46.お田植え 1
芙蓉学院中等部二年生の一大イベントは、年間を通しての稲作である。稲作についての下調べ学習をし、実際に提携農家と稲作をするのだ。
一学期の初めにあるイベントは田植えである。
私は気合が入っていた。
提携農家は、隣県にある棚田だ。そこでは棚田の景観とブランド米を守っている。そのお米が美味しいのだ。
一年間の学習が終わると、新米を各自一キロずつ配られる。その美味しさといったらなく、前世の私は稲作体験後に取り寄せようとした。しかし。学習態度の悪かった私は、取り寄せを断られたのだ。ショックすぎる。
今回は一生懸命働いて、農家さんと仲良くなって、どうにか取り寄せができるように頑張らなくてはいけない。
そう心に決めたのだ。
だって、新米塩おむすび、メチャメチャ美味しかったんだよ? うちの専属農家になって欲しいくらいだよ。
そんなわけで、私は農業用の麦わら帽子を購入し、UVカット用メガネ、軍手、長靴(長いやつ)も用意して、汚れてもいい去年のブロンズラインの体育着に身を包み、汚れてもいいタオルを首に巻き、田んぼの前に立っている。
二階堂くん、写真撮るの止めなさいよね?
「姫奈ちゃんはこんな格好も着こなすね!」
八坂くんが軽薄に褒めてくれる。はいはい、アナタは自分のクラスに戻りなさいよ。
「本当、よれよれの体育着がお似合いです事! 振る舞いが二年生より一年生って感じですものね!」
ほら、新品の体育着を着た大黒典佳まで来るじゃないか。あっちいけよ、Uクラス。
「ありがとうございます。わざわざ新しい体操服のラインにあわせて、シルバーのリボンでそろえるほど気合の入っている方に褒められるなんて、思っても見ませんでしたわ!」
「わ、わざわざじゃないわよ! 偶々よ!」
「ええ、そうでしょうとも!」
大黒さんへ優雅に微笑み返せば、あからさまに舌打ちされた。大黒さんの後ろでは、その様子を見て長身の男の子がクスリと笑っていた。
……うん、控えるべきだった。
棚田の前に並んで説明を受ける。
ここの棚田は、日本のバリと言われている。小さな棚田が山際に積み重なる姿が美しく、古い日本の稲作風景を醸し出しているということで、景観保護をされている地域だ。
しかし、棚田は一つ一つが小さいうえ、手で積まれた古い石垣が脆いので、大きな機械は入らない。農作業は手仕事になるのだ。効率や生産性を考えればとても悪い。
そんな理由から、農作放棄地になりそうな棚田を、地域の青年部が保護し、子供たちの体験の場として用意してくれているのだ。
芙蓉学院に棚田を貸してくれているのは、早乙女さんという六十代くらいの農家の夫婦だ。年間を通しての管理と、農業学習の際の指導を行ってくれている。
早乙女という名前に似合わず、日に焼けた小太りの夫婦で、この土地の訛りも酷い。前世では、ジモピー、と影でクスクス笑っていた。この早乙女のおじさんは、言葉もきつくて都会のもやしっ子には相当怖い存在だった。
小さな棚田には、すでに水が張られていてキラキラと輝いている。気持ちのいい五月晴れだ。上手になった鶯の鳴き声が山の合間に響き渡る。
もちろん日焼け対策はバッチリしてきた。前回は泥が飛んだところだけ日に焼けずに、白くなりブツブツ文句を言った記憶があるからだ。
そう、本日はお田植えである。稲の苗までは早乙女さんが育ててくれていたので、これを生徒が手植えするのだ。
「作業中は危ないのでふざけない事。良いですね?」
学年主任の先生の声かけに、生徒は返事をする。
お田植えが始まった。
田んぼ一つ一つが小さいので、クラスを二つに分けている。私は二階堂くんや氷川くんと同じ田んぼだ。
自分の分の苗を携えて、泥の中に入る。思った以上に飲み込まれる足の感触。長靴越しでもわかる水の冷たさと、それに反する泥の温み。一歩進もうとしてもなかなか前にすすめない。泥の重みが大地の力強さを感じさせる。
キャーキャーと歓声が上がる。自然を身近に知らない私たちは、これだけで楽しい。不安定な感触に、懐かしくて、でもちょっと不愉快な泥の匂い。水面を反射する日差しが肌を焼く。
指導にしたがって緑の苗を植えていく。苗の時点では草にしか見えないが、これが実れば美味しいご飯になるのだから不思議だ。
「真っ直ぐ植えろしね! 刈る時えらいのはおまんとーだからな!」
早乙女さんの怒鳴り声が響く。方言の意味が良くわからないが、曲がっていて怒られていることはなんとなく伝わった。
それにしても、「しね!」って何? すごい怖い……。まさか死ねではないだろうけど、「しろ」なのか「するな」なのかいまいちわからない。文脈からすれば「しろ」だよね?
男子たちは「おまんとー」のところで顔を赤くして俯いてるし。なぜ?
早乙女さんの奥さんは、優しく苗の植え方を教えてくれる。
泥に怯む私たちに寄り添って、苗への指の添わせ方などを指導してくれるのだ。
ズゴズゴと音を立てる泥水が可笑しくて笑いながら、泥だらけになって田んぼを歩く。笑い声が山際に反響して何とも気持ちが良い。
やっとの思いで自分の一列を植え終えて、腰を伸ばす。
うん、イイ感じじゃない?
二回目だけあって、他の子よりは上手くできた気がする。満足していれば、二階堂くんがスマホを取り出した。二階堂くんも終わったらしい。自分の列をゆっくりと撮影している。
何、防塵防水なのそれ?
こちらの方にもカメラを向けたので、手を振ってみた。そのとたん背中から、ドンと押されて油断していた私は無様に泥へとツンノメる。
べちゃ。
何とも言えない泥の弾力。飛び散る水は、朝に比べてずいぶん暖かくなったんだなぁとか……じゃない! 顔まで泥だらけだ。まぁ、顔から突っ込んだし、眼鏡が鼻に食い込むし、泥で真っ黒だ。
水を吸って重くなった体操服でモタモタと起き上がる。
立ち上がろうとして勢いをつければ、逆にしりもちをついた。
「大丈夫?」
二階堂くんの驚く声。動画を撮影しながら手を差し出してくれるけど、どう考えたって、その手を掴んだら道連れ確定だとは思わないのか?
優しいのか、頭が悪いのか。ゴメン、優しいんだよね。
私は差し出された手を掴むのを手を振って遠慮した。
「あらー、ごめんなさいね? それにしてもすごい恰好」
大黒典佳の笑いを含んだ謝罪。
心配してくれる声と、笑い声が重なる。
惨めな気分になりながら、まぁ、笑われるよね、と思った。
悪意のある笑いじゃなくて、思わずといった笑いが多いので、怒って空気を壊すのも怖かった。
悔しいけど笑われておこう、そう自分を納得させる。
「やっちゃった!」
道化を気取ってヘラヘラと立ち上がってみれば、せっかく真っ直ぐ植えた苗が横倒しになっていて、慌てて苗に手を伸ばした。
早く直してしまおう。早乙女さんに見つかったら怒られ……。
「なにょーちょびちょびしてるだー!!」
雷鳴のような早乙女さんの声が、山際に反響した。時すでに遅し。
ビクリと皆が体をこわばらせた。バサバサと鳥が飛び立つ。
怒られ慣れている私ですら、こんなふうに怒られたことなんて、親にも先生にもない。他のお嬢様方にすれば、いわんやをや。
今まで笑い声の溢れていた田んぼの空気が、シンと凍り付いた。
ピーヒョロロロ……と、鳥の鳴き声が響き渡った。田んぼの中に鳥の影が流れるように渡っていく。その姿がその声が、やけにクッキリと感じた。
怒られ耐性のある私が、まず初めに我に返る。
「あ、すいません、すぐに直します!」
慌てて笑って直そうとすれば、ものすごい勢いで駆け寄って、私を思いっきり担ぎ上げた。
「笑って良いこんといけんこんの区別すらつかんだか! このボコは! 仕事中にふさけるじゃねーって幾度も言ったら!! 泥ん目に入って目ー見えんくなったら誰ん責任とるつもりで! いなこんしてるじゃぁねーど!! この大馬鹿め!!」
そう言って大黒さんを叱りつけ、私を抱えてズンズンと歩き出した。
「あ、あの」
「早く風呂だ! 風呂!」
「でも、汚れ」
「でもじゃねーわ、この小ばか」
私はグッと唇を噛んだ。
怒鳴られた上に、俵のように担がれながら、それでもなんだか嬉しかったのだ。あそこで怒ってくれたことが。
笑わなくてもいいんだと、怒ってもいいんだと、そう教えてくれたことがうれしくて、分厚い背中をぎゅっと掴んだ。







