189.高等部一年 ホワイトデー
迎えたホワイトデーはいつも通りバレンタインよりは熱気が薄い。私もいつも通りお返しを返して歩く。綱は相変わらずギモーブらしい。
綱とお弁当を食べ終わり、一息ついた。
「姫奈、これを。お返しです」
綱から差し出された小さな小箱。驚いて綱を見れば照れたように目をそらされた。
「開けて良い?」
ドキドキして胸がはちきれそうだ。だって、いつもなら家で彰仁と一緒に渡してくるから。どうして今年はここでなのか、期待だってしたくなる。
珍しくラッピングされた袋には、黄色いスクリューピンが大小二つ入っていた。大きな方は黄色硝子にすりガラスでストライプが入っていて、小さな方はその逆だ。昔ながらの飴玉みたいで可愛らしい。口に入れてコロコロと舐めてしまいたい。
「わぁ! 可愛い!!」
「私にはこんなものしか差し上げられませんが」
「何言ってるの! すごく素敵! 嬉しい!! 大事に大事に飾るわね!」
そう言えば、綱が怪訝な顔をした。
「飾る?」
「だって、私、上手に使えそうもないわ。下手に使って失くしてしまったら絶対に嫌だもの」
スクリューピンは可愛いけれど、私から見れば上級者向きだ。これをどこかに挿すのだろうけど、クルクルとしたピンを挿せる自信がない
「私が結んで差し上げますよ」
綱が笑った。
「でも、生駒がダメだって……」
「外でつけて帰る前に取ったらいいです」
戸惑いと嬉しさで綱の顔を見る。綱は静かに頷いた。
まるで何でもない事のように。当たり前だというように。綱がそんな顔をするものだから、罪の意識が軽くなる。
「さぁ、貸してください。付けて上げます」
広げられた綱の掌に、コロリとスクリューピンを置いた。目が合って慌てて背を向ける。
ドキドキと期待に膨らむ胸を悟られないように、スカートをギュッとつかんで大人しくする。
久々に髪に触れる綱の指はとても優しくて心地よい。私の結んだ髪を解き、丁寧に指で梳き、同じように結いなおす。きっと出かけと同じスタイルでなければ、バレてしまうと考えているのだろう。
まるで二人で悪いことでもしているような、甘美な背徳感に捕らわれる。生駒を騙すようでいけないと思いながら、綱の誘惑に流される。
思いがどんどん膨らんで、あふれ出しそうだ。
だって、綱がこんなに優しい。家族みんなで食べたバレンタインデザートのお返しに、こんなに素敵な時間を用意してくれる。
プレゼントを選ぶのが苦手なはずなのに、私にはいつだって欲しいものをくれるのだ。まるで私だけ特別みたいに。
もしかしたら、もしかしたら、好きだと思っても許されるの?
「できましたよ」
綱の声に振り向けば、綱が穏やかに笑っていて思わず問う。
「ねぇ、綱。どうしてこんなに優しくしてくれるの?」
問えば綱は息を飲んだ。ああ、また困らせた。綱は答えあぐねるように視線を彷徨わせた。
「……いつもの、ことでしょう?」
そう、前なら当たり前だった。ずっとずっと当たり前だと思ってきた。でも今は違う。
綱の優しさは当たり前に受け取っていいものじゃなかったのだ。桝さんに教えられた。それが欲しくて欲しくて堪らない子がいる。手を伸ばして望んでもすげなく振りはらわれてしまう子だっているのだ。
ちゃんと、ありがとうを伝えておかなくちゃいけない。
「そうね。いつもありがとう。綱には大したことじゃなくても、私、すごく嬉しいのよ」
好き。
声には出せないけれど、そう思って笑う。
「姫奈」
「姫奈子さん」
綱の声に氷川くんの声が重なる。綱は言いかけた言葉をのみ込んで、忌々しそうに声のした方を見る。
見れば紙袋を持った氷川くんが息を切らして立っていた。
「姫奈子さん、約束のホワイトデーを持ってきた」
ぶっきらぼうに突き出された紙袋に驚きつつ、私はそれを受け取る。
「ありがとうございます! でも、私、今持ってないの」
「では後で教室へ届けてくれ!」
「わかりました」
氷川くんは嬉しそうに笑った。
「今、開けてみてくれ」
急かすような氷川くんの言葉に、紙袋から包みを出す。茶色いラッピングには白い音符。長細い缶は鍵盤が描かれていて、中には音符のプリントされたクッキーが入っていた。
一つ摘まんでみる。
「美味しい! ホロホロとした生地に、バターとアーモンドが絶妙です!」
「それは良かった」
氷川くんが満足そうに頷いた。
「本当に美味しそうです」
珍しく綱が言う。
「一つあげましょうか?」
問えば、是非と笑うから、缶を差し出した。
「すみません。先ほどまで髪に触れていたので取ってください」
綱が申し訳ない様子で言えば、氷川くんが缶から一つクッキーを取り出して、綱の口に突っ込んだ。
「どうだ?」
氷川くんが不敵に笑う。綱は苦虫でも噛み潰すような顔をして飲み下した。
「……何とも言い難いです」
綱が絞り出すように言う。
「ええ!? 美味しいわよ? 美味しいじゃない!」
ブーブー、文句を言えば綱は溜息をついた。
「味の話をしているわけではないんですよ」
綱の言葉に氷川くんが吹き出した。
もしかして、ここも仲良しか? 仲良しなのか?
チャイムが鳴り響いて、慌てて周りのものを片付ける。そうしてから三人で小走りで教室へ向かった。
次の休み時間には氷川くんへホワイトデーのプレゼントを渡しに行った。
氷川くんに声をかければ、ザワリと教室の目が私に向いて一瞬怯む。そうだ、氷川くんは人気者なのだ。バレンタインでなくとも注目を浴びてしまうわけだ。
「あ、あの? お返しを持ってきたんですが……?」
せめて目立たぬようにとコソコソと小さい声で手渡せば、氷川くんは満面の笑みで元気よく答えた。
「ありがとう!!」
あ、うん。いいお返事ですね? でもね? できればもう少し小さな声で……。あの、好きな人に誤解を受けますよ?
「大事に味わう!!」
ああ、私のテレパシーは伝わらないようですね。そうですね。
曖昧に笑って教室から逃げ出した。
家に帰れば、修吾くんがわざわざホワイトデーを届けてくれた。光毅さまの分も一緒だ。その後、彰仁がホワイトデーのお返しを持ってきたのだが、なぜだか綱も星のついたヘアゴムをくれた。
私は意味がわからず困惑すれば、綱は静かに笑っただけだ。昼にもらったお返しは秘密なのかもしれない。
そう思ったら、胸がギュウっと締め付けられる。
嬉しくて、もどかしくて、どうにかなりそうだと思いながら、柔らかい布にスクリューピンとヘアゴムを包み込み、小さな頃に生駒から貰ったチョコレートの缶に大切にしまった。







