188.高等部一年 ホワイトデーの打ち合わせ
今年のひな祭りは前世と違い、なぜだか招待されてしまった。綱ともども辞退しようとしたのだが。
「なんだよ、姫奈子行かないのかよ」
彰仁が不満気な顔をした。
初めのひな祭りの時は、行くことに文句を言っていた彰仁の癖に、いったいどういうことなのだ。
「氷川くんやうーちゃんみたいな特別ゲスト枠なら行かないと主催者さんに恥をかかせちゃうでしょうけれど、彰仁の姉ってだけでオマケで呼ばれるんでしょ? 別に行かなくてもいいじゃない」
答えれば、彰仁が悔しそうな顔をする。
「綱……先輩はオマケ枠じゃないだろ?」
チラリと綱を見る。綱は微笑んだだけだ。
「だったら綱だけ連れて行けばいいじゃない?」
「綱は姫奈子がいかないなら行かないって」
私も綱を見れば、綱は黙って微笑んでいる。
「ええ……面倒だわ」
「姫奈子」
彰仁がイライラした顔で私を見た。私に頼むのが嫌で仕方がない、そんな顔だ。
ニヤリと笑えば、彰仁が怯んだ。
「まぁ? 可愛い弟がどうしても、っていうなら? 私もやぶさかではありませんけれどぉ?」
「っ!! 姫奈子のバーカ!! ばーか!! 来ないならお前がバナナでゴリラだって言いふらしてやるからな!!」
「ちょ! 何言ってるの!? なんでゴリラだって知ってるの? 綱ね? 綱なんでしょ??」
「誰が教えるか。ばーか、ばーか! おふくろに言ってやる!!」
「止めて!! だめ! それだけはやめて!?」
「生駒にも、光毅さんにも言ってやる!! 姫奈ゴリラ!!」
二人でギャーギャー喧嘩をしていれば、パンパンと綱が手を叩いた。
「お静かに! お二人ともあまり大きな声を出されますと奥様に聞こえますよ?」
私は慌てて口を噤んだ。ヤバい。姫奈ゴリラはさすがにマズい。
「お嬢様は彰仁さまを挑発しない」
ピシャリと綱に叱られる。
「ええー。いつも私ばっかり」
「彰仁さまも、お願い事はきちんとしましょうね?」
綱は彰仁を優しく諭す。
「……姫奈子、顔出すだけでいいから、一緒に行ってくれよ」
「彰仁さま良くできましたね」
綱が褒めれば、彰仁は嬉しそうに笑う。なにそれ! 絶対絶対依怙贔屓だ!!
「はい。お嬢様、彰仁さまはしっかりお願いされましたよ? どうされますか?」
「……わかったわよ!! ちょっとだけ顔出すわよ!! それでいいんでしょ?」
フンと鼻を鳴らせば、綱は良く出来ましたと微笑んだ。……うん、まぁいい、それで彰仁への依怙贔屓はチャラにしてあげましょう。
ということで出席したひな祭りでは、なぜだか彰仁から後輩をたくさん紹介されることになった。高等部進学で会えなくなって寂しいなんて可愛いことを言う子もいたから、ひな祭りに出てよかったなって少し思った。
今日は氷川くんのお家に来ている。ホワイトデーの打ち合わせのためだ。
数種類の缶と試食用のチョコレートを持参した。好きな組み合わせで作ってもらおうと思ったのだ。
リビングに通されて、サンプルを広げる。
今日の氷川くんは寛いだ格好だった。柔らかそうなニット姿である。
制服かフォーマル、私服は学校行事くらいでしか見たことがなかったので、不思議な感じだ。氷川くんは学校行事でも、前世のデートでも襟付きの服を着て来ていたからだ。
「缶はどのサイズにしましょう? 本命でないのならあまり大きすぎない方がいいと思いますけど」
「そうだな。では、この小さめのサイズにしよう」
「形はどうしますか? 定番はスクエアですが、ハートとラウンドもあります」
「姫奈子さんはどれがいいと思う?」
「本命でないなら定番のスクエアが無難でしょうね。ハートは期待させますし」
「そうか、ではスクエアで」
「では、どの色がいいですか?」
「姫奈子さんはどれがいいと思う?」
「ホワイトデーは水色がイメージカラーですよね。無難にするなら水色でしょうか」
「では、水色で」
「チョコレートはどうしますか? 六粒入ります。好きなものを選んでください」
テーブルの上に味見用のチョコレートを詰めてきた箱を広げた。
氷川くんはそれを見て、目を見開いた。
「……こんなに種類があるのか。姫奈子さんはどれがいいと思う?」
「氷川くん。チョコレートの味は、何を選んでも誤解は受けないと思いますので、好きなものを選んでも大丈夫ですよ?」
笑えば、氷川くんは戸惑った顔をした。さっきから私が決めてばかりなのだ。
「俺の好きなもの」
チョコレートを見て呟いて、顔をあげて私を見る。
「嫌いでしたか?」
「いいや!! 嫌いなわけない!」
「では、どの味が特に好きですか?」
氷川くんがハッと息を飲み、俯いた。沈黙が落ちる。なぜだかちょっと気まずい。
「もしかして、こういう作業は苦手でしたか? 私が勝手に決めてお届けしたほうが良かったでしょうか?」
「そういうわけではないが、同じようなものがたくさんあって困惑している。俺にはすべて同じに見える」
そうか。あまり興味がない人にしてみれば、チョコレートなどみんな同じなのだ。私は自分が好きだから、氷川くんも喜ぶだろうと思ってたくさんの味見用チョコレートを用意したが、かえって迷惑だったのかもしれない。
「では、氷川くんの好きなもの、チョコレートじゃなくてもいいです。好きなものを教えてください。そうしたら、それを参考に私が何個か選びます」
「好きなもの?」
「ええ、飲み物とか果物とか、花でもいいです。好きなもの。チーズケーキが好きでしたよね?」
「……ああ」
「そうしたら、これはチーズケーキ味です」
白いチョコレートを蓋の上に載せれば、メイドさんがお皿を持ってきてくれたので、そちらに載せることにした。
「コーヒーが好きだったら、このモカだとか、合わせて食べるならナッツが入ったものだとか。ヘーゼルナッツ、お好きですか?」
「ああ。ナッツ類は好きだ。アーモンドもマカデミアナッツも」
「そうしたら、私の一押しはこのプラリネです」
ミルクチョコレートでコーティングされたプラリネをお皿に置く。
「一押しか」
「ええ! 大好きなんです!!」
力説すれば氷川くんは小さく笑った。
「バナナは本当に好きなのか?」
突然氷川くんに突っ込まれる。予想だにしていない突っ込みでカッと顔が熱くなる。氷川くんにまでバナナ認定されている。恥ずかしい。しかし、バナナには罪はない。
「っえ、ええ。バナナ……好きです。」
「そうか、俺も好きだ」
「なら、バナナのガナッシュが入ったチョコレートもあります!」
「いいな。味見してみたい」
こうやって何個かお皿に置いて味見をしてもらい、最後に六粒に絞った。
結局、チーズケーキは外されて、バナナ味は残った。
「チーズケーキ、個性的でしたか?」
「いいや。気に入ったから秘密にしたい」
氷川くんがそう笑うから、不意打ちでキュンとした。好きなものは教えたくない乙女心、共感できてしまう。
「俺用に別に一つお願いしたい。チーズケーキとバナナとプラリネ、三つずつ入ったものを」
「いいですよ。紙の箱でいいですか?」
「缶がいいな。姫奈子さんが好きなものを選んでくれ」
「わかりました」
目が合って笑いあう。
「楽しかったです。氷川くんの好きなものが沢山わかりました」
「そんなことが楽しいか?」
「楽しいですよ。友達の好きなものを知れば、またもっと仲良くなれそうじゃないですか?」
「ひ、姫奈子さんは何が好きだ?」
また、唐突に氷川くんが問う。
「あ、これのお礼というか、ホワイトデーになにか用意したい」
「そんな、私の方が助かっているのでいいですよ」
「違う、ちがった。お礼ではなく、純粋に君に何かあげたい。できれば君が好きなものを」
「でも……悪いです」
「しかし、晏司から靴を貰ったのだろう? 俺からだって悪くない」
「あれは何というか……そういうたぐいのものでは」
「良いから断るな」
氷川くんに強めに言われて口を噤む。
突然問われて考える。こんなこと聞かれたことはなかった。前世では誕生日にプレゼントをもらったが、いつも決まったジュエリーショップの最新コレクションのネックレスだった。女の子だったら憧れるものでいつも浮かれまくっていたけれど、希望を聞かれたことはない。
ホワイトデーは、氷川系列のホテルのカフェでケーキをごちそうしてくれた。
しかし、付き合っているわけでも何でもないのだ。プレゼントをもらう理由もない。しかも氷川くんには好きな人がいるのだし、あまり誤解を招くようなことはしたくない。
「では、先ほど氷川くんがリクエストしてくれたものと交換にしませんか?」
「それでは!」
「私が氷川くんのためにケースを選んで、リクエスト以外に氷川くんの好きそうなチョコレートを追加で選びます。それで、氷川くんは私が好きそうなお菓子とか、氷川くんのおススメのお菓子を選んでください」
「姫奈子さんの好きそうなもの、それを聞いているんだが」
「氷川くんと同じでバナナが好きです。ナッツも好きですよ。チョコレートよりは焼き菓子が好きです。でも、お酒はダメなんです。お菓子のお酒でも酔っぱらっちゃいます」
「ラムレーズンでもダメなのか?」
「それは平気なんですけど、だから平気だと思って油断してたんですけど……手作りのフルーツケーキで失敗しました」
「ケーキで失敗したのか」
「ええ、醜態をさらしました」
「それは少し見て見たかったな」
氷川くんが小さく笑う。
「私は二度とごめんです!」
言えば吹き出す。
「うん。姫奈子さんが言った通りだ」
「なにがです?」
「好きな人を知るのは楽しい」
サラリと流れるように『好きな人』と言う氷川くんに驚いて見れば、顔を赤くして唇を一文字に引き結んでいた。
?? え? いや違うわよね? 特別な意味だったらこんなふうに言わないわよね?
そもそも、好かれるような心当たりは一切ないし、氷川くんは好きな人がいると言っていた。それに私が言った通りなら『友達』の言い間違いに決まっている。
危ない、危ない。一瞬勘違いしそうになってしまった。
これで勘違いして調子に乗ったりしたらいけない。
……うん。ここは聞かなかったことにしよう。
変に誤解してギクシャクするのは嫌だ。せっかく前世とは違う良い友達関係なのだ。これ以上は高望みだ。
特に、没落デー前にトラブルを起こすのはごめんである。私の勘違いから没落コースは勘弁していただきたい。
「そうですね、では、商品が出来上がったらお届けに上がります」
「あ、ああ。よろしく頼む……」
氷川くんはそう言って、恥ずかしそうに俯いた。







