200.雨の交差点 1
雨がシトシトと降っている。コンビニに向かうため塾の玄関を出て傘を開いた。晴人くんたちは一足先にコンビニへ向かっている。私は少し英語の質問をしていて遅れたのだ。
雨に煙る信号機。赤になったから止まって待つ。隣にスーツ姿の男性が立った。
「すみません。青になるまで傘に入れてくれませんか?」
若くて少し浮ついた感じのサラリーマンだ。新しそうなスーツが濡れそぼって気の毒に思った。ちょっとくらい傘を貸したって良いだろう。
「どうぞ」
腕を伸ばして傘を高く上げる。
「ありがとうございます」
丁寧に礼を言われる。
「いいえ」
「あの、あと、時間を教えてください」
「はぁ」
片手は傘を持っていて、リュックからは取りだしにくくて少し困る。
「あ、傘は私が持ちます」
サラリーマンはそういって傘を握る私の手を掴んだ。しっとりとした雨に濡れた感触に、ゾワリと鳥肌が立つ。ヌメヌメと掌を擦り合わせるようにして、傘の柄の上に移動する。気持ち悪い。
「すみません」
サラリーマンはそう謝った。
謝る知らない人にあからさまに嫌悪感を向けるのもどうかと思い、何もいわずにスマホを出した。
「二十時十七分です」
時を読む。
「ありがとうございます。お礼にお茶をご馳走しますよ」
薄っぺらくニッコリと笑われてゾッとした。
「い、いいえ。そんな、急いでますからっ!」
そう答えても傘を返すそぶりは見せない。返す気はない、そんな感じだ。
「だったら、連絡先、教えてください」
サラリーマンはそういってスマホを取り出した。
スマホ、自分で持ってるのに! なんで時間私に聞いたの? 意味がわからない。気持ち悪い。早く信号かわって!!
言葉を失って、祈る気持ちで信号を見る。
変な人だ。うかつなことをして、逆上されたら困る。どうやって対応するのが正解なのか、ぜんぜんわからない。教わってない。怖い。
そう思いながら凍える顔をヘラヘラと笑わせる。穏便に済ませたい。
「ねぇ、連絡先だけ。前から可愛いと思ってたんだ」
スマホを持つ手が震える。早く、早く、信号かわれ!!
信号が変わった瞬間に、私は傘の下から飛び出して駆ける。もう傘なんか知らない。いらない。
「ちょ、傘!!」
サラリーマンが追いかけてくる。私は怖くてそのままコンビニへ逃げ込んだ。ニコちゃんが驚いた顔をした。でも女の子には近寄れない。巻き込んで迷惑をかけてはいけない。
本棚付近に斉藤くんと晴人くんが立ち読みをしていて、そこへ急いで逃げ込む。
「どうしたの? 白山さん」
晴人くんが怪訝な顔をした。息が切れてすぐに答えられない。
「……な、な、な、なんか、変な人……」
さっきのサラリーマンがコンビニの窓の向こうにやって来た。ビクリと体が強張る。
傘を私に振ってワザと口をおおきくして「かえすよ」と言って見せている。
「どうしたの?」
晴人くんが問う。
「傘入れてって言われて、なんか変で……。でも、もしかして私の勘違いかも。もしかしたら、自意識過剰かも……だったら怖がって悪いことしたかもしれないわ」
明るい光の中で見るサラリーマンは普通の人だ。あれは子供だと思ってからかっただけかもしれない。逃げ出した私に傘を返しにくるくらいだ。本当は良い人なのかもしれない。
「返してくれるみたいだし、外に行った方がいいわよね?」
晴人くんと斉藤くんの顔を見れば、斉藤くんが外を見た。
「オレが行ってやるよ」
「……ありがとう」
斉藤くんが外へ向かおうとした瞬間、コンビニの窓に傘がたたきつけられて唖然とする。
スマホの画面を見せてくるから、何かと思って凝視すれば、女性のヌード画像が画面いっぱいに広がっていた。
「ぎゃ!」
驚いて思わずしりもちをついた。
斉藤くんが慌てて外へ飛び出していく。
サラリーマンは走り出しその場を去っていった。
「もぉ……やだぁ……」
気持ち悪い。怖い。泣きたい。膝の間に頭を埋める。
「大丈夫? 白山さん」
「だ、大丈夫よ。晴人くん」
オズオズと顔をあげれば、その先に青年誌向けのドきついグラビアが目に入って、ビックリする。
いつもあんな目で、男の人は女の子を見てるの?
ギクリとして身体が強張る。嫌だ、気持ち悪い、怖い。
「立てる?」
晴人くんが立ち上がらせようと手を伸ばしてくれたけど、怖くて手を伸ばせない。晴人くんはそんなんじゃない。わかるけど、気持ちが追い付かない。
ニコちゃんがやってきて、背中を抱えて立たせてくれる。サラリーマンに逃げられた斉藤くんも外から戻って来た。
「ほんとムカつくよねー!! ニコ達なんか、こないだヘンタイに股間見せられたからさぁ、無言で写真撮って通報した!!」
ニコちゃんの言葉に、斉藤くんが顔を青ざめさせた。
「ニコ! 大丈夫だったのか?」
「大丈夫じゃないよ! マジ笑えないんですけど! 汚物みせられてサイアクー。学校近くの川沿いってヘンタイ出るんだもん。まぁ、ソイツ、捕まってたけど」
斉藤くんが苦々しい顔をした。
「私だめね」
ニコちゃんみたいに反撃することもできなかった。自分の身を守る術さえ知らない。情けない。
「そんなことないよ。こういうのってさー、すぐ自衛しない方が悪いっていう人いるけど、そもそも変なことするヤツが悪いんじゃん!」
ニコちゃんが憤慨している。しょんぼりしていたら、シホちゃんがミントタブレットを差し出してくれた。
「嫌なことがあったら、フリスカ噛むとスカッとするよ」
「ありがとう」
私はミントタブレットを受け取って、ムカムカしながらバリバリと噛みしめた。ミントの香りが口いっぱいに広がって、ムカムカが少しおさまる気がした。
塾が終わり帰りに向かう。みんなが心配してくれて、塾の近くの駅まで一緒について来てくれた。
そこからバスだったり、電車だったり別れていく。
「一人で大丈夫? 生駒くんに言わなくて良かった?」
晴人くんが心配げに尋ねる。
「うん。大丈夫。さすがにもういないと思うわ。綱は自分の授業があるし、心配かけたくないから」
「そう。……あの、俺で良かったら家まで送るよ?」
優しい申し出だとは思うけれど、今は男の人と二人きりになるのが怖かった。
「大丈夫よ。お家遠いんでしょう? 無理しないで」
「無理なんかじゃないけど」
「本当に大丈夫!」
「……じゃ、俺、行くね」
「うん、またね」
晴人くんと別れてホームで電車を待つ。ほどなくして電車が来てすぐに乗り込んだ。自宅最寄りの駅につき帰ろうと思えば、なんとなく視線を感じる。
気のせい? でも、気のせいじゃなかったら?
あのサラリーマンは「前から」と言っていた。だとしたら、塾を知ってた? 塾の終わる時間は? 考えすぎ? 考えすぎだと思いたい。だけど。
考え出すと嫌な考えが止まらない。つけられているかもしれない。最寄り駅を知られたくない。家についてこられたら困る。
パニックになりながら、慌てて電車を乗りかえた。何回か電車を乗り換える。もう振り切れただろうか。
気がつけば乗り継ぎすぎた電車で、自分の現在地がわからなくなっていた。スマホを開けばいいのだけれど、スマホを触るのが怖かった。
とりあえず駅でおり、タクシーか。
そう思い電車から降りた。その時、また視線を感じて硬直する。見られてる。気がする。被害妄想かも。でも、違ったら。怖くて振り向けない。
足早に歩きだす。人混みにまぎれてしまいたい。
どうしよう。どうしよう。どうしたらいいの? 綱、綱、綱! そばにいて!
人混みの中に、ひょこんと飛び出た頭が見えた。ツンツンした頭。夜なのにサングラスで胡散臭い。あれは、三峯くんだ。
足早に駆け寄って声をかけると、三峯くんはすごく驚いた顔をした。
「どうしたのこんなところで」
「あのね、名前を呼ばないで」
「この間と逆だね」
三峯くんが笑って少しだけ安心する。歩きながら事情を話す。
「なんだかね、気のせいかもしれないんだけど、つけられてる気がするの。だから名前知られたくなくて」
「つけられてる?」
「わかんないんだけど、怖くて確認できなくて、逃げてたらこんなところまで来ちゃったの」
困り果てて言えば、バカにして笑うと思った三峯くんが真剣な顔をしていたから驚いた。
「確認できればいいの?」
「うん。誰もいないってわかればいいの」
「じゃあ、少し離れて前を歩いてよ、次の出口の真横に来たら直角に走って出て。つけてる奴いるなら小走りぐらいにはなるでしょ? オレ、見ててあげるから」
「本当? 大丈夫? 危ないことしないで?」
「大丈夫だよ。オレが危ない橋渡らないの知ってるでしょ」
「……お願いね? 迷惑かけてごめんなさいね」
「別にこれくらいいいよ」
三峯くんはそういうと、私と別れた様子を装って離れる。
私はドキドキしながら次の出口を目指して歩く。出口の横まで来たところで、方向を変えて出口に走る。
バタバタと走る三峯くんが見えた。やっぱり誰かが付けていたのだ。怖くなって、出口の階段を駆け上がる。
「おい! お前、何のつもりだ!」
三峯くんの声に振り向けば、三峯くんは晴人くんを捕まえていた。危ない橋を渡らないと言ったくせに、自分で捕まえるなんて無謀だ。
「……え……晴人くん?」
晴人くんは気まずそうな顔を私に向けた。
「ごめん。心配でついてきちゃった」
「え、ええ? あの、……ゴメンナサイ……?」
気まずくなる私たちを見て三峯くんがため息をついた。







