239.高等部三年 氷川くんの小さな嘘
遠泳大会の準備が始まった。当然、氷川くんはやる気満々である。ひっじょーにやる気満々である。
「二階堂と一緒だからな! 負ける気がしない」
水鉄砲合戦について、俄然やる気を出している。
「だが、今年もビーチ・フラッグスは俺がとる!」
二階堂くんに宣言する氷川くんである。
「俺だって負けない! 今年こそ紫に旗をやるんだ」
さり気なく惚気をかまし、現時点での勝者は二階堂くんだ。
私はボンヤリと修吾くんを思い出していた。テニスが忙しいから来ないかもしれないが、修吾くんがビーチ・フラッグスに参戦したら結構いい線行くのではないだろうか。
今年は私も水鉄砲合戦に徴集された。
二階堂くん曰く、「八坂くんに免疫がある女子って貴重だし、あとは生駒対策」だそうだ。
八坂くんに関してはわかる。八坂くんのお色気ショットで、一昨年は敵も味方も女子の大方はやられてしまった。だがしかし、なんだ生駒対策って。私が綱に勝てるとでも思うのだろうか。どう考えても綱は容赦しない。マジで容赦しない。
ただ、詩歌ちゃんも対その他男子対策として投入されたので、不平はあってもやる気はある。詩歌ちゃんと二人、夏の砂浜を駆けるのだ!
そう思えば塩ビ管での水鉄砲づくりも楽しくなる。まだ調整中だとかで、水鉄砲づくりは始まっていないのだが、どんな力作を設計してくるのか今から楽しみだ。
ボートの設計は外部生が中心になっている。今年は『イカス筏で賞』獲得のため盛り上がっているらしい。仮装衣装も作るのだと手芸部の子たちも張り切っていた。
私は氷川くんと二人、ペットボトル集めの根回しにまわる。文化祭でスポンサー巡りをしたお店などに、ペットボトルを取っておいてもらうようお願いして回るのだ。
氷川くんはどこに行っても歓迎される。一年の頃から淡島先輩と歩いていて顔馴染みということもあるし、氷川財閥の御曹司がクラスメイトのために奔走していることが好感度アップにつながっているのだ。
帰り道、紅茶屋さんの二階にあるカフェに寄ることになった。
沢山の種類のある紅茶店で、一階では持ち帰り用のスイーツと紅茶、二階では食事を頼むことができる。
二階のカフェで何にしようかと、メニューとにらめっこする。すると珍しく、氷川くんもメニューを見ていた。
「あれ? 今日はチーズケーキじゃないんですか?」
思わず尋ねる。前世も今もカフェでは即断即決の氷川くんなのだ。飲み物はブレンドコーヒー、甘いものを頼むなら決まってチーズケーキだ。メニューなんてほとんど見ない。それなのに今日は違った。
「……そうだな、今日はそういう気分じゃない」
なんだか少し言いにくそうにモゴモゴ言っている。それもちょっと珍しい。
「紅茶よりコーヒーが良かったですか?」
「そんなことないぞ。でも、ケーキワゴンが見事だからな、いつもと違うものもいいかと思って。姫奈子さんは決まったか?」
「私はチョコレートムースです」
「チョコレートムース?」
「金箔で包まれてるんですよ!」
鼻息荒く説明する。相当お高いムースだ。しかし、数量限定でなかなかお目にかかれないから、出会ったら食べたいと以前から思っていたのだ。それが今日はある。
「おすすめとかあるか?」
「そうですね、チーズケーキが好きならブルーベリータルトとかいいと思います。中がチーズケーキなので。そういうこだわりがなければ、シブーストもフルーツタルトも抹茶のタルトもおいしいですよ」
食べ物について聞かれるとつい興奮してしまう。
思わず熱が入ってまくしたてれば、氷川くんはおかしそうに笑った。
「じゃあ、そうだな。食べたことのないものにチャレンジしてみよう。シブーストにする」
二人でケーキを注文し、それに合う紅茶も用意してもらう。
何しろ紅茶の種類が豊富だから選ぶのも大変なのだ。
「帰りに紅茶を買って帰りたいわ」
私が言えば、そうだな、と氷川くんが笑う。
黄金のチョコレートムースがテーブルに届けられ、二人で目を見張る。
「これは、すごい」
氷川くんが思わずといった感じでつぶやいた。
うーん、めちゃめちゃ成金趣味だったかしら?
私はちょっと苦笑いする。
しかし一口食べればそんな思いも吹き飛んでしまうおいしさだ。なめらかな口当たり。しっかりとビターチョコレートが香る。赤いソースは赤スグリだろうか。
氷川くんもシブーストにフォークを入れて目を見張る。
パリッとキャラメリゼが音を立てて割れたのだ。
一口食べて幸せそうに微笑んだ。
「うん、うまいな」
「でしょう?」
薦めたものを褒めてもらうのは嬉しい。
氷川くんは私を見て、少し気まずそうに笑った。
「俺は、少し姫奈子さんに嘘をついていたんだ」
「嘘?」
「嘘というか、黙ってた」
「なんですか?」
「実はチーズケーキは好物ではない」
突然の告白にびっくりする。
ずっと、ずっと、それこそ前世からずーっと思い込んでいた。
「え? でも、いつもチーズケーキ食べてますよね? 前に聞いた時も好きだって……」
「嫌いではない。だが、選ぶ時間が無駄だからこういう場ではチーズケーキと決めている」
「無駄……」
食べ物を選ぶのが無駄だとか、想像を絶する人種である。楽しいではないか。楽しければ無駄ではない。
「チーズケーキなら全国どこのカフェでもだいたいあるし、食べにくくない」
「……ソウデスカ」
「だからそう決めていただけだったのだが、姫奈子さんが……その、いつも注文していることに気が付いてくれるとは思わなくてだ。好きなのかと聞かれて、否定できなかった。チーズケーキのおススメを教えてくれるのも嬉しかったし、だんだん言い出しにくくなってしまって。嘘をつくつもりじゃなかった。すまない」
氷川くんの突然の告白に唖然とする。
それにしても、前世から合わせれば十年にわたる付き合いをしておきながら、好きなものひとつ知らなかったというのも情けない。
前世の私は、この人のいったい何を見ていたのだろう。
少し自分が情けなくなる。
「怒ったか?」
真面目な顔をして尋ねられてハッとする。
「そんなことないですよ。忙しい氷川くんですもの。いろいろあるでしょう?」
「でも、君に嘘をつきたくなかった」
「言ってない事くらい誰でもあります」
「君もか?」
「ええ、八坂くんにはお酒のお菓子は駄目なんて話してないですし」
「そうか! 晏司は知らないのか!」
「あそこにあるサヴァランも食べてみたいけれど、いつになったら食べれるのか……。今年のお正月なんて、フルーツケーキですら、執事の監視の元ちょっとしか食べさせてもらえなかったわ」
思わず指をくわえてケーキのショーケースを見る。
キラキラに光るサヴァランがフルーツとクリームをたっぷりのせて魅惑的に私を誘っている。
氷川くんは小さく笑う。
「そうだな、卒業したら俺の家で食べたらいい。流石に白山家の敏腕執事の目も届かないだろう」
「ご迷惑をおかけするもの。寝ちゃうし」
「迷惑じゃないし、黙っててやるから安心しろ。寝てしまうなら泊まっていけばいいんだ」
氷川くんが当たり前に言って、思わず面食らう。
私を八坂くんと同じように考えていないだろうか。いくら色気がなくても、この年で男友達の家に泊まるのはどうかと思う。
「さすがに、それは」
思わず苦笑いする。
氷川くんはそこで言葉の意味に気が付いたのか、バッと顔を赤らめた。
「あ、すまない。その、深い意味は」
「わかってます。誤解なんてしません」
クスクスと笑ってしまう。そもそも、こんな昼間のカフェで、清く正しい制服姿で、なんの誤解をするというのだろう。
「誤解……というか……」
氷川くんは俯いて、真っ赤な首を掻きながらモゴモゴと言っている。
前世も何度も一緒にカフェに来たはずなのに、こんな姿も知らなかったな。
ブレンドコーヒーとチーズケーキと氷川くん。私の中でワンセットになっていたデートのイメージ。ただそれが、手早く済ませるためのマイルールだったと今更知ってチョットだけだけれど初恋が傷つく。氷川くんにすれば、私とのデートは早く済ませたい義務だったのだ。
氷川くんが真っ赤な顔のまま私を見た。
「ただ俺は、君と色々なものを食べてみたいと思っただけで」
「はい」
「選ぶのに時間をかけるのは無駄な時間だと思っていた。そういうことも楽しみになるのだと、姫奈子さんを見ていて思ったんだ」
必死に弁明する氷川くんが可愛らしい。私と時間を無駄にしてもいいと思えるほど仲良くなれたのだ。過去の自分を慰める。
「だから、その、また時間をかけても良いか」
「いいですよ。じっくり選びましょう? 私もそっちの方が楽しいです」
「そうか、楽しいか! そうか!」
氷川くんは全開笑顔でニッコリ笑い、シブーストを口に運んだ。
ケーキを食べて店を出る。
さり気なく氷川くんが会計を済ませていてすごく焦った。何しろ金箔で包まれたチョコレートムースはちょっとしたランチより高いのだ。自分で払うつもりだったから注文したのだが、こんなことになるなら普通のケーキにすればよかった。
あまりにも悪いので一階のお店で紅茶を買って氷川くんにプレゼントする。これでも実は割に合わないのだが、せめてもの気持ちだ。
「お勧めなので飲んでみてください。夏っぽい香りがするので今からはアイスでも美味しいですよ」
「ああ! 大事に飲む!」
氷川くんが本当に嬉しそうに言って、私も少し嬉しかった。







