267.ぬばたまの瞳
正面にはお父様とお母様。お父様は相変わらず無表情で、お母様は取り乱しオロオロとしている。お父様の書斎に呼び出された私は、まるで罪人のように両親の前に立たされた。
正直とても不本意だ。確かに両親の期待は裏切ったかもしれないが、綱を好きになることが悪いことだとは思えない。でも、生駒と綱に迷惑をかけたことは申し訳なく思っている。
私の斜め一歩後ろには生駒と綱が並んでいるのだ。
「私のしつけがいたらなく、誠に申し訳ございませんでした。まずはここから出ていき、明日にも退職願を提出します。この程度のことで許されるとは思いませんが、できる限りの責任を取らせていただきく存じます」
開口一番生駒がそう言って九十度に腰を折り最敬礼で謝罪する。
私はあわてて振り向き生駒を止める。
「やめて! 生駒! 悪いのは私なの! 私が綱に好きだって言ったんだから! 綱が悪いんじゃないの!」
「お嬢様にそのようなことを言わせるとは! お前は何様だ! 綱守!」
生駒が綱を叱責する。綱は無表情で自身の父を見つめた。
「ねぇ、姫奈子、姫奈子が綱守くんを好きなのはよーくわかるわ? ずっと一緒にいたものね? でもそれは幼馴染だからでしょ? 安心できるからなのよね? 信頼できる人に甘えているだけ。それは依存というのよ? 恋ではないの」
お母様がとりなすように不自然な笑顔で話しかけてくる。
私はフルフルと頭を振った。
綱が別の誰かを好きになっても応援したいと思っていた。留学したらそばにいられないとわかっても、それでも綱を応援したい。ちゃんと別々に歩くのだと決めたから。
「まだわからないかもしれないわね? でも、姫奈子ちゃん、姫奈子ちゃんは綱守くんとずっと一緒にいられないのよ?」
「私が白山家の娘だから? だから生駒が謝って、綱とは一緒にいられないの?」
「そうよ。だから、一時の気持ちに惑わされないで。もう少し大人になればきっとわかるわ、だから」
「だったら、白山なんかいらない!! 家を出るわ。白山茶房も返します」
私はキッと顔をあげてお母様の言葉を遮った。
「まぁ! まぁまぁまぁ、何てことっ! 絶対にそんなこと許しませんからね!! ねぇ! あなたもそうでしょう!?」
お母様が泣きそうな顔で叫び、お父様を見る。お父様は険しい顔をして私を見た。
生駒が慌てる。
「お嬢様! なにを!」
「私が白山じゃなかったら、生駒だって辞めなくてすむわ!」
「馬鹿なことを言うんじゃない」
お父様が静かにそう言った。
「お前はまだ十七だ。白山茶房を返したらただの未成年、お前ひとりでは住むところすら借りられない」
現実を諭されて私は口をつぐんだ。あと数か月。あと数か月なのに、私はまだ子供で、保護者がいなければ何もできない。
「綱守!! 謝りなさい! いたずらにお嬢様のお心を惑わして! お前は私たちの期待を裏切ったんだぞ!!」
生駒が綱の頭を無理やり押さえ込んだ。
「違うわよね? 綱守くんは断れなかっただけなのよね? 私にはわかるわ。大丈夫よ。姫奈子がわがまま言ってごめんなさいね? 姫奈子、綱守くんがわがまま何でもきいてくれるからって、無理を言って困らせたらだめなのよ?」
お母様が綱に同意を求める。その言葉が私の胸を責める。
断れないわがままを言った。私が綱をこの状況に巻き込んだ。それでも綱を手放したくない。わがままだと知っていても。
「ほら、謝れ! 謝るんだ!! 恩を仇で返すとは!」
綱は生駒の手を振り払い、お父様をじっと見て、きちんと背を伸ばしてから、ゆっくりと美しく最敬礼をした。
身を引く覚悟はある、綱はそう言っていた。
ゾッとする。頭の先から血の気が引いていくのがわかる。だんだんと視野が狭まって、世界が暗くなる。綱しか見えなくなる。
綱が謝ってしまう。私をあきらめてしまう。いつだって、生駒と綱の一番は白山家だったから。
「旦那様、奥様、この度は誠に申し訳ございません」
綱はこぶしを握り締め、唇をかむ。そして頭を下げたまま、ひと呼吸つく。
綱に手放されてしまった……。
世界が真っ暗に落ちた。
「私は姫奈子さんが好きです。結婚を前提にお付き合いさせていただきたいと思っています」
その先に続けられた迷いのない綱の声。真っ暗の世界に突然のまばゆい光に、目が眩みふらついた。腰が抜けてグズグズに座り込む。ホロホロと涙が落ちる。
「綱ぁ……」
「綱守この期におよんで! 許されると思っているのかっ!」
生駒が綱の方を乱暴にゆする。
「だめよ! 絶対に許さないわ! 綱守くん? 綱守くんは姫奈子の幸せを一番に考えてくれるのでしょう? 綱守くんでは姫奈子を幸せにできないとわかるわよね?」
お母様は半狂乱だ。
「もちろん今のままでは到底お許しいただけないとわかっています。今すぐ認めてほしいとは申しません。ただ、大学を卒業するまで姫奈子さんの結婚を無理に進めないでいただきたいのです」
「黙れ! 綱守!! この恥知らず!! 旦那様申し訳ございません。きちんと私が諭しますので、今日は下がらせてください」
生駒が綱を無理やり書斎から連れ出そうとする。
その先の書斎のドアには彰仁が呆れた顔で立っていた。
私はビクリと縮こまる。彰仁に怒られる。白山から生駒を奪い、彰仁から綱を奪おうとした私を許すわけがないのだ。
彰仁は私を一瞥すると、お母様と生駒を見た。
「生駒もおふくろも、姫奈子の相手は誰だったらいいわけ?」
彰仁の言葉に生駒は戸惑ったように体をこわばらせた。
「彰仁にはわからないかもしれないけれど、姫奈子は氷川様にも八坂様にも気に入られているの。姫奈子さえ頑張れば財閥夫人も夢ではないのよ。そうすれば白山家だってもっと大きく発展するわ」
「ふうん? で? それって姫奈子の夢? おふくろの夢じゃなくて?」
彰仁の言葉にお母様は息をのんだ。
「しかし彰仁様、綱守ではお嬢様に不釣り合いなのです! それだけは間違いありません」
「綱は、芙蓉で中高とベストだし、氷川先輩や葛城先輩を抑えての首席だ。俺の学年の旧家の女子にだって綱のことは聞かれるぞ。釣り合わないのは姫奈子のほうだ」
「しかし、お嬢様はこの白山家のお嬢様です」
「この白山家って言ったって、おじいさまの代で東京に出てきた新参者だろ? 姫奈子がつけあがるのは周りがお嬢様だなんておだてるからじゃねーの」
冷静な正論に私はぐうの音も出ない。
「彰仁、白山家はお父様が苦労されてここまで立派にされたのです。そういう言い方はよくないわ」
不愉快そうなお母様。それでも彰仁は何食わぬ顔だ。
「ああ、親父とおふくろはすごいと思う。立派だよ。確かに俺は頼りない。けどさ、姫奈子を売らなきゃ白山を守れないほど俺はだめだと思われてるのか?」
お母様が動揺する。
「姫奈子を売るだなんて……、どうしてそんなひどいこと、彰仁は言えるの!? お母様は姫奈子ちゃんに幸せになってほしいだけなのよ! 苦労をさせたくないだけよ!」
彰仁はため息をついた。
「親父、親父とおふくろが出会ったとき、親父はなんだった?」
「……平社員だったな」
お父様がぼそりと答える。
「で、おふくろは親父と結婚して不幸だったわけ?」
「そんなわけないでしょう!!」
お母様が金切り声をあげて、ハッと息をのんだ。
「今すぐ結婚しようなんて二人とも言ってないのに騒ぎすぎなんだよ。姫奈子だって進学する。姫奈子の大学卒業まで無理に婚約させないなんて当然じゃん。卒業まで四年もある。今ゴチャゴチャ言う意味ってなに?」
彰仁の言葉に書斎が静かになった。
「生駒、綱守を離してやれ。綱守、顔をあげなさい」
お父様の声に生駒と綱が従う。
「綱守、今、お前と姫奈子の……交際を認めるわけにはいかない。……まだ、そうだ、まだ、早い。姫奈子は……まだまだ……子供だ」
苦々しい顔をして絞り出すように言うお父様。
「経営学修士と米国上級秘書資格を取ります。それから改めてお願いに参ります」
綱が静かに、でも未来を断言した。
米国上級秘書資格は生駒も持っていない資格だ。日本では叶えられない、綱の夢はこれだったのだ。
「留学するのか。どこへ行くつもりだ」
「アメリカのS大学の予定です。あとは面接を残すだけです」
アメリカでも難関校として名前の挙がる大学である。世界ランキングでも三本の指に入り、日本からの留学生は多くないはずだ。芙蓉学院での主席クラスでなければ受験できない。
その言葉にお母様は驚いたようにお父様を見て、お父様は目を細め綱を睨む。
「……いつから目指していた?」
綱はあいまいに笑っただけだった。
お父様は静かにため息をついた。
「一時の感情ではない、ということだな」
「はい」
お父様の問いに綱はしっかりとした声で答えた。
「でも、でも、だめよ……。姫奈子はもっと幸せになれるの。彰仁だって困るわ、ねぇ、そうでしょう?」
「お前は少し黙りなさい」
お父様がお母様を窘める。
お父様はボロボロと泣いている私を一瞥した。大きくため息をつき、ピリリとした仕事用の固い声で言った。
「姫奈子、今のお前のままでは綱守の負担になる。お前は綱守がいなくてもちゃんとできるか証明しなさい。それにだ、白山茶房を立て直したお前の手腕は注目されている。正当な理由なくお前から店を取り上げたら私の方針を疑われかねない。白山茶房は受け取れん」
お父様の言葉に、私は俯いた。私を確認すると、お父様は生駒へ顔を向けた。
「生駒、とりあえず、二人で社宅へ移るように。すこしお前も頭を冷やせ。退職願は受理しない。私情で社員をクビにするほど無能ではない。この件に関する手続きは第二秘書に任せる。まずは引っ越しの準備をしろ」
お父様の言葉に生駒が慌てる。
「旦那様、それでは責任が」
「綱守はもう十八だ。お前が責任を取る必要はない。それに、綱守にとって大切な時期だ。秘書の前に親としてすべきことをしてやれ。間違っても学校や進学をやめさせるなよ。それこそ白山家の恥になる」
生駒は唇をかみ不満げだ。
「そして、綱守。お前はまず、大学でしっかり勉強してきなさい。そのために今は最善を尽くす必要があるだろう。優先順位がどこにあるか、お前にはわかるな?」
綱は静かに頷いた。
「わかったら下がれ」
「……はい。ありがとうございます、旦那様」
「ありがとうございます」
生駒と綱が深々と頭を下げ、書斎から下がった。
お父様は放心しているお母様を見る。
「俺はお前を不幸にしたか?」
「馬鹿言わないで!!」
お母様が怒れば、お父様は珍しく破顔した。
「ならいい。彰仁、姫奈子を部屋に連れていけ」
お父様の言葉で彰仁は渋々と私の横にかがんで肩を抱いた。
「ほら、立て、行くぞ」
「……うん」
鼻をすすりながら立ち上がる。乱暴な言いぐさ。でも肩を抱く手は暖かい。
ずっとこの子を守ってあげなきゃと思っていたけれど、どうやら守られたのは私だったみたいだ。
「彰仁、ありがと」
「お前のためじゃねーし。綱のためだし」
そっぽを向いて突き放すように彰仁は言う
「綱が頭を下げて何かを欲しがるなんて初めて見た。だからしょーがねーだろ。俺たちがわがまま通すとき、綱はいつだって味方してくれたんだ。今度は俺の番」
ボソッと彰仁が言った。
確かに綱がこの家で、何かを欲しがったことはなかった。与えられたものですら控えめに受け取った。
「つーか、姫奈子のおもりなんて俺は絶対嫌だからな。めんどくせー」
「なによ、面倒くさくないわよ、っていうか、なんで私がおもりされないといけないの!」
「今まさにめんどくせーよ。……お前、ちゃんとしろよな。綱が家からいなくなって何にもできないんじゃ、依存だったって言われても仕方ないんだからな!」
彰仁に睨まれ、ギクリとする。
そうだ、明日から綱はいない。自分でしっかりしないといけない。
彰仁が、ため息交じりに頭をかく。
「うちで綱が欲しがった唯一のものがお前なんてさ……」
そう言って、彰仁は唇をかんだ。私と目を合わさない、その瞳が少しうるんでいる。彰仁は彰仁で思うこともあるはずだ。
「ごめんね、彰仁」
「べつに」
「ありがと」
「うるせー、早く寝ろ」
彰仁は私を部屋に押し込んで、早々に自室へ戻っていった。
明日から綱のいない日々が始まる。







