191.デビュタント 1
朝起きたらまずは綱に写真を送る。時差があるから夜の連絡は控えているが、あまりスマホで連絡を取ることはなかったから、こんなことでもウキウキしてしまう。
街で見かけた珍しいものや、食べたものなどを送れば、ちょっとした感想や家の様子などが送られてくる。返事に写真の彰仁率が高いのに少しモヤっとして、彰仁ばっかりズルイ、と返事をすれば、生駒とお父様の写真が送られてきて、それはちょっと違うんだけど、でもちょっとうれしかった。お仕事中の生駒はカッコイイのだ。怒ると怖いけど。
たまに映り込んだ綱の影や手なんかで嬉しくなる自分が末期だ。
本番二日前からは、現地で入場などの打ち合わせを兼ねたレッスンがはじまる。レッスンは私服である。本番当日のリハーサルからはドレス着用となっていた。
レッスン後は、折角だからと街の中を歩いてみたりした。八坂くんが案内をしてくれるから安心だ。慣れない水路の多い街を自在に歩く姿は頼もしくもある。主だった観光名所はもちろん、地元の人が集うカフェなども教えてくれた。
いまは、そんな地元カフェの一画に四人で腰を落ち着けたところだ。
癖のある手書きのメニューはイタリア語、写真やイラストはない。お店のショーケースにかざられたスイーツの数々がヒントになるだけである。毒々しい緑色のケーキは何味だろうか。イチゴの乗っているパイに、シュークリームも美味しそうだ。
「メニューが読めないわ……」
思わずぼやけば、八坂くんが小さく笑う。
「なに頼んでも間違いはないけどね。どれが気になる? 並んでるの指さしてくれれば頼むよ」
「俺はチーズケーキっぽいものとコーヒー」
氷川くんは何の迷いもなく答える。
「八坂くんのおススメは?」
詩歌ちゃんが問う。
「パンナコッタかな。あとはジェラートも押さえておきたいところ? 今の時期ならホットチョコレートもおススメだよ」
「パンナコッタとホットチョコレートにするわ」
カロリーを気にしない詩歌ちゃんがニッコリと笑う。
「姫奈ちゃんは?」
ウンウンと頭を悩ませていれば、八坂くんに尋ねられる。
「みんな決めるのが早いのね。私迷っちゃうわ」
「姫奈ちゃんは食べるの大好きだものね」
詩歌ちゃんがニッコリ笑う。反論はないが、お嬢様としてどうなのだろう。
私はショーケースの中に気になるお菓子を発見した。コロネのように筒状になったなかにクリームが詰められているお菓子だ。
「あれ、気になるの。コロネみたいな……」
「ああカンノーリかな? 中身はリコッタチーズだよ」
「美味しいの?」
「美味しいよ」
「ではそれと……合わせて飲むなら何が良いのかしら?」
「エスプレッソかな」
「ではエスプレッソをお願いします」
そうお願いすれば、八坂くんは、お願いされます、なんておどけて店員さんを呼び止める。
流ちょうなイタリア語で注文する八坂くんは、ハイスペックなんだなぁとしみじみと思う。大黒さんが執着するのも納得の王子様感が、日本以上に発揮されている。
「美味しいものを食べたいならイタリア語も勉強しないとダメね。メニューも読めないなんてガッカリよ」
ため息をつけば、詩歌ちゃんが笑う。
「そうね。私もお花のことを考えると、いろいろ勉強しなきゃって思うわ。美術館の解説も読めた方が良いものね」
「……うーちゃんと私だと、勉強の志が違いすぎるわ。片や美意識、片や食い意地」
思わずぼやけば、氷川くんと八坂くんが笑う。
「イタリア語なら僕がいるから安心して? 何でも聞いて?」
ニッコリ笑う八坂くんを軽く睨む。
「いつでもいるわけじゃないのに、辞書代わりになんてできません!」
「お望みならば、いつでもそばにいるよ。お姫様」
ふふふ、と笑う八坂くん。呆れかえって言葉もない。
丁度その時、食べ物がテーブルに運ばれてきた。氷川くんの前にはティラミスとカプチーノ、詩歌ちゃんにはパンナコッタとホットチョコレート、八坂くんにはマチェドニアだ。
私は目の前に置かれたカンノーリを見て一瞬怯んだ。粉糖がたっぷりと振りかけられたカンノーリ。薄くパリパリの皮は、たっぷりとした白いクリームを抱きかかえている。零れ落ちそうなクリームの端には片方にはドライフルーツ、反対側にはチョコチップがまぶされており、ひとかけらだって零したくはない。
ショーケースの外から見た時にはあまり気にならなかったのだが、これは非常に食べにくそうだ。
戸惑う私を見て、八坂くんは楽しそうに笑った。
くそう、わかっていて止めなかったな?
しかし、この場で頼れるのは八坂くんしかいないのだ。
「八坂くん、これってどうやって食べたらいいの?」
一応フォークとナイフが添えられているが、使ったら筒がつぶれる気がする。クリームも無残にはみ出るだろう。
「手づかみで食べていいよ」
「手?」
「うん」
さらっと答えられて逡巡する。
「でも……マナー違反じゃない?」
「そんなことないよ。高級レストランでもないし、町のカフェだから誰も見てないよ。ほら、みんなそうしてる」
八坂くんに言われて店内を見れば、恰幅の良いおじさまが美味しそうに手づかみでカンノーリを食べていた。
うん、すごくおいしそうだ。
ゴクリと喉が鳴った。私もそれに倣って手づかみで食べてみる。指先に粉糖が付く。パリパリとした皮がクリームを大事そうに抱き込んでいるから、私も落とさないようにと気を付けて口に運ぶ。
音を立てて壊れる皮。さっぱりとしたリコッタクリームは、柑橘の香りがして思ったほど甘くない。
やっぱり後ろからクリームが零れ落ちそうで、慌てて上を向く。迷ってはいけない。一気に食べきらなくては。
ようやく何とか食べ終わり、指についた粉糖を舐める。ついでに唇についたクリームも。うん、満足。お行儀は悪いかもしれないけれど、やっぱり美味しい。
「んー!! 美味しい!!」
満足してエスプレッソを口に運べば、赤い顔をした氷川くんと目が合った。
……もしかして呆れられた?
「下品でしたね、すみません」
慌てて謝ってみる。御曹司様には意地汚く指を舐めるなんて、ビックリだったかもしれない。
「い、いや、とても美味しそうに食べるなと思っただけだ」
「そうですか?」
「姫奈子さんが食べていると食べてみたくなる。今度別の場所にも食べに行こう!」
「いいですね。日本にもあるのかしら?」
氷川くんに答える。
「イタリアにはほかにも美味しいものが沢山あるから、僕がいろいろ連れて行ってあげるよ」
八坂くんが親切に提案してくれる。
「ありがとうございます!」
嬉しくてお礼を言えば、うんうん、と八坂くんが満足げに頷いた。
「カンノーリの本場はシチリアだから、シチリアにもいつか時間があるときに行こうね?」
「本場の味も興味あります!」
そう答えれば、氷川くんがなぜか八坂くんをジト目で見た。
「晏司、俺が先に誘っている」
「和親。日本のようにはいかないよ。こっちじゃ僕の方が有利だからね」
八坂くんが挑発するように笑う。
「ああ、イタリア詳しいですもんね!」
ポンと手を叩いて答えれば、氷川くんと八坂くんが顔を見合わせた。何か間違ったこと言った?
八坂くんは、なまめかしく笑って私を見た。
「カンノーリの皮は男性でね、柔らかいクリームを女性のように抱きしめてるんだって」
「……!」
壊れ物のようなクリームを優しく抱きしめる綱を思わず想像して、ボンと顔が赤くなる。氷川くんも同じようで、顔を赤くして言葉を失った。詩歌ちゃんは興味がないのか、満足げにパンナコッタを口に運んでいる。
「や、八坂くん、それ、言われたら食べにくいわ……」
「そーお?」
天真爛漫な顔で、フルーツの眩しいマチェドニアを口に運びながら、八坂くんはクツクツと笑った。悪魔なのか天使なのか、まったくもって謎である。
街歩きのあとは、八坂くんのおじい様の別荘に戻って、ボディケアである。レッスンと街歩きで疲れ切った体には至福の時間である。私と詩歌ちゃんは、二日間かけて髪からつま先まで最高の状態に整えられた。







