245.高等部三年 夏休み
夏休みである。
しかし、テンションは低い。
何しろ今年は最終学年。綱の予定が忙しすぎて、一緒に別荘には行かないといわれたのだ。
私も塾の講座はいくつか取ったが、綱は塾にくわえて、車の免許を取るために教習所の合宿に参加するらしい。それ以外にも学習系の合宿と、今年は生駒の実家に綱だけ長期で帰省する。
全然、綱と遊ぶ時間がないのである!
だって、受験勉強と称して二人で図書館に行ったりだとか、ちょっと期待していたのだ。別荘地の図書館に自転車で二人。少女漫画のような青春ができるかもと思っていたのに、綱は別荘地に来ない。がっかりだ。
私は誕生日が先だから教習所には行けないし、学習系の合宿は学力の関係で混ざれないし、不満ブーブーでいれば彰仁に怒られた。
曰く「いい加減自立しろ」である。
別に綱に頼っているわけではない。単純に好きな人と一緒にいたいだけなのだが、それを彰仁に言えるわけもなく、唇を噛むしかない。
せっかくの誕生日にも会えないし。ってことはパーティーもできないし。おめでとうって言いたいのに。
今まで喧嘩していても誕生日は祝ってきた。それなのに、予定を聞いたら当たり前のように居ないと告げられたのだ。
不満に思いつつも、当日はメッセージをスマホに送り、彰仁と一緒にプレゼントを贈った。本当はケーキを焼いて、唐揚げをあげてパーティをしたかったけれど仕方がない。
綱にしてみれば、きっとどうでもいいのだ。
綱は難関校の三年間分の過去問を三巡すると言っていた。私も負けるわけにはいかない。
私は別荘で国立系の過去問をこなしつつ、食べ物系のサロンに行くことにした。綱がいなくたって充実した夏を過ごすのだ。綱がいなくたって楽しかったって言ってやるのだ!
サロンでは、ウインナーを作ったり、燻製を作ったり、テーブルコーディネートを教わったりした。これがなかなか面白い。サロンの運営にも俄然興味が湧いてきた。
彰仁には釣りにも連れて行ってもらった。気温の低い別荘地の湖では、夏でもニジマスが釣れるらしい。初め頼んだ時は凄く嫌そうだったから諦めていたのだが、何の気まぐれか連れて行ってくれることになった。
彰仁は釣り場の常連らしく、知り合いがたくさんいるようだった。おじさんから子供までいろいろで、中には芙蓉も花桐もいるようだ。
彰仁と私は手漕ぎボートに乗り込むと湖の沖へ出た。
少し安定したところで、彰仁が準備をはじめる。
パカッとケースを開けられて、ずいと突き出される。ケースいっぱいのうねるミミズは出かける前に庭で掘ったものらしい。
「ぎやぁぁぁ! なによこれ!」
「なにってミミズだろ? これが一番釣れる。こうやって」
彰仁はさもないことのようにミミズを捕まえ釣り針につける。ウネウネするミミズ。
彰仁自身はルアーだとかワームだとか玩具みたいなものを使うくせに、私には生餌を渡すとは意地悪だ。
「いやぁぁぁ! 私も彰仁と同じのがいい!」
「うるせーな。魚が逃げる。それに、釣りなんか釣れなきゃつまんないだろ? つけてやるから黙って水に垂らしてろ」
彰仁はそういうと釣り糸を投げて竿だけ私に渡した。
渋々と竿を受け取る。
「……ありがと」
いろいろ不服はあったが、彰仁の思いやりだとはわかるからお礼を言う。
ただ、デートでこれをやったらモテないと思う。
「べつに。姫奈子飽きるとめんどくせーし。あと、燻製やってみたい。なんか、オマエ買ってたよな? 燻製器」
簡単な魚群探知機を手漕ぎボートに設置しながら彰仁が言う。
「いいわよ。上手く出来たら真空パックしましょう! 綱に取っておいてあげたいわ」
「ああ、そうだな」
彰仁が魚群探知機を頼りにボートを漕いでいく。
黙々とこなす姿は手慣れていて、今まで知らなかった彰仁の様子を垣間見た気分だ。水面を撫でる風が気持ちがいい。波間に水鳥がプカプカと浮かんでいる。
「おい、姫奈子、引いてるぞ!」
彰仁に言われて慌てて竿をあげる。
「ばっか! 急に上げるな!」
怒られて竿をおろす。
「え? え? え?」
「魚見て、リールを巻いて、逃げられないように、タイミングあわせろ」
「え? え?」
「そう、ゆっくり、まだ魚ついてるな?」
「たぶん?」
「ちょっと止めて、ああ、魚ついてる。わかるな?」
水面に魚影が見える。釣り竿に手ごたえがある。
「うん」
「良く魚を見て、糸を巻いて」
「うん」
魚を見ながら糸を巻く。やっとのことでボートの近くまで引き寄せる。
「いまだ、あげろ」
「はい!」
彰仁の声で竿をあげる。彰仁がたも網で魚をキャッチする。
釣り糸を捕まえて、魚を外す。
嬉しい。私でも釣れた。そして、釣りは思っていた以上にスリリングで楽しい。
「ほら、お前の釣った魚」
グイと押し付けられてギョッとする。
「ぎゃぁ!」
当たり前だけど、生きている。ビチビチと跳ねて恐い。思わず顔を背け押し返せば、彰仁に叱られる。
「ふざけんなよ! 生きてるんだぞ!」
ピシャリと言われて身体が固まる。彰仁は驚く私を見て気まずそうに息を吐いた。
「無駄に傷つけたくないんだよ。これはともかく、小さい奴は戻してやるから怪我は少ない方がいい。ちゃんと守って育てるんだ」
「……」
「触らねーの?」
「う、うん。ちょっと怖い」
彰仁はそそくさと魚をボートの外に垂らしている網の中に入れた。
スカリという網を湖に垂らしてあるのだ。背を向け作業をしながらつぶやく。
「自然の中であんまふざけんな。怪我するだけじゃすまねーから」
「うん、ごめんなさい」
「いいよ、べつに。無理して触らせたいわけじゃないし」
そうして、またミミズをつけた竿を私に手渡してくれる。
「タイミングわかったか? 今度は自分でやってみろよ」
私は魚が居そうな場所を目指して釣り糸を投げる。上手くいかなくて手前で落ちて、もう一度巻き上げて、さらに投げるが上手くいかない。何度か繰り返してやっと望みのポイントに落としても、ぜんぜん魚は食いつかない。
やっと食いついたと思っても、自分一人でやってみると釣り上げるのは意外に難しく、途中で魚に逃げられてしまう。魚との駆け引きは楽しくもありスリリングだ。やっとの思いで釣りあげれば愛着もわく。
「ボートの上にいるとさ、できない事とか、自分じゃどうにもならない事とか、そういうのわかるよな」
「そうね」
ポチャンと彰仁がルアーを投げた。
モーターボートの大きな波がボートを激しく揺らした。
周りには何もない。それが開放的で気持ちよく、心細くもあった。だからだろうか、何だか今日は彰仁が頼もしく見えた。
釣りを終え魚をもって湖畔のシンクで彰仁が魚をさばきだした。
生きている魚をさばく彰仁を思わず尊敬してしまう。
さばかれている魚を見ながら、命を頂いているんだと実感した。だからこそ、できるだけ丁寧に美味しく頂かなければいけないと思う。
私は別荘に戻ってさばかれた魚を燻製した。
真空パックにしたものをお父様と生駒に送る。「次は出来立てを一緒に食べましょう。出来立ては美味しいのよ」とお父様に一筆入れたら、お父様は彰仁と釣りの約束をしたようだ。
一緒に釣りに行くことが決まって、ちょっとソワソワする彰仁である。
雨の日にはスカッシュを、晴れの日にはテニスにも行った。彰仁の友達に混ぜてもらって、下級生たちと仲良くなった。
野外バレエも見に行った。今年は美佐ちゃんが主役だったのだ。美佐ちゃんは来年から海外へバレエ留学することも決まっている。ここで見られるのも最後になるかもしれなかった。







