193.デビュタント 3
「ひ、姫奈子さん、喉が渇かないか」
声に振り向けば、フルートグラスを二つ持った氷川くんがいた。
「アルコールではないものを貰って来た」
「ありがとうございます」
差し出されたグラスをとり礼を言う。
「うーちゃんは?」
「別の人と踊っている」
氷川くんの視線の先を見れば、詩歌ちゃんは楽しそうに踊っていた。念願のデビュタントなのだ。存分に満喫してほしい。
「とても熱心に見ているんだな」
氷川くんが冷めた目で私を見た。呆れたのだろうか。
「エレナさまがあんまり綺麗だから……」
「エレナさん? 晏司じゃなくて?」
「え? 八坂くん? なんで八坂くん?」
「いや、晏司は格好良いだろう?」
氷川くんが憮然と答える。
「まぁ、恰好は良いですけど……。なんというか、お腹いっぱいというか……。モデルモードの八坂くんは疲れます」
「疲れる……」
氷川くんが脱力したように復唱した。
「あ! 悪口じゃありませんよ! 八坂くんには内緒ですよ!?」
慌てて付け足せば、氷川くんが噴出した。
「あ、ああ、言わない。内緒だ」
クツクツと笑っている。
「八坂くんと一緒にいると視線が集まるし、私が引き立て役になってしまうんだもの」
「そんなことはない」
氷川くんが穏やかに否定した。
「姫奈子さんが引き立て役になるなんてことはないぞ。君のほうが綺麗だ」
真顔で言われてドン引いた。モデル様より綺麗だなんてことはあり得ない。
「……ありがとうございます。でも、そこまでの嘘は」
「俺は嘘が苦手だ。俺は晏司より姫奈子さんのほうが綺麗だと思う」
確かに、氷川くんは嘘が苦手なところがある。社交辞令はマナーとして使っても、真っ赤な嘘は社交辞令でも使う人ではなかった。
逆に言えば嘘を言わずに社交をこなせるだけ、褒める場所を探すのが上手い人だということだろう。男女を比較して女性のほうが綺麗だと思うのは、男性なら当たり前の感覚なのかもしれない。
「ありがとうございます。嬉しいわ」
私は素直に礼を言った。最高のドレス、最高のヘアメイクなのだ。今日くらいは綺麗と自惚れてもいいのかもしれない。
氷川くんは満足げに頷いた。
「氷川くんも格好いいですよ」
そうお返しすれば、氷川くんが嬉しそうに笑うからビックリした。
「そうか! ありがとう」
前世では何度も何度も言ったけれど、喜んだ様子はなかった。だから、自身の美醜にあまり興味がないかと思っていたけれど、そうでもないのかもしれない。氷川くんが格好いいだなんて、それこそ今更な気もする。
キョトンとして氷川くんを見れば、照れたように目を逸らされた。
「なんだ、変か?」
「いいえ。良く言われるでしょう? だから、そんなに喜ぶと思っていなかったので」
「前に姫奈子さんが言っただろう? だから、……気持ちを伝える努力をしている」
氷川くんは真面目な顔でそう言った。氷川くんといい、八坂くんといい、ちょっとした話を心にとめて、自分へきちんとフィードバックするのが自然にできるのだ。
「凄いですね」
「なにがだ」
「私なんかの話をちゃんと聞いてくれて、実践しようとしてくれるなんて。私だったら聞きながしてしまいそう。耳に痛い話は聞きたくないので」
「なんかじゃない」
「?」
「姫奈子さんは、なんかじゃないぞ。それに、ただの指摘だけだったら聞きたくはないが、ちゃんと改善方法が示されているなら耳を傾けた方が良い。姫奈子さんは提案してくれるからな」
「そうでした?」
氷川くんは、そういうことが普通にできるからすごいのだ。何でもできて、何でも持っているはずなのに、より良くあろうとする。尊敬してしまう。
「それで、だ、俺とも踊って欲しいっ!」
「もちろんです! でもエレナさまを見終わってからでもいいですか?」
「本当にエレナさんが好きなんだな」
「ええ。大好きです!!」
自信満々に答えれば、氷川くんが眩しそうに目を細めた。
「羨ましいな」
氷川くんはそう言って、エレナさまに目を向けた。
私も氷川くんと並んでエレナさまを見る。ショートカットでイブニングドレス姿は、少しアバンギャルドな感じがして、そこがまたセクシーだ。正統派な王子様の八坂くんと、スレンダーでボーイッシュなお姫様っぽくないエレナさまが対照的でありながら、同じ血筋だからなのか同系統の光を放つ。華麗な二人のために用意された舞台のようだ。カメラが二人を追っている。
ワルツが終わって、氷川くんに手をひかれた。八坂くんと入れ替わるようにフロアに出る。すれ違いざま、氷川くんと八坂くんが何か目で語らって、男同士の幼馴染も良いものだなぁと思う。
綱はどうしてるかな。ふと自分の幼馴染を思い出す。ここは眩くて楽しいけれど、綱がいないのは寂しい。
氷川くんと踊り終われば、八坂くんがやって来た。
「姫奈ちゃん! 紹介したい人がいるんだ!」
手をひかれて戸惑えば、氷川くんが窘めた。
「おい! 晏司!!」
「こっちでしか会えないレストランの経営者がいるんだ。あと、ワイナリーには興味ない? いろいろ紹介できるよ!」
「本当ですか?」
「ミュミュランの編集者もきてるよ」
「わぁ!! お話聞いてみたい!」
「じゃあ行こう!! 和親は和親の営業頑張りなよ」
八坂くんはそう言って、私を引っ張った。八坂くんは言葉通り色々な人たちをたくさん紹介してくれた。八坂くんの紹介ということもあって、皆好意的だ。つたない英語ではあったが、色々な職種の人と話をすることができて勉強になった。ホテルやレストランの経営者、グルメ雑誌の編集者は食に関する考え方も違う。お城でワイナリーを経営している方の息子さんは、八坂くんのモデルの先輩でもあってワインを数本送ってもらう約束もした。
白山茶房にも興味を持ってくれる人もいて、外国人観光客向けに何か考えてもいいかな、なんて思ったりと夢も膨らむ。
「八坂くんありがとう!」
「どういたしまして」
お礼を言えば、八坂くんはご機嫌に答えた。
「すごくすごくすごーく! 助かったわ! 私では絶対無理だもの! 何かお礼しなくっちゃ! 何が良い?」
まず、この場に来ることだって敵わなかったはずだ。来たところで知らない人ばかりなのだ。
「姫奈ちゃんの役に立てたらそれでいい」
「八坂くんは欲がないわね」
「そんなことないけど。欲しいものは自分で手に入れたいかな」
キラキラと蜂蜜色の瞳が光る。
「男の子ね」
「男だよ」
帰って来た声がいつもより低く感じて少し驚く。中一から知っていたから、なんとも思っていなかったけれど、確かに今の八坂くんは男の子ではなく、素敵な紳士だ。
「そうね。もう、ジェントルマンね」
フフと笑えば、八坂くんも笑った。
「ね、姫奈ちゃん。イタリアには美味しいものがたくさんあるんだよ」
「そうね、ナポリタンとか!」
「ナポリタンは和食だけど。いや和食ではないか、日本生まれ?」
「そうなの?」
「そうだよ」
クスクス八坂くんが笑う。
「ナポリに行って、本当のナポリのパスタを食べさせてあげたいな」
「いいわね! 私も行ってみたい!」
「ミラノも、トスカーナも、ローマも案内するよ」
「ふふ、そんなにいっぱい無理だわ」
無茶なことを言う八坂くんを笑えば、真面目な顔をしていて驚いた。
「無理じゃないよ。ずっと一緒にいれば」
真剣な声に気おされる。甘くて深い声は濃厚なクリームのように耳に絡みついた。
いつものふざけた八坂くんではない。軽いノリの晏司くんでもない。暗黒晏司の召喚でもない。その真摯な瞳が窺うように私の瞳を覗きこんだ。
喧騒が遠いもののように感じる。
「姫奈ちゃん」
その声に息を飲む。なぜだか怖くなって目を逸らす。八坂くんが知らない人みたいだ。
八坂くんは小さくため息をついた。
「姫奈ちゃん?」
もう一度呼ばれた声は、いつもの軽い調子で安心する。舞踏会の喧騒が戻ってきた。
ホッとして八坂くんを見れば、晏司くんスマイルで笑っていた。晏司くんスマイルは無理させているみたいで少し苦手だ。でも、さっきの真面目な顔に比べたら、まだこちらの方が気まずくない。
「明日はエレナも連れてムラーノ島へ行こうね!」
ことさら明るく聞こえる声。やっぱり無理をさせている。わかるけれど、私も同じように明るく答える。
「ええ。楽しみ!」
その声に八坂くんは晏司くんスマイルを引っ込めて、いつものように悪戯っぽく笑った。
眩しいフロアではワルツが鳴り響く。くるくると回る色とりどりのドレスに、黒いテールが影のように舞う。おとぎ話のような別世界に見とれる。もう明日は最終日だ。なんだかとても長いこと綱に会っていない気がする。
早く綱に会いたいな、そう思いながらフロアを眺めた。







