の背も大きくなっていて驚いた。
「綱、背が伸びた? もしかして私より大きい?」
この間まで同じくらいだったはずだ。いつ抜かれたのだろう。
「ええ」
綱はぶっきらぼうに答える。
「ちょっとそのままにしてなさいよ」
私は綱の背中に自分の背中を合わせて、頭に手を当てて背を比べた。本当に抜かれてる。抜かれたとはっきりわかるほど抜かれている。
「姫奈?」
「やだ、本当に抜かれてたわ。いつの間に抜かれたのかしら……いつも一緒だと気が付かないものね?」
「春には追い越していましたよ」
「そんなに前? 何で言わないのよ」
「特にお伝えする必要もないかと思いまして」
確かにそうだけど。むくれて綱の背中から離れる。後ろにいた氷川くんが形容しがたいものを見るような顔で私を見ている。氷川くんの隣には八坂くんも並んでいて、苦笑いしていた。
なぜ?
コホンと咳払いをして、居住まいを正し前を向く。
なぜだか今年のパン食い競争は女子率が非常に高い。なぜか楽しそうに最終走者とキャッキャしている。
どうした? ご令嬢方、大丈夫か? 恥ずかしくない? 私はできればしたくないけど。
隣にはあの大黒典佳まで並んでいて、意味ありげに私を見て鼻を鳴らした。青いリボンがデカデカと光っている。おーおー、気合が入っていますね。
各自スタート位置に移動して、競技が始まる。
スターターピストルが鳴って、第一走者がTシャツを重ね着し始めた。今年はゴリラの柄がないことを祈るばかりだ。白地だからないだろうとは思っているけれど。
Tシャツの重ね着重ね脱ぎが終わって、次は平均台だ。
今年は縄跳びではなく、ドリブルらしい。これも難しい。真剣な顔をして走ってくる。走者が急ぎながらTシャツを脱ぐ。最後に現れたバトン代わりのTシャツは……ゴリラの胸板だった。真っ白の生地に黒々としたゴリラの胸板がプリントされている。ゴリラの胸板の上に、人間の顔である。
ドッと笑い声が起こる。私も思わず噴き出した。このTシャツ選んだ人、センス良すぎない?
いや、ちがう。私もこれ、着るんだよね……。
綱は無表情でTシャツのバトンを受け取った。
私は思わず遠い目になりながら、タオルで手首を後ろに縛られる。地面に据えられたタイヤの輪縁に腰かけて、綱に引きずられていく。
ああ、今年も悲しきドナドナ。しかし、去年ほどタイヤが跳ねたりしない。綱の腰に結ばれたタイヤチューブが、ピンと力強く私をドナドナしていく。たくましくなった背中。安定した走りは、きっとそのせいかもしれなかった。相変わらず砂ぼこりは酷い。
パン食い競争の場所に到着すれば、綱が私の腰をもって立たせてくれた。私は大人しくされるがままにTシャツを着せられる。腕が後ろ手に縛られているので、袖には通さず被せられるだけの格好だ。
それを見て、綱は小さく笑った。
だから、それ、綱だって着てたんだからね!!
ムッとして睨みつければ、頭をポンと撫でられた。
「がんばって」
らしくもなく綱が言うから、ちょっとビックリする。瞬きすれば、綱は気まずそうに、早く行かないと、と私を急かした。そうだ早くしなければ。このパン食い競争は早さが重要なのだ。
私は慌ててパンに向かう。
今年も、バナーヌスペシャルがゴムにつながれてぶら下がっている。
私は唯一の経験者だから知っている。ここは早くパンに食らいついた方が有利だ。そして、初めに食らいついたパンを決して放してはならない。離せばゴムの反動であちこちに飛び回るし、皆のパンが飛び回れば飛び回るほど全体が揺れるので、取りにくくなるのだ。
今年は幸運にも一番でTシャツを渡された。
私は狙いを定めて、一気にパンを取りに行く。
恥も外聞もない。最初に恥じらえば恥じらうほど、後半の公開恥辱タイムが長引くのだ!
私は勢いをつけてジャンプをし、バナーヌスペシャルにガッツリむしゃぶりついた。そのままの勢いで着地したら足もとが滑ったが、土煙を起こしながら横滑りして耐える。そのおかげか、ゴムがピンと引っ張られてパンがあっけなく外れる。私はそれを咥えたまま、氷川くんへ向かって走る。
校庭にどよめきが聞こえる。頑張れ頑張れバナナと太鼓で応援されている。
うん、今年はバナナなのね? ゴリラよりましよね?
トップで氷川くんに繋いで口でパンを差し出せば、氷川くんはパンを手で受け取って、そのまま私のTシャツを脱がせ、自分でそれを着る。そして私の手首の戒めを解き、パンを渡し、ゴールへ向かって側転していった。
そうだよ! 普通こうなんだよ!! 去年は何だったんだよ!
無事、氷川くんはトップでゴールを決めた。私たちは、待機列に整列して他のチームが終わるのを高みの見物である。
あっはっは! 余裕余裕!
やはり、一番笑いを取るのはパン食い競争で、女子たちが「あーん」だとか「きゃっ」だとか「やぁん」なんて、モタモタとパンと格闘している。待ち受ける最終走者も、「がんばれー!」だとか「ゆっくりでいいよー」なんて、甘ーい声出して応援しているではないか。
……ちょっと待て! なんでそんなに可愛くキャッキャウフフしてるの、ねぇ!?
ムキになった自分との格差に呆然とする。
「白山さんは勇ましかったな」
氷川くんがニッコリと笑った。多分、褒めてくれているんだと思うんだけども、なんとも、なんだか……。うん、モニョる。
「ええ、姫奈はゾーン入ってましたね」
綱が、まぁ、綱は褒めてない。当たり前だけど。
「可愛さからは遠く離れてた自覚はあります」
ゲッソリとして答えれば、氷川くんが天真爛漫に笑った。
「ワイルドでカッコよかったぞ」
「……痛み入ります」
「冗談でなく、白山さんのそういうところは好感が持てると思っている」
氷川くんに真面目な顔で言い切られ戸惑う。前世では、叱られるばかりで褒められたためしはなかったから、人を褒めたりしないのだと思っていた。
そうではない。違うのだ。前世の私は褒められるようなことをしていなかった、そう言うことなのだ。
もしかしたら、私は少しぐらい変われているのかもしれない。
「ありがとうございます」
素直に礼を言えば、氷川くんは満足げに頷いた。







