212.ジャパンオープン 2
接戦を制したのは相手選手の方だった。さすが百戦錬磨の選手である。修吾くんカラーのアウェーでも自分の力を発揮できるのだ。
修吾くんは唇を噛みしめて、ギュッとラケットを握りしめる。肩が怒っている。きっと、きっと悔しいのだ。当たり前だ。だってずっと誰よりも努力してきたのだから。
私だって悔しい。
「ちょ、おまえ! 泣いてるのかよ!?」
彰仁がギョッとしたような顔で私を見た。
「へ?」
私は自覚がなかったので慌てて目元を擦る。目元に涙が滲んでいた。
「なに泣いてるんだよ……」
「だって、頑張ったのに……」
「相手だって頑張ってんだろ」
「でも」
「ナイスプレーだった!」
彰仁がきっぱりと言い切った。それを聞いたら、涙がポロポロ零れだす。
彰仁が慌てて私の顔にハンカチを押し付けた。綱と違って皺くちゃなハンカチだ。こんなハンカチなら自分のハンカチを使った方がいい。でも、今は彰仁のやさしさに甘えよう。
「彰仁……こんなハンカチじゃモテないわよ」
「うるせーな。修吾に泣き顔なんか見せんなよ」
ブスッとソッポを向く彰仁。
「ありがとう」
「……べつに」
コート中央で握手をする二人。肩を叩きあって別れる。修吾くんはコートの端にやってきて、観客に深々と頭を下げた。負けたと言えども善戦した修吾くんには惜しみない喝さいが送られる。
勝ち負けがすべてではないのだ。
良いプレー、それを生み出す日々の努力はきちんと賞賛されるのだと、コートを包み込む大きな拍手が教えてくれる。
涙目のまま、私も精一杯拍手を送る。
修吾くんは私たちを見て、ホッとしたように息をついてから、ちょっと気まずそうにはにかんだ。
試合終了後、修吾くんのサイン会が終わってから彰仁と一緒に控室に顔を出した。
すでに着替え終わった修吾くんがそこにはいた。
ドアを開けてハグしようと思ったのだが、修吾くんを見た瞬間、思わず足を止めた。久々に会う修吾くんはずいぶん大きく見えた。彰仁や綱とは違う厚い体つきが見慣れなくて一瞬怯む。
彰仁が怪訝そうな顔をして、歩みを止めた私を見た。
「なにしてんだよ、姫奈子」
「……なんでもない」
彰仁は興味もなさそうに修吾くんに声をかける。
「修吾!! スゲーじゃん!! スゲーよ! マジで!!」
そう言って、修吾くんに駆け寄ってバンバンと背中を叩く。そうだ、私もあんな風にしようと思ってたのに、なんで出来なかったんだろう。
「サンキュ、彰仁! 負けたけどね」
「負けたけどじゃねーよ! お前ドンだけ高み目指してんだよ! 昨年王者相手に接戦じゃん!! スゲーったらスゲーよ!!」
語彙力を失くした彰仁。いや、彰仁は初めから語彙力はない。あるのは切れの良いツッコミだ。
「本当にいい試合だったわ! 修吾くん」
「姫奈子先輩、ありがとうございました」
ニッコリと笑う修吾くんは、やっぱりいつもの天使な修吾くんでホッとした。
「せっかく来ていただいたのに負けてしまってすみません」
一番悔しいはずの修吾くんに謝らせてしまって慌てる。
「そんなことないわ! すごくカッコよかった! 一番かっこよかったわ!」
私も彰仁のことは言えない。語彙力が死んだ。
「それに今もすごいと思うの。ちゃんとメンタルトレーニングを積んできたのね。悔しいはずの修吾くんがちゃんとメンタルコントロールできてるのに、私の方が取り乱しちゃって……」
自分よりよっぽど大人っぽい修吾くんに恥ずかしくなってしまう。
修吾くんは、少し目を泳がせて頬を掻いた。
「そんなことないですよ。あの瞬間はすごく悔しくて不甲斐なくて、ラケットを叩きつけたいくらいでした。でも、姫奈子先輩が泣いてるのを見たら、なんか、そんな気がなくなって」
修吾くんの言葉に顔がブワッと熱くなる。
「みえてた?」
「はい。一生懸命応援してくれたんだなって、嬉しかったです。ここまでこれたのも姫奈子先輩のおかげです。ありがとうございます」
「こちらこそ素晴らしい試合をありがとう」
そう答えてハタと思い出した。修吾くんの素直に感謝できるところは美点なのだけれど、そのせいで彼の知らないところで変な誤解も起きている。少し耳に入れておこう。
「そう言えば修吾くん、私のことを褒めてくれるのは嬉しいのだけれど、変な誤解があるみたいだから気を付けた方がいいわ」
「変な誤解?」
「『シューゴには勝利の女神が付いてる』って、この間言われたの。修吾くんの実力に対して失礼よね!? あったまきたから『実力です!!』って言っといたわ!」
憤慨して言えば、修吾くんは怒るのではなく逆に笑った。
「気にしてないですよ。本当だし。姫奈子先輩がいるからオレはテニスができる。生きていけるから」
きっぱりと言い切られ、今度はこちらの方が赤くなる。両手で顔を覆う。
「そんな言われ方したら恥ずかしいわ」
逃げ出したい気分で彰仁を見れば彰仁も真っ赤な顔をしている。素直すぎるストレートな言動は、ひねくれ者の私たち姉弟には刺激が強い。
「恥ずかしくないですよ」
「あ、ありがとう……?」
「あとで一緒に写真を撮ってください。新しいお守りが欲しいから」
「私になんて何の力もないわ」
「オレが力に変えるからいいんです。ダメですか?」
赤い顔をして首を傾げ強請るなんて、ズルいではないか。断れるわけもなく、私は静かに頷いた。
「では写真を撮りますか?」
インスタントカメラを持ったスタッフに言われてまずは三人で写真を撮る。中心に修吾くんに来てもらい、私たち姉弟で修吾くんを挟む。スタッフは丁寧に三枚写真を撮ってくれた。
写真が出来上がるのを待って、日付と修吾くんのサインを入れてもらう。修吾くんも私と彰仁のコメントが欲しいというので、修吾くんの分に『ファイト!』と書く。
「大事にします」
修吾くんはそれを受け取って、嬉しそうに微笑んだ。
「あの、姫奈子先輩、優勝したら聞いて欲しいことがあるんです」
「優勝したら? 今じゃ駄目なの?」
「今じゃ駄目です」
「優勝賞金の話なら事前にしてね?」
「そうじゃないです」
修吾くんはニッコリと笑った。その笑顔が光毅さまによく似ていて、変な汗がでる。裏があるというのではない。逃げるのは許さないぞというような圧を感じるのだ。
「そろそろ行くぞ!」
彰仁が私の背中を押した。確かに長居をし過ぎたかもしれない。
「じゃあまたね!」
「はい!」
控室を出たところで、彰仁は大きく息をついた。
私も思わず息を吐く。
あまり褒められ慣れていないから、持ち上げられるのは苦手なのだ。修吾くんの言葉はお世辞だとは思わないけれど、その真っ直ぐさにたじろいてしまう。
直射日光に当てられたような、仄かな疲れを感じた。
私は深呼吸をして気持ちを切り替えてから、白山茶房へ電話した。二位記念のセールを行う手はずになっていたからだ。
「修吾くん、二位になったの! 今から記念セールをして! 二位だから二つで百五十円のセールを十五日間!」
店長さんにおめでとうと言われて、ありがとうと答える。電話を切れば彰仁が怪訝な顔をして私を見た。
「なんで十五日?」
「しゅーご……じゅーご」
「駄洒落かよ!」
「駄洒落よ!!」
彰仁はそれを聞いて笑った。
まだ決勝戦の余韻が残るモノレールに乗って帰路へ着く。
「姫奈子ってあんま何にも考えてないくせに考えてんだな」
「なによそれ」
「白山茶房……」
「そうよ! 頑張ってるんだから! 彰仁も高校になってバイトしたかったら来てもいいわよ。雇ってあげるわ。お姉さまが!」
「バイトするなら違うとこ行く」
ブスッとソッポを向く彰仁。
秋空を都鳥の群れが気持ちよさそうに飛んでいった。







