187.高等部一年 バレンタインデー 3
「それで、俺のホワイトデーの話だが!」
氷川くんが声を張り上げた。
「はい! どうしましょう? 何が良いですか?」
「……何が良いと思う?」
「八坂くんとかぶるのはいやでしょう? やっぱり洋風の方がいいですか?」
「姫奈子さんは何が欲しい?」
「私ですか? お菓子なら何でも嬉しいですけど」
「そ、そうか。アクセサリーとか欲しくはないか? 指環とか」
「チョコレートのお返しがアクセサリーだなんて、本命だと誤解されますよ? 本命だとしても指環のサイズ知ってるんですか?」
思わず笑ってしまう。本命ちゃんに貰えたのだろうか? なんだかポンコツ具合が暴走している。
「そうか、サイズがあるな」
「それに、白山関連でアクセサリーは扱っていませんし」
「そうだったな……」
「他の子と差をつけたい人がいるなら、他の子とは違うお菓子だとか、メッセージカードをその子にだけ入れるだとか。でも、お返しなら、普通にお返事したらいいと思いますけど?」
「あ、いや、そういう感じでは……ない」
ああ……察し。本命ちゃんには貰ってはいないのね。八坂くんがニヤニヤと大人しく聞いている。あまり掘り下げるのはやめておこう。
「意外に女の子はチョコレートも嬉しいんですよね。バレンタインにあまりもらえないから。小ぶりの可愛い缶に入ったチョコレートがあるんです。そういうのはどうですか?」
私も小さな頃に生駒から貰って、缶だけは大事なヘアアクセサリー入れになっている。好きな人からもらったものが手元に残るのは嬉しい。
「いいな。それにしよう」
「では、後で何点か見本をお届けしますね。好きな缶に好きなチョコレートを詰められますから」
「ああ!! 是非、家に来てくれ! いつがいい? 明日か?」
「いえ、少し準備の時間をいただきたいので……」
「なら、連絡をくれ! 連絡先を交換しよう!!」
「いいですよ」
「じゃ、僕も!」
八坂くんもスマホを取り出した。氷川くんがハッとして八坂くんを睨む。
「……晏司……」
「なに? 和親」
「……いや……」
「今のは和親がぬかったね」
八坂くんが笑った。男子の会話は意味がわからない。
「八坂くんの連絡先はいらないです……」
面倒でそう言えば、八坂くんが怖い笑顔を向ける。氷川くんがクスリと笑う。
「なんで?」
「去年もホワイトデーの件は事務所を通してやり取りしましたし、マネージャーさんの連絡先は知ってますし」
「事務所はともかく、なんでマネくんと!?」
「八坂くんとファンが迷惑行為をしてきたら通報してくださいって言ってましたけど」
「僕が姫奈ちゃんに迷惑行為だとか、酷くない!? だったらなおさら、絶対、交換する!」
面倒なことになったと思いつつ、とりあえず三人で連絡先を交換する。
氷川くんはホクホクとした様子だ。何が嬉しいかわからないが、良かった良かった。
そんな感じで話していれば、綱が走ってやって来た。
うん、チョコレート、今年は私より多いわね?
「姫奈、帰ります。……あの、待っていてくれてありがとうございます」
息を切らした綱が、珍しくそんなことを言うから笑ってしまった。
「当たり前じゃない」
「今年もホワイトデーの相談ですか?」
氷川くんと八坂くんを見て綱が尋ねる。
「ああ。姫奈子さんと連絡先を交換した」
氷川くんの声が重いのは気のせいか。
八坂くんは静かに笑う。
綱は不愉快そうに二人を見た。
え、空気悪い?
「……そうですか。では、姫奈、行きましょう」
綱が珍しく私の手首をつかんだ。少し荒々しく手を引く。これは懐かしい。子供のころはこうやって、良く連れ戻されたものだった。
「ちょっと、まって? えっと、ごきげんよう?」
挨拶もそこそこに綱に引っ張られていく。子供のころとは違って、引っ張る手が力強く手首がちょっと痛い。
「ねぇ、綱。ねえ、まって? ちょっと痛いわ」
言えば、慌てて足を止めて手首を離した。
「すいません」
柔らかく手首に手を添え、優しく何度か撫でてから、綱はそっと唇を寄せた。息が止まる。
キスされる?
そう体が強張った瞬間、綱がフウと優しく息を吹きかけた。
痛いの痛いの飛んでけ、そうそれとおなじに。小さい頃と全く同じに。
そうやって顔をあげた綱と視線が絡まって、苦しくて唇をかむ。
唇が触れそうな距離。綱の身体が温めた吐息に、切なく震える。
綱はそんな意味じゃない。子供のころと同じように、怪我した子供を治すだけ。純粋な優しさを恋にすり替えようとする。そんな自分が浅ましくて嫌い。
それなのに真っ赤になった顔は隠しきれない。
気が付かないで、気が付かないで、お願いだから、こんな私に気が付かないで。
「……そんなに、痛かったですか? すいませんでした」
変な顔をしていたのだろう。綱が心配してもう一度優しく手首を撫でる。愛しむようなその扱いに、どうしても喜ぶ自分がいる。今度は強く吹きかけられ身じろげば、ふと唇が微かに当たった気がした。
荷物が手から離れて、バサバサと乾いた音が響いた。
離された手を慌てて引き、手首を包んでうろたえる。
耳まで真っ赤になった綱。動揺の隠せない瞳。やっぱり唇に当たっていたのだ。
本意ではなかったとわかるけど、だったら早く茶化してほしい。期待して、しまうから。動くあなたが悪いんですよと、いつもの小言で私を封じて。
手首のキスは欲望なの、百合ちゃんの声が耳の奥で囁く。
「すみませんでした」
綱はもう一度そう言って、頭を深く下げた。丁寧な謝意がかえって他人行儀で悲しい。
「……謝らなくていいわ」
顔をあげた綱と視線が絡む。和らぐ唇と、潤む瞳の意味はわからない。
「姫奈」
「いいの、綱は」
特別だからと言えたらいいのに。
口を噤んで背を向けた。落としてしまった荷物を拾う。綱も屈んで手伝ってくれる。
「……今年もたくさんもらいましたね」
「綱ほどじゃないわ」
綱の手にある紙袋を軽く睨めば、綱は真面目な顔で私を見た。
「あの人からは貰っていません」
息を飲む。見透かされている私の不安。
「もう何もありえません」
簡単に打ち払ってくれるから。
「す」
好き。飛び出しかかった言葉を飲み込んで歪に笑う。
「少し、寒いわね?」
「そうですか?」
綱は意地悪に笑った。
「そうなの!」
言いかけた言葉さえ、見透かされているようで、慌てて駅に向かって歩き出す。
熱くなってしまった手首を押さえて。







