218.最後かもしれない日
本日はあの運命の日。高等部二年の氷川くんの誕生日である。
以前から着々と準備を進め、身辺は整理してある。
白山茶房の引き継ぎ書だって作ってあるし、修吾くん関連の申し送りも作ってある。
彰仁用にはパンのレシピを綺麗なメモ帳にまとめ直しておいた。ついでに甘酒のレシピも入れておく。酵母好きな彰仁だ。そのうち興味を持つかもしれない。
綱には……なにも残せない。
だって、遺品から「実は好きでした」とかメモが出てきたら怖いだろう。
重いし。
……まぁ、私重いんだけど。
朝から憂鬱で何となく頭も痛い気がする。
学校を休んでしまいたいと思いつつ、そんなことをすれば逆に罰が当たりそうだとも思う。
ずる休みもしないで今まで来たのだ。前世とは違うとわかっている。だから、信じて今日一日、頑張らなくては。
一応朝のニュースを確認し、朝食を一緒に取るようになったお父様に会社の様子を聞いてみる。
特に問題のなさそうな受け答えで、少しだけ安心する。私がどうかしたとしても、家にまで害が及ばなければそれでいいのだ。
それでも、きりきりと痛む胃は収まらず、正直食欲なんてあるはずもない。
綱には病気を心配され、おでこに触れられてちょっと得した気分だったが、やっぱり今日は気分が乗らない。
重い足を引きずって学校へ行き、ビクビクと一日を過ごす。
お昼休みには一応株価とネットニュースの見出しをチェックだ。
なんだか今日は、八坂くんがとても静か。氷川くんとはたびたび目が合うが、目があえば目をそらされる。
そうなってくると、思い込みなのか何なのか、詩歌ちゃんすら不自然に思えてくる。
進路指導室からの呼び出しもなく、なんとか無事に一日が終わりそうだと、教室で帰る準備をしていたら、綱が迎えに来た。
「淡島先輩から、生徒会室にとのことです」
ギクリ。心臓が飛び跳ねる。
「へ? 私? なにかした?」
オドオドと綱を窺い見れば、綱はとっても不機嫌だ。
「たいした話ではないと思いますから、嫌ならいかなくてもいいです」
綱がぶっきらぼうに答え、私はグルグルと逡巡する。
ここで逃げ出してもいいのだろうか。
逃げ出して、家に帰って、あの日みたいにならない保証はどこにもない。
何かしてしまったなら、向き合って説明したほうがいいに違いない。
逃げだしたら、反省もなにもできないのだから。
「ううん。行くわ……」
あの日からいっぱい反省した。
自分の何がいけなかったかわかったつもりだ。
自分の利益のために他人を陥れる。
自分を良く見せるために他人を下げる。
そんな自己中なやり方は、いけないとわかっている。
人を蹴落としてもその場所が自分のものになるわけではない。そう八坂くんが大黒さんに言っていて気が付いたのだ。
他人を不幸にしても自分が幸せになるわけではないのだ。
だったら人の不幸を願うより、自分の幸せのために努力したほうがいい。
無言で先へ行く綱の背中を見ながらついていく。
あの日とは反対だ。
あの日、わめき散らして先へ行く私を、綱は小言を言いながら追いかけてきたっけ。
前世とは違う。前世とは違うのだといい聞かす。
生徒会室のドアの前に立ち止まり、静かに息を吐いた。
ドアを開ければ、そこは生徒会室であの日と同じメンバーがいた。
正面には会長の淡島先輩。
隣に立つのは氷川くん。
その隣には不機嫌そうな八坂くん。
もちろん詩歌ちゃんもいた。
あの日と違って、葵先輩や三峯くん、紫ちゃんと二階堂くん、明香ちゃんもいるのはなぜだろう。いやあの日もいたのかもしれない。氷川くんしか興味のなかった私が見ていなかっただけだ。
ゴクリとつばを飲み込む。
「待ってたよ」
淡島先輩が笑って、いよいよかと腹をくくる。
「ここへ座って」
示された椅子に素直に座る。立ち話ではすまない、そういうことだろうか。
「それで、和はここ」
氷川くんが隣に座って、反対隣りには淡島先輩だ。二人で挟み、逃げ出す隙も与えない、そういうことか。
冷や汗ダラダラで、パフォーミングパートナー仕込みの笑顔だって今にも剥がれ落ちそうだ。
淡島先輩が座ったら、みんな席に着き始めた。
なぜか、紫ちゃんと二階堂君が紅茶を入れだして、みんなに配る。
「あ、あの、今日は何なんでしょうか」
ソワソワと淡島先輩をみて控え目に問う。もう一気にしばかれたい!
「ああ、今日は和親の誕生日」
ケロリ、淡島先輩に言われて白目をむく。
「ひかわくんのたんじょうび……」
「知らなかった?」
いや、知ってたけど! 知ってましたけど! それと私、何の関係があるんじゃー!
叫びたい思いをひた隠し、とりあえず笑う。
「……いえ、あの、知ってはいましたが、それで?」
「それでたまには誕生日会もいいかと思って」
にっこり笑う淡島先輩。思いっきり狸面ですからね!
詩歌ちゃんと明香ちゃんが苦笑いして、八坂くんは不貞腐れている。
「たんじょうびかい……」
紫ちゃんと二階堂君が大きなショートケーキを氷川くんの前に置く。ロウソクの火が揺れている。
ああ、うん、本当に誕生日会なんだ……。
ホッとして泣きそうである。
いや、違う、なぜ、今日突然私を呼んだのだ。
「事前に教えてくれたら何か用意してきたのに……」
思わず淡島先輩をなじってしまう。
主賓をサプライズならともかく、私にサプライズをする必要性とは?
「いいんだよ。みんなで集まるのが目的だったから。とりあえず、ハイ! 歌って!」
淡島先輩にそう言われ、みんなでバースデーソングを歌う。最後にロウソクの火を吹き消して、氷川くんが照れたように笑う。
おめでとうと言って、拍手して、ありがとうって言われて。
ああ、嘘みたい幸せな気持ちになる。前世では考えられなかった。
誕生日、だったんだ。
あの日も氷川くんの誕生日、だったんだよね。
それなのに私は氷川くんを祝うことより、自分のことばかり考えていた。
前世のあの日もこんな風に淡島先輩は準備していたのかもしれない。
そこを邪魔したのは私だ。
言ってくれたら……そう思い、いや、あの頃の私は言われたところで聞く耳を持たなかっただろうと思いなおす。
婚約者を無視して、友達同士で誕生日なんて何の冗談だと、きっと責めて怒り狂った。
氷川くんの時間も人間関係も、全て私が口を出す権利があると思いあがっていたのだから。
いくら婚約者だとしても、お互いにお互いの世界があるのだと、今だったらわかる。
わかるようになれて良かった。
「白山さん、ケーキをサーブして」
大きなバースデーケーキは、淡島先輩からの命令で私が等分に切り分けてサーブする。
ちゃんとしたナイフがないから、ケーキはぐちゃぐちゃになってしまった。
「素敵なケーキだったのにごめんなさい」
謝れば。
「こういうのも記念だよ」
なんて意地悪な顔して三峯くんが写真を撮る。
「止めて、恥ずかしいわ。ごめんなさい、氷川くん。でも、これが一番大きいと思います」
写真をこれ以上撮られないようにと、急いでとりわけプレートの乗ったケーキを氷川くんに渡す。
「いいや。姫奈子さんに取り分けてもらえてうれしい」
氷川くんはそう言って本当に嬉しそうに笑った。
氷川くんは驚く私に照れたように目を背け、イチゴにフォークをさして口に運ぶ。
「好きなものから食べる派ですか?」
思わず問えば、氷川くんは不思議そうに私を見た。
「好きなものから食べる派?」
「イチゴ、好きなんですか?」
「ああ、イチゴがあるとバランスを考えながら食べないといけないだろう? だから初めに食べる」
「合理的なんですね」
「面倒くさがりなんだ」
「意外です」
氷川くんが少し困った顔で笑った。
「姫奈子さんは、好きなものから食べるのか?」
「ええ、私は好きなものからです! そうしないと彰仁に取られちゃうもの」
「彰仁が? それこそ意外だな」
たわいのない話。ぐちゃぐちゃなケーキ。それをみんなで分け合って、笑いながら食べる。
八坂くんがいつものように頭に顎を置いてきて、氷川くんがそれをたしなめる。
綱が紅茶を入れなおしましょうと、私に声をかけてくる。
紫ちゃんと二階堂くんと一緒に紅茶を入れなおす。
紅茶を入れ終わったらこっちに来て、と詩歌ちゃんと明香ちゃんが二人の間を空けてくれる。
三峯くんに促されてみんなで記念撮影する。
ワイワイといつもの仲間と過ごす時間は楽しくて、安心して、やり直せてよかったと心から思う。
結局最後は来年の選挙戦の打ち合わせになったから、淡島先輩らしいのだけど。私は氷川くんの応援演説を頼まれることになった。詩歌ちゃんは三峯くんの応援演説なのだ。
多分、氷川くんの誕生日という名目で選挙の決起集会だったのかもしれない。
ホッとしてご機嫌になった帰り路、電車の中で綱が不思議そうな顔をした。
「朝は体調がすぐれないようでしたが」
「うん、もう大丈夫」
なんだかつきものが落ちたみたいに気持ちが軽くなってしまった。
もしかしたら最期の日かもしれない今日を、こんなに幸せにすごせてよかった。
明日もう目が覚めなくても、みんなと出会えたことに感謝できる。
「綱に出会えてよかったわ。生駒と綱のママに感謝しなくちゃね」
明日、目が覚めなくても大丈夫。
これだけ伝えておければ大丈夫だ。
綱は面食らった顔をして、朝と同じように私の額に手を当てた。
「熱はなさそうですね」
「熱なんかないわよ」
「ちゃんと言ってくださいよ?」
「いつだって一番に言ってます!」
思わずブーたれる。
「私もあなたと出会えてよかったです」
意外に思えるほど素直な答えに驚いて言葉を失えば、綱はおでこにあった手で、ついでのように頬を撫でた。
珍しく優しく微笑んだ綱の瞳は、暖かく柔らかく艶やかに甘い。
ほらやっぱりテンパリングしたチョコレートなのだ。
ぎゅぅぅぅぅと胸が締め付けられる。耳まで火照っていくのがわかる。
あ、これ、死んじゃうわ。
もう私死んでもいいわ。
電車のアナウンスが無粋に響いて、次はもう最寄り駅だ。







