230.高等部二年 バレンタインデー 2
今年も相変わらず放課後は八坂くんのバレンタイン事務である。
呼び出され中の綱をただ待つのもつらいので、やることがあるのは正直助かる。バレンタインの放課後は、用事のない女子はサッサと帰ってしまう。期待に満ちた男子の目も痛いし、誤解もされたくないからだ。そこへポツーンとまつ私。そこそこ肩身が狭いのだ。
今年の八坂くんのバレンタインは、誕生日会のメッセージカード方式を採用した。校内のファンクラブの子には事前にカードを書いてもらってくることになっていた。
申し訳ないけれど、事前に三年生女子からのプロムポーズは一律でお断りとさせてもらった。
相変わらずぶつくさ言っている八坂くんを座らせて、行列をさばいていく。
私はお駄賃的な義理チョコを貰ってウハウハだ。
氷川くんも当然ながらモテモテで、今年は三年女子からのお声がけも多いようだ。プロムポーズなのだろう。
プロムに氷川くんと一緒に行ける女の子は幸せだろう。デビュタントの経験者でワルツは踊れるし、そもそも立っているだけでも格好いい。ダンス賞にかこつけて、二人でダンスのレッスンもできる。
まぁ、ようするにそういうことよ。ダンス賞が取れたら幸せになるんじゃなくて、ダンス賞を取れるくらいの二人なら幸せになるってことなのよねー。
達観しながら、八坂くんのカードにパンチで穴をあけてリボンで丁寧に縛る。
可愛くて愛の溢れるカードたち。できれば大切にしてほしいと思う。
八坂くんは何が楽しいのか、ニヤニヤしながらそれを見ている。
「はい! できました!」
「ありがと、姫奈ちゃん」
本当に幸せそうな顔をして八坂くんが笑う。
それはそうだろう。分厚くなったカードや、沢山のチョコレートには八坂くんへの気持ちがこもっているのだ。
「今年も生駒、時間かかりそうだね。一緒に帰っちゃう?」
八坂くんが茶化すように笑うから、私も笑ってしまう。
「今日八坂くんと帰ったら刺されちゃいそうよ」
「やだなー。僕のファン、優しいよ? 姫奈ちゃんなら怒らないよ」
「確かに、八坂くんのファンて優しいですよね。前にチョコちゃんが言ってました。『ファンの質を見れば本人の質もわかる』って。さすが八坂くんですね」
八坂くんは驚いたように目を丸くして、それから蕩けるように笑う。
「姫奈ちゃんのおかげだよ」
「私なんて何もしてないですよ。それなのにいっぱい義理チョコ貰っちゃって、こちらこそありがとうございます」
こんなふうに周りに感謝する姿勢が、今の八坂くんのファンの優しさを作っているのだと私は思う。
「姫奈ちゃんモテモテだから」
「女子にですけど!」
「男子にモテたい?」
「っ! あ、いや、まぁ、別にモテたくないですけど。あ、負け惜しみじゃないですよ! 本当にいいんです! 今は!」
答える私に八坂くんはクスクスと笑う。絶対バカにしてる。
「和親もモテモテだよね」
「ええ、氷川くんがモテるのはわかるんですよ」
「和親はわかる?」
「格好良いですもの」
「へー? 選挙のパワポすごかったもんねー。愛の告白かと思ったよ。姫奈ちゃんがあれほど和親推しとはしらなかったなー」
八坂くんが何だか白けたような目で見る。八坂くん派と氷川くん派みたいなものがあるから気になるのだろうか。
「ご希望なら八坂くんのも作りましょうか? 来年のお誕生日会で流します?」
「うん、そういうノリね、そんな気がしてた」
脱力したように机に突っ伏す八坂くん。
「私、納得いかないのが一条くんのモテ具合で! 結構意地悪なの、みんな知らないのかしら? ばらしてやろうかしら。うーちゃんにまで色目使ってるくせに!」
「一条言われてる」
八坂くんは笑ってばっかりだ。
クスクスと笑うたびに、ミルクティー色の後頭部がふわりと揺れる。
「姫奈ちゃんはさー、チョコレートあげないの?」
机に突っ伏したまま尋ねる八坂くんの声がくぐもっている。
胸の核心を貫くような質問に、私は曖昧に笑うしかない。
「いつも通りです」
「家族と、島津兄弟?」
「はい」
「好きな人、いないんだ?」
質問に上手く答えられなくて困ってしまう。好きな人はいる。でも、あげられない。
嘘は苦手だ。
「……あげれる人、いませんし」
絞り出すように答えれば、コロリと八坂くんが机の上で頭を転がした。大理石の彫刻の様に整った横顔。べっこう飴のような瞳が私を見る。
その澄んだ瞳で、嘘を見抜かないでほしい。
「姫奈ちゃんは腹芸が下手だよね」
フフと八坂くんが笑う。
私は慌てて顔を押さえた。
「これじゃ、『氷川』『島津』と結婚は難しいね」
「そもそも考えてもいません!!」
誤解があっては困るのだ。ハッキリと答えると、背中でバサバサと紙袋が落ちる音がした。
振り向けば氷川くんが、驚いたような顔をして立っている。
「……考えても……いない……」
人からの拒絶の言葉に慣れていないのだろう。呆然として、氷川くんが復唱する。やめてほしい。
「やーさーかーくーん!! 今のわざとでしょ!? 氷川くん、悪い意味で言ったんじゃないですよ?」
慌てて立ち上がって訂正する。
「その、あれです! 腹芸が無理って話の流れで! たまたま名前が出ただけで! 芙蓉会の代表みたいなつもりで八坂くんが名前を出しただけですよね? ね? 八坂くん?」
フォローを求めて縋るような目で見る。
「いやいや、八坂家は腹芸要らないし大丈夫。エレナも喜ぶよ、姫奈ちゃん」
キュルンと笑顔で混乱すること言わないで。八坂くん。
「姫奈子さんは芙蓉会だし、ベストだ、なのに……」
氷川くんが棒立ちのまま言う。放心状態なのだろうか。豆腐メンタルか。大丈夫か。
あの、落とした紙袋、拾いましょう? 拾う余裕もないなら拾いましょうか?
私はワタワタと氷川くんの落とした紙袋を拾い集めた。そして手を取って紙袋の持ち手を握らせる。
幼稚園児のお使いか。
「あの? 氷川くん? 大丈夫ですか? 本当に本当に悪い意味ではないんです」
「悪い意味ではない……?」
「ええ、悪い意味ではないです」
「では、俺が嫌いではない?」
「嫌いではないです」
「好きか?」
「ええ、す」
好きですと答えかけた時。
「姫奈!」
教室の入り口から、ピシャリとした声が響いた。綱だ。怒っている。すごく。
「言いましたよね? 軽率な発言は控えてくださいと」
ツカツカと歩いてきて、ぐいと私の腕をひき、氷川くんと私の間に入る。
「姫奈は、友人として氷川くんに好意があるとは思います」
綱が言い切った。私はとりあえずコクコクと頷く。
「友人として、です」
綱が二回言った。
「たしかに今の和親はずるかったね」
「ズルい……」
氷川くんが八坂くんの言葉にショックを受けている。
「自分の気持ちは言わないくせに、姫奈ちゃんに聞くとかさ」
八坂くんが茶化すように言えば、氷川くんはカーっと顔を真っ赤にした。
「いや、そういうわけじゃなく、だ、」
「それに、生駒は保護者すぎー」
綱は顔を赤くして唇を噛んだ。
なんだかカオスである。クラスに残っていた男子の目線が痛い。
「あの、私、氷川くんのこと、友達として大切ですよ。悪口言ったりしないです。信じてもらえませんか?」
チラリと窺うように氷川くんを見れば、氷川くんは顔を赤くして、うっと一歩下がった。
グルリとわかりやすくクラスを見渡してみせれば、氷川くんはそこで注目が集まっていたことに気が付いたようだった。肩をグッと上げてから、息を吐きながらストンと落とす。
「わかった、少しびっくりしただけだ。騒いですまなかった」
「いえ、こちらこそ誤解を招く言い方をしてすみませんでした」
本当は八坂くんが悪いんだけど!!
思いを込めて八坂くんを睨めば、八坂くんはワザとらしく目を逸らす。口元はしっかり笑っている。
「もう! 八坂くんも反省してください! わざとでしょ?」
「ワザとだよ。ね、面白かったでしょ?」
八坂くんがそう言えば、クラスメイト達は「いつものコントかー」と笑っている。「氷川くんって意外にノリいいんだね」なんて声もする。
「八坂くんて……こういう処理、本当にお上手」
尊敬と呆れの混じった声で呟けば、黙って小さく肩をすくめた。なんだか寂しげに見えるのは気のせいだろうか。
「姫奈、帰りますよ」
綱の声に我に返る。
「あ、うん。では皆さまごきげんよう」
挨拶をして教室を出る。時間がかかった割に綱の持っているチョコレートの数は少ない。受け取らないという本命が多かったんだと知れる。
「プロムポーズ……」
思わず口に出ていてハッとする。
「すべてお断りしました」
当たり前のようにサラリと綱が答える。
ほら、やっぱり本命沢山いたんじゃない。
断られた先輩たちが可哀そうだと思いつつ、自分の喜びが勝ってしまってニヤつく口元。
「もったいないわね」
「面倒です」
ツンとした綱の鼻先を見て思う。
綱の想い人はチョコレートをくれないのだろうか。綱の気持ちに気が付いていないのだろうか。
まぁ、綱が好きな子なんて皆目見当つかないし、きっとその子にもポーカーフェイスだったりするんだろうな。
「なにか?」
「いいえ。不器用よね、と思っただけ」
私がそう答えると、綱は「あなたに言われたくない」と呟いた。







