252.高等部三年 学園祭 2
午後の仕事は早めに切り替えて、仮装のために着替えに行く。
今年はメイクが大がかりなので私は一人早めなのだ。
用意されていたドレスは、立襟・長袖のいわゆるローブ・モンタントで、艶やかな漆黒のベルベットに金の刺繍が施されている。
「すっごく豪華!」
とりあえず着替えてクルリと回る。肩にはマントのような薄いレースの布が直接ついていて、床にまでつきそうだ。
着替えをしてから別室に行く。八坂くんがメイクをしてくれるのだ。
ドアを開けて中に入れば、八坂くんがビックリしたように目を大きく見開いた。
べっこう飴のようにキラキラと煌めいた大きな瞳が零れ落ちてしまいそうだ。
「綺麗だね」
一言そうドレスを褒めて笑う。
「綺麗なドレスですよね。ビックリしました」
「似合うと思ったんだ。さぁ、もっと似合うようにしてあげる。こっちに座って?」
肩肘のカウチソファーに誘導され、そこへ腰かける。首周りにメイク用のケープをかけられた。
「時間かかるから、楽にしてて」
言われた通りソファーに体を預けて目をつむる。
八坂くんの指がそっと、本当にビックリするぐらいにそっと顎に触れた。
天使の羽根でもこんなに柔らかくはないだろうと思わせるほどのささやかさだ。
いつも乱暴に頭にのってくる人とは同じと思えなくて思わず笑う。
「なに? くすぐったい?」
「ううん、なんか、そうね、八坂くんの指、天使の羽根みたいだわって」
私の答えに、八坂くんが息を飲んだのがわかった。そして、触れていた指に力をこめる。
「変なこと言わないで」
「ごめんなさい」
「おしゃべり禁止ね、線が曲がるから」
「わかりました」
答えて口をつぐむ。
「ちょっと冷たいかも。目の周りに魔女っぽく絵を描くよ」
スルスルとアイライナーで何か描かれているのがわかる。
目の周りは広く色を塗られて、目じりには何かを張り付けられた。
真剣な八坂くんの気配。
八坂くんも軽口を叩かない。
芙蓉館の時計は塾とは違って高級だから、時計の音さえ聞こえなくて、ただ自分の血液の音が耳の奥で流れていく。
気持ちよくて眠くなってしまう。朝からジェットコースターを押し続けて疲れてしまったのだ。
八坂くんが不意に離れて大きく息を吸った。細かい作業で気を張るのだろう。
瞼をあげて良いのかわからない私は、目をつむったまま同じように息をつく。
「もう少し、我慢してね」
八坂くんの声。声だけ聴けばハニーミルクだ。蜂蜜レモンなんかじゃなくて、まろやかで優しくて甘い声。
「うん」
答えれば八坂くんはもう一度深呼吸をしたようだった。
「ちょっと、……ごめんね」
少しかすれた声は、喉にミルクが絡まったみたいだった。
冷たい筆が唇に触れて、思わず唇が硬くなる。
「力、ぬいて?」
そういう八坂くんの指先が先ほどと違って硬い。
だからかえって緊張する。微かに震えているのは私なのだろうか、それとも八坂くんなのだろうか。
「少し唇開くの、わかる? デビュタントでもしたよね?」
オズオズと唇を開けば、鼻先に八坂くんの吐息が触れた。
八坂くんの顔の近さが今突きつけられて緊張する。
唇だけ薄く開き、でも息はつけなくて、気づかれないようにと祈りながら鼻だけで息をする。
唇に、吐息が二つ落ちた。
「はい! お終い!」
八坂くんの元気な晏司くんの声。
ソロソロと瞼をあげれば、背を向けてメイクボックスに筆をしまっている。
「ハイどうぞ!」
手鏡を手渡され覗き込む。
そこには、まるで別人みたいな私がいた。
八坂くんが塗った唇の赤がなまめかしくて、慌てて目をそらした。
紫のグリッターで目の周りをぐるりと彩られ、左の目じりからこめかみにかけてつる草のような絵が黒いアイライナーで書かれている。
右目の下には涙型のジュエルステッカーが貼ってある。
「エレナさまのホクロと同じ場所!」
思わず歓喜の声をあげれば、八坂くんが噴出した。
「さすが、よく気が付いたね」
「ありがとう、八坂くん! すごく素敵!」
「そうでしょ? 姫奈ちゃん、仕上げがまだあるんだ。最高に綺麗にしてあげるね」
髪をきつく纏め、豪華な黒いバロックパールのイヤリングを耳につける。黒いレースのベールをかぶり、まるで魔王に嫁ぐ花嫁のようである。
「左手、出して」
戸惑っていれば左手で、左手を取られた。
「指環、用意してきたんだ」
八坂くんの右手には豪奢なバロック真珠の指輪。その指輪で左手の薬指を撫であげる。体がビクリと縮こまる。
左手の薬指は大事な場所だから。
冗談でも遊びでも違う指環は嵌めたくない。
「大きいからね、薬指は無理なんだ。中指、伸ばして?」
八坂くんの言葉にホッとして指を伸ばす。
スルスルと指環が入っていく。そう、スルスルと入るくらい大きな指環だったのだ。
「このドレスに似合うやつ、これしか見つからなかったんだ。ごめんね」
「ううん、素敵よ」
緊張しすぎて考えすぎだったみたいだ。
そもそも八坂くんが薬指に指環を嵌めようとする理由がない。ただの自意識過剰というやつである。
「最後につけ爪だね」
黒いつけ爪は長くとがって、全体にキラキラとしたビジューがひしめき合っている。紫やクリアやシルバー、細いチェーンまでついててとても重い。
これは以前、八坂くんと一緒にサロンで選んだものだ。出来上がりは想像以上に素晴らしい。
「こんなことでもなきゃつけられないわ!」
嬉しくなって声をあげれば、八坂くんは満足そうに頷いた。
「こういうのもたまにはいいね」
「つけ爪が素敵だから、手まできれいに見えるわ」
「似合う色探してもらった甲斐があったね」
八坂くんが笑って立ち上がった。
「さぁ、女王陛下、お手をどうぞ」
恭しく礼なんかして右手を差し出してくる。
私も悪の女王気分で右手を置いた。
手を取って歩き出す。
扉の前でいったん止まって、八坂くんが私を見た。
最後の確認といった様子で、頭の先からつま先までゆっくりと視線をおろしていく。
「薬指はシンプルなデザインで用意するから」
八坂くんがクスリと笑った。
「っえ!?」
ガチャリ、ドアノブが開く。先に八坂くんがドアを出る。
そこにはすでに綱と氷川くんが立っていた。
八坂くんの背中越しから、二人が不機嫌なのがわかる。
「あんじっ!」
氷川くんが声をあげた瞬間に、八坂くんが私を自分の前に押し出した。
「さぁ、和親、生駒、我が女王にひれ伏したまえ」
八坂くんがニヤリと笑った。
「ちょっと! 止めてよ! 八坂くん!! 魔女でしょ⁉ 女王じゃないでしょ!」
慌てて八坂くんに振り返れば、肩のマントが氷川くんにぶつかった。
そのマントの先を氷川くんが反射で掴む。呆けたように顔を赤らめて、私を見た。
「あ、すみませんっ!」
「あ、いや、きれいだ。とても」
氷川くんが呆けたように呟いて、八坂くんが笑う。綱は全く不愉快そうだ。
綺麗だと思ってくれないのかな。
自分では結構自信があっただけに、少しだけシュンとなる。
「手を離してください」
綱が氷川くんの手を取って、握りこんだマントをその手から外す。
「あ、ああ、すまない、とっさに」
「大丈夫です」
氷川くんがオロオロとして笑ってしまう。
「ねぇ、綱? やっぱり私ブスかしら?」
不機嫌そうな綱に問いかける。
綱はポカーンとした顔をした。
「はい? 正気ですか?」
「え、だって、綱、変な顔してるもの、どうせ似合わないんでしょ?」
「私があなたをブスだと言ったことはないですよ」
綱がきっぱりと断言した。その言葉に目の奥でチカリと光が爆ぜた。
いわれてみればそうだったかもしれない。前世でも言われたことはなかったかも。
歯に衣着せぬ綱の癖に、ブスだと言われたことはなかったかも。
ねぇ、それって、前からずっと、私のことブスだとは思ってないの?
期待して、でもと、自分に言い聞かす。父親の上司の娘にさすがにブスとは言えないだろう。
「良く似合っていますよ。大丈夫です。安心してください」
せっかく期待を打ち消したのに、なんにも知らない綱が言う。
その顔はなんだか少しふくれっ面で、少し赤くって。
もしかして、照れてるの? 可愛いと思ってくれる?
胸の奥がブワリと熱い空気で膨らんだ。
こほんと氷川くんが咳払いする。八坂くんがそれを笑った。
「さあ、僕らも着替えよう?」
八坂くんの声に、二人は渋々という感じで頷いた。
私は女子の着替えている部屋へ行く。
「ひなちゃん、かっこいいです!」
紫ちゃんが駆け寄ってくる。水色のパフスリーブのドレスに黒いチョーカー、ドレスと同じ色のカチューシャに、白いオペラグローブでまさにシンデレラだ。
詩歌ちゃんは、眠りの森の美女らしくキラキラとしたバラの模様が織り込まれたピンクの長袖ドレスだった。頭にはちょこんとティアラを載せている。
明香ちゃんのドレスは、アラジンをイメージしていてピーコックグリーンで孔雀の羽根の刺繍がちりばめられている。ドレスとはいってもロングのキュロットにサンダルで快活なイメージが明香ちゃんにピッタリだ。
みんなまさにお姫様だ。
「みんなかわいい~‼ これは八坂くんに大感謝ね!」
「本当です。うれしいです」
紫ちゃんは高揚した顔で頷く。
「それに男子も気になるわよね」
「二階堂くんの初仮装も楽しみね」
明香ちゃんと詩歌ちゃんがいたずらっぽく笑う。
紫ちゃんは、コクコクと頷いた。
三銃士の仮装をする三人は、羽根のついた帽子に、銀の十字架がデザインされた長くて青いベストに、マント。腰には模造刀を佩いて、ブーツ姿である。
二階堂くんはダルタニアンだ。帽子もマントもつけていない。茶色いベストに、フリルのついたブラウスとブーツで居心地が悪そうだ。
「仁くん、素敵!」
紫ちゃんが感極まった感じで頬を押さえる。
どう考えても、マント姿の三銃士のほうが格好いいのに、恋とは恐ろしい限りである。
そう、どう考えても綱が一番かっこいい。
八坂くんが気取った顔でスラリと剣を抜いて見せる。青いマントの内側が赤くひらめいた。
ヒュンヒュンと軽く振って、スマートに鞘に納める。
まるで舞台の一幕を見ているようで、思わず手を叩く。
「わー素敵!」
「本当の三銃士みたいね!」
「ポスターみたいよ」
女子たちはワイワイとはしゃぐ。
綱と氷川くんはシラッとした顔をしている。
「八坂くんありがとう! みんなをこんなに素敵にしてくれて」
思わず八坂くんにお礼を言う。
すべて八坂くんの伝手で用意してくれたのだ。
「いえいえ、僕もこんな素敵なお姫様たちをプロデュース出来てうれしいよ」
バチコーンとウインクを飛ばす八坂くんだが、今日は素直にかっこいいと思う。さらっとこういうことをやってしまうのだ。
この姿で学院内を練り歩けば、想像以上の大騒ぎだった。八坂くんは三銃士の癖になぜだか私の脇にいる。
「うわぁ、これは……すごいね、白山さん」
茶化した感じで三峯くんが話しかけてくる。
三峯くんは想像通りオオカミ男である。そう、三年連続同じ仮装だ。合理的、うん、合理的だ。
「でしょう?」
ちょっと悪女ぶって流し目で答えてみる。服装につられて、魔女の気分なのである。
「オレ、今年は女王様についていこうかな」
「魔女であって、女王様じゃないんですけど……」
「いやいや、モンスターの女王様」
三峯くんのグループは毎年オオカミ男やらフランケンシュタインやら、モンスターで固めているのだ。
「それってちょっと面白いかも」
私の後ろに三峯くんのグループが便乗して歩き始める。
「おま、……ひなこ、それ、まおう……なのか」
彰仁があっけにとられた顔で私を指さした。修吾くんと二人そろって、吸血鬼の仮装をしている。
ニヤリと笑ってみる。
「どうした、我が眷属よ」
ノリノリで言ってみれば、修吾くんがクスリと笑った。
「女王様、わたくしも列にお加えください」
修吾くんもノリノリである。
「うむ、良きに計らえ、くるしゅうないぞ」
調子に乗れば、修吾くんはエスコートするように私の手を取った。まるで魔王を支える参謀のようである。挑発するように八坂くんを軽くねめつけ、ちょっと悪い顔をしている。
「ばっか! やめろよ、姫奈子。修吾も、おまえ~‼」
語彙力をなくした彰仁がギャンギャンわめく。
気が付けばどんどん人が集まってきて、最終的に学園中のモンスターたちを引き連れて歩くことになった私である。
「さすが姫奈子さんだな」
氷川くんが少し呆れたように言って、八坂くんが笑った。綱も苦笑いだ。
こうして最後の学園祭は無事に幕を下ろしたのである。







