271.高等部三年 バレンタインの前哨戦
今年もやってきました。
バレンタインの前のお料理教室。in芙蓉館。ちなみにバレンタイン三日前である。しかも早朝だ。なぜなら、冷やし時間がかかるため朝一に仕込んで仕上げは放課後という予定になっているのだ。
今年のメンバーは紫ちゃんと、なーんと二階堂智ちゃんとそのお友達である。
未来の義姉と義妹である。なんだか私がワクワクドキドキしてしまう。
大人しく引っ込み思案な紫ちゃんと、快活で押しの強い智ちゃんは性格が正反対で、うまくいくのかちょっと心配だったりする。
本日のバレンタインはマーブル模様のチョコレートを作る。
智ちゃんが来るから彰仁の好みに合わせようかとも思ったが、そうすると虫とか細胞のチョコレートになりそうだったので、さすがにそれはやめた。
準備として、色とりどりのチョコチューブを湯煎にかけて溶かす。
「好きな色のチョコレートチューブを選んでくださーい!」
声をかければキャッキャとした声で、選び出す女の子たち。
「何色でもいいんですか?」
智ちゃんが聞いてくる。
「多すぎるとマーブルが汚くなるかもしれないわね。ピンクと白とか、黄色とオレンジあたりはおいしそうにみえるかもしれないわ」
「わー! 悩みますー!! 地層とかできるかしら」
「地層?」
「彰仁くん、地層好きですよね?」
「え、そうなの? あの子地層好きなの?」
意外なところからのあっくん情報である。女子に地層好きだと思われているあっくん、いろいろ問題はないだろうか。
「……地層だったら、緑とオレンジと茶色でやってみたらどうかしら?」
紫ちゃんが提案してきて、智ちゃんが嬉しそうに笑顔を輝かせた。
「はい! そうしてみます! 紫お姉さまは何色ですか?」
智ちゃんは人懐っこく紫ちゃんの手元を覗き込んだ。
「私は惑星を作るつもりなの。青と白と紫で地球にして、赤とオレンジで火星とかどうかとおもって」
「素敵ー!」
アイデア次第で、チョコレートが惑星にも地層にもなる。盛り上がる二人を見ながら感心する。
二人の相性を心配していたが、それは杞憂にすぎなかったらしい。
中一のころは引っ込み思案だった紫ちゃんも、いろいろな経験を積んですっかり堂々としてきているからだろう。
丸形の製氷皿二枚に、好きな色のチョコペンをちょんちょんと落としていく。楊枝でチョコペンを混ぜてマーブル模様を作り、一度冷蔵庫で固める。
その間に板チョコを刻んで湯煎にかけ、テンパリングする。
チョコレートの固まった製氷皿に溶かしたチョコレートを注いでもう一度冷やす。ここはしっかり冷やさなければならないので、いったん全部片づけて解散だ。放課後再び集合して、仕上げをすることになっていた。
そして今日は綱の登校日でもある。
バレンタインデー当日は登校日ではないため、たぶん綱は学校へ来ないだろう。
そんなことを計算しつつ、綱には今日チョコレートを持ってきたのだ。
と、計算高く計算したの当然私だけではなく、今日は綱を見かけるたび女の子が近くにいる気がするので心穏やかではいられない。イライラ、ムカムカ、ハラハラしつつ迎えたお昼休み。
いつも通りお弁当を交換して食べる。
今日は胃のあたりがグルグルして味もなんだかわよくわからない。
だって、初めて綱に本命チョコを本命チョコとしてあげるのだ。
ドキドキしてドキドキして、心臓が口から飛び出そうだ。
綱が食べ終わるのをチラチラと確認する。今日は会話もうまく弾まない。私の緊張が綱に伝わっていなければいいのに、そんなこと考えて、いや、このギクシャクした感じは絶対に伝わっているんだとも思う。
だから、さっさとチョコレートを渡して楽になってしまいたい。それなのに、緊張して変な汗が噴き出して、逆に言葉はのどに詰まって、どうしたらいいのかわからない。
私、いつも綱と何の話をしてたんだっけ?
聞きたいことはいっぱい、話したいことだっていっぱい。だけど、いまは頭の中がパンパンでどうやって切り出していいのかわからない。
いつもは助け船を出してくれる綱だって、期待しているのか、なんなのか不自然に目をそらす。
二人で馬鹿みたいにどうでもいいこと、スズメが飛んできたとか、そんなこと今はなさなくたっていいのに、言葉だけがうわ滑って枯葉みたいにカラカラ舞う。
時計の針がどんどん進む。昼休みが終わってしまう。だから早くと思うのに、体は言うことを聞かない。
綱の気持ちはわかってる。それなのにこんなにも怖くなる。
もし万が一受け取ってもらえなかったら。そんなわけないはずなのに。
氷川くんの時には思いもしなかった。ほかの子たちはこんなに勇気を振り絞ってチョコレートを渡してたんだ。
ふと、綱が大きくため息をつきながら笑った。困った子を見るような目が、私を見ている。
「……もう限界です」
綱の言葉に、ギクリとする。
「私に何か話したいことがあるのでは?」
綱がのどの奥で笑いながら言った。
息をのんで、綱を窺いみる。こんな時まで綱に助けてもらってる。自分はズルいと思いながらも、それでも肩の力が抜けた。
「あのね……」
おずおずと鞄の中から取り出した手作りのチョコレート。今年は初めてきちんとラッピングしたものだ。今までは、バレンタインではなくて、デザートのふりをして食べさせてきたから。
ピンクのラッピングに赤いリボン。いかにもバレンタインだ。
「本命チョコなの。受け取ってください」
頭を下げて突き出した両手。その手を綱がそっと包み込む。顔をあげて綱を見れば、なんだか泣きそうな顔で笑っている。
「ありがとうございます」
たった一言。丁寧に噛みしめるような声が、とろけたチョコレートのようにまったりと流れ込む。絡みついた耳の奥から鼻の奥まで甘い香りで満たされる。自然と頬がほころんだ。
「指、震えてる」
綱が呟いて顔が熱くなる。
「だって、怖いわ」
「どうしてですか? 拒むはずなんてないのに?」
「それでも、『今』はわからないもの。前より嫌われたくないもの」
好きだと言ってくれたとしても、結婚を約束していても、それが永遠ではないことを私は体験してしまっている。
綱は包み込んでいた手に力を込めた。そしておかしそうに笑う。
「今までのハチャメチャな姫奈を私は知ってるんですよ? それ以上に何かする予定ですか?」
「っ! そうじゃないけど!」
「ハチャメチャでもいいですよ。そんなあなたが好きなのだし」
綱がそう言って、気まずそうに眼をそらし、「いただきます」と私の手の中からチョコレートを取り上げた。
「あ! 待って! 今開けないで。カヌレなの。たくさんだから、お家で食べてね」
「はい」
「それでね、生駒にはあげないで秘密にしてね? 綱に全部食べてほしいの」
チラリ、綱を見れば、びっくりするほどの笑顔で笑った。
手作りのカヌレは、ピンク色のルビーチョコレートでトッピングしてあるのだ。それを目の前で開けられるのはちょっと恥ずかしい。
「ひとかけらだって父にはあげません」
そして、意地悪な顔で私を見る。
「ちょっと、ざまぁみろ、って思ってしまいました」
くすくすと笑う、悪い子だ。なんだか二人でいたずらを共有したようでおかしくなってしまう。
「なんで『ざまぁみろ』なの?」
「知っているでしょう? 父は、姫奈が大好きなんです。それなのに、私が独り占めなんて、嬉しいから」
優越感のこもった瞳で幸せそうに笑わないで。
ギュッと胸が押しつぶされそう。
これ以上好きになんてなれないと思うのに、どんどんどんどん好きになってしまうから。
「大切に食べますね」
綱が大事そうに抱え込む。それを見て胸の中が甘く満たされる。
「何度でも作るから、腐らせたりしないでね」
おどけて言えば綱は満開に微笑んだ。
放課後に再度集合し、続きを行う。
冷蔵庫で冷やし固めたチョコレートを、型ごとテーブルに落として外す。ガコン、ゴトンと料理とは思えない音が響く。
片方のチョコレートの内側にチョコレートチューブを塗って、合体させ球状にする。固まったら出来上がりだ。
時間はかかるが見た目の派手さに比べてそれほど難しいものでもなく、材料もどこにでも買えるものなので家で再現しやすいはずだ。
固まるのを待ちながら、おしゃべりしながら片づけをする。
「そういえば、生駒先輩、本命チョコは受け取らないって噂、本当なんですか? 今日あげた友達、全員受け取ってもらえなかったらしくて」
智ちゃんに聞かれて、思わず咽る。
「そうね。前にそう言ってたの聞いたことがあるわ」
そ知らぬ顔してそう答える。
「ええ~、どうしてなんですか? 聞いてます?」
「心に決めた方がいるんですか?」
「知らないだけで婚約者とか?」
「桜庭にもお知り合いがいるみたいですもんね」
ワイワイと一年生が詰め寄ってくる。ちょっと怖い。
彼女がいるのだと、それが私なのだと、そう言えたらいいのに。
でも、私の両親が反対している以上、私が彼女ですとは名乗れない。
「面倒くさい、ってその時は言っていたけれど……」
綱の評判を落とすかなと思いつつ、嘘でない言葉を探して小声で答える。
「きゃぁ! クールでかっこいい!!」
「そういうところが素敵なんですよね!」
一年生は逆に大盛り上がりで、こちらが面食らう。
綱がクール? 鉄仮面なところはあるけど、クールではないでしょ? っていうか、なんなのよこの人気!
そう思いつつ口をつぐむ。
「生駒先輩ってプロムどうするか聞いてますか? いえ、あの、私じゃなくて、と、友達とかみんな気にしていて……」
一年生の一人がオズオズと尋ねた。
「出席すると思うけれど、どなたを誘うかまでは私も聞いてないわ」
「でも、今まで本命チョコは受け取らないって言っていた生駒先輩が誰を誘うのか、単純に気になりますね」
「そうね」
軽い感じで答える。
「さあ、そろそろ固まったかしら?」
片付けも終わって、みんなでそろって芙蓉館を後にする。
顔が見えないほど暗くなった二月の夕暮れ。人の少なくなった駅までの帰り道をはしゃぎながら帰る一、二年生。私三年生は、それをほほえましく思いながら言葉少なくポツポツと歩く。
紫ちゃんがコソッと耳打ちをした。
「姫奈ちゃんは本命チョコあげないの?」
私もコソッと報告する。報告するだけでも、こんなに気恥ずかしいのはなぜだろう。
「実は、今日、あげちゃった」
紫ちゃんが目を見開いて、まるで自分のことのようにうれしそうに笑う。
「勇気、出したのね」
「うん!」
ふたりでウフフと笑いあう。
夕闇に流れる白い息は、甘い甘いチョコレートの香りがした。







