259.ケンカにもならないのです
朝から私は機嫌が悪い。
今日はお弁当の日だったけど、誰にもお弁当を作らなかった。
朝ごはんにそれを告げれば、お父さまは「いつも悪かったな」と一言、生駒は「これまで大変だったでしょう? 無理はしないでくださいね」といたわってくれた。
綱はさっぱりとしたもので「そうですか」と言ったきり。彰仁にいたっては何も言いもしなかった。
綱への意地悪のつもりでしたのだけれど、余計に私がムカついている。
もう少しガッカリしたり、心配したり、「もしかしたらおこらせたのかな?」とか、そんな風に慌ててくれてもいいと思う。
だって私は彼女なんでしょう?
そうしたら私だって、別に許してあげてもいいんだけど!
爽やかな綱のサラサラ前髪だってムカついてしまう。
ふくれっ面で学院に向かう。機嫌が悪いのを知っているから、綱も彰仁も私に話しかけない。
ふん。どーせ。どーせ。綱は私になんか興味ないのよ。
彰仁は友達と合流して、私と綱になる。
あからさまに無視したところで、綱はポーカーフェイスなのだ。「我儘お嬢様のいつものことで慣れてます」と言わなくたって顔に書いてある。本当にムカムカしてしまう。
結局、何も話さずに廊下で別れた。
本当にムカつく。
ムカついて先へ教室へ足早に向かい、それでも名残惜しくて振り返れば、綱は違う子に話しかけられていて私になんて振り返らない。
ガッカリして、悲しくなって、ションボリと教室のドアを潜る。
「おはよう! 姫奈子さん!」
いつも通り元気いっぱいの氷川くんの声にハッとする。相変わらず眩しい笑顔である。
重くなっていた心が軽くなっていくようだ。
フン、とおへそに力を込めて気持ちを切り替える。
不機嫌をクラスにまき散らしてはいけない。
サロンヤサカで仕込まれたパフォーミングパートナー仕込みの笑顔を作る。
「おはようございます」
挨拶を返せば、「おはよう」の声がたくさん降ってくる。
きちんとした挨拶は大切なのだと、氷川くんから教えられた気がした。
お昼休みになった。
結局、綱は今までの休み時間、私に会いにも来なかった。
今までだって昼休みくらいしか会えなかったけど、今日くらいは様子を見に来たっていいと思う。
彼女が自分を無視して、定番のお弁当も作らないなんて普通だったら慌てるはずだ。
何をしたかと、聞いてくる。
別に謝ってほしいとか、そういうわけではないのだ。
たった一言「どうしたの」と聞いて欲しい。
綱が教室に顔を出した。
それを見てカチンとする。
「私、今日は詩歌ちゃんたちと食べるわ」
ツンとして言えば、綱は表情も変えずに「わかりました」と答えた。
え!? 嘘でしょ? ここでどうしてって、聞かないの? 残念だと思わないの?
ガーンと思っているうちに、綱はサッサと教室から出て行ってしまう。
呆然としていれば、詩歌ちゃんが私の手を引いた。
「姫奈ちゃん行きましょ? 今日はカフェテリアなの」
クラス委員を含めたクラスの女子数人と連れ立ってカフェテリアへ向かう。
一階の中庭に面したカフェテリアはテラス席もあり開放的な雰囲気だ。こちらの学食は白山グループのお店で、メニューは管理栄養士が考えており、日替わりで提供される。ちなみに、日々のメニューは和洋中の三種類。それにテイクアウト用におむすびと食事系のパン、カップに入ったおかずが販売されている。
私は中華を選んでテラス席へ向かう。
テラス席についてふと中庭を見れば、離れた木陰にベンチに座る綱の背中が半分ほど見えた。
いつものベンチだ。私はすっかり木の幹に隠れて見えないものだと思っていたが、そうではないらしい。
三人掛けの真ん中に綱が座っているのは習慣だろう。いつもだったら綱の右側に私が座っているのだ。
いつもだったら綱とお弁当のはずだったのに。
そう思っても、この状況を生んだのが自分自身なのだから仕方がない。ランチを見れば油淋鶏で、唐揚げ好きな綱に食べさせてあげたいだなんて一瞬思って我に返る。
私ばっかり綱のことを考えてる。その事実に、ムッとする。
乱暴に箸を突き刺せば、クラス委員の子が苦笑いした。
「ご機嫌斜めだね」
言われてグッと言葉を詰まらせる。
「そんなこと、ないもん!」
「あ、ほら、生駒くんのところに下級生」
ガタリと席を立って綱を見れば、下級生らしき女の子が綱にカフェテリアで買ったサンドイッチらしきものを見せて話しかけている。多分、一緒にお昼をと、誘っているに違いない。
後ろからだから綱の表情はわからないが、女の子は俯いてその場を去った。きっと断られたのだろう。
私はホッとして席につく。
「あ、また」
言われてまた席を立つ。
今度は男子でホッとして席につく。
油淋鶏を口に運んで食事を始める。綱は男子の誘いも断ったらしい。
「今度は女子ね」
その言葉にまた席を立てば、クラス委員の子が笑った。
「白山さん、落ち着きなよ。そんなに気になるなら、生駒くんのところへ行ったら?」
「別に、気になんてしてないもん!」
ふくれっ面で答えれば、詩歌ちゃんが苦笑いした。
「生駒くんも大変ね。これじゃ落ち着いて食事もとれないわね」
「そうね……」
「姫奈ちゃん、側に行ってあげたら?」
詩歌ちゃんの言葉に箸をギュッと握る。
「白山さんと一緒ならだれも誘わないと思うんだけど」
委員長の言葉が胸でくすぶる。
私は便利に利用されているだけなんじゃないの?
恋愛を面倒くさがっている綱が、氷川くんや八坂くんがする様に、私を人避けに使っているだけなんじゃないの?
人避けもできて、お弁当も作ってくる、都合のいい女なんじゃないの?
私はフルフルと首を振って、黙々と食べだした。
もう、いい。綱なんか知らない。誰かとご飯を食べればいい。
「姫奈ちゃん、生駒くんが何かしたの?」
ご飯を食べ終わって、独りでベンチに佇む綱の背中を見ていたら詩歌ちゃんに聞かれた。
真っ直ぐで済んだ黒い瞳が、心配とちょっと怒りを込めた目で私の顔を覗き込む。
詩歌ちゃんが私を案じて、綱に怒っているのかもしれない。
「綱が何かしたわけじゃないの。……私が勝手に怒ってるの。でも綱も酷いのよ! 私が怒ってたって、全然、気にしないの! どうしたのって聞いてくれないの!」
詩歌ちゃんみたいに心配してくれない。
たった一言何があったと聞いてくれるだけでいい。
たったそれだけを綱はしてくれないのだ。
「白山さんて、さっしてチャンなんだね」
悪意のない声でクラス委員の子が笑った。
私は思わず言葉を失う。
「そんなの言わなきゃわかりっこないじゃん。ちょっと、生駒くんが気の毒」
「綱が気の毒?」
「そうだよー。自分で怒ってる理由を言わないくせに、わかって欲しいなんて、無理じゃない?」
スッパリと両断されて、私は俯いてしまった。まさに正論である。綱は何にも悪くない。
「姫奈ちゃんは生駒くんに甘えちゃうのよね? 生駒くんなら言わなくてもわかってくれる、って」
詩歌ちゃんの言葉で自覚して、急に自分が恥ずかしくなる。
そうか、私は甘えてるのか。
いつも綱が何も言わずに準備していてくれるから。
それが当たり前だったから。
「甘えるのは可愛いけど、愛想つかされないようにほどほどにしときなよー」
クラスメイトにそう茶化され、ガーンとなる。
愛想をつかされる……。
想像してゾッとした。
「仲直りできると良いわね」
詩歌ちゃんが言って、私は静かに俯いた。







