169.籠の中
先生に呼び出され、カウンセリングルームにいる。前世では何度か、お説教のために呼び出された懐かしい部屋だ。
最近は上手くやっているつもりだったのに、どういうことだろう。
戦々恐々として先生を見れば、先生も少し困った顔をしていた。
「今日はね、少し聞きたいことがあってきてもらったの」
「はい」
「あのね、先生は勘違いだと思うのよ? でもね、色々と話が出ているものだから、一応確認を、そういう感じで、注意だとか責める意図はないのよ」
「はい」
何やら、不穏な雰囲気だ。
なんだろう。やっぱり中等部の銀杏狩りはそろそろ止めた方がいいのだろうか。でも、契約はしてあるし問題ない気もするのだが……。
あとは何だろう。
あまり思い当たる節はない。
「白山さんがね、特定の大人しい子を無視しているなんて話があるのよ」
「……え?」
全く心当たりがなく、キョトンである。
先生は私のキョトン顔を見て、ホッと息をついた。
「やっぱり違うわよね? 心当たりはないわよね?」
「はい。どちらかというと、私が大人しい方に避けられる傾向はありますけど……」
そう言えば、先生は心当たりがあるのか、ちょっと笑った。
「そ、そうね。そういう場面、見たことがないこともないわ」
いや、そこは、「見た」で問題ないと思いますけど。
ちょっぴりショックだ。八坂くんの元気なファンに絡まれて強めの口論になることはあっても、大人しい子に私から何かすることはまずない。
大体、大人しい子の方が目を合わせてくれない。無視するも何も、私からはアクションを起こせないのだ。
唖然としていれば、先生が気の毒そうな顔で私を見た。
「……あのね、ちょっと相談を受けたのよ。あなたに冷たい態度をとられているって。それでね、少し気を配って欲しいなと、相談ね」
「はい」
「あなた、影響力が強いでしょう? だから、あなたは無視しているつもりがなくても、話しかけてもらえないことを無視って感じてしまうんだと思うわ。だから、挨拶とか少し気を配って貰えたらって思うの」
なんだそれ、である。影響力が強いって……。明香ちゃんや詩歌ちゃんはともかく、私なんてバナナなのに。
それに、話しかけてもらえないって言われても、である。知らない子には声をかけられないし、明香ちゃんじゃあるまいし、全学年を把握しているわけではない。
まあ、しかし、ここで反論しても心証が悪くなるだけだ。
「わかりました。今後は気を付けます。それで、どなたでしょう?」
「四組の桝さんよ」
「へ?」
思わず変な声が出た。鼻から鼻水が出なくてよかった。
「四組の桝さん?」
「そう、四組なのよ……。八組ならともかく、四組で、クラスも離れているし接点もないでしょう? それなのに、なんでそんなことを思うのか、先生も少し困惑しているの」
「……ですよね……。そもそもそんなにお会いしないのに」
「よねぇ?」
二人でため息をつく。念のため先生には少し話しておこう。
「あの、私、中等部の頃、桝さんと同じクラスで」
「ええ、聞いてるわ」
「仲良くなりたくて……しつこくして……逃げられた経緯があります」
告白すれば、先生はプっと噴き出した。
「白山さんらしいわねぇ。そうなの。でも、修学旅行で桝さんと一緒にまわってあげてたって聞いてるわ。彼女、人を寄せ付けないところがあるでしょう? 担任の先生も心配していたみたい」
結構、詳しく申し送りがされているのだ。これでは前世の私、めっちゃマークされてたはずだ。
「ええ、修学旅行は生駒くんが誘ってくれたのでご一緒できたんですけど……私が話しかけると困らせてしまうようで、関わるのを控えていたところはあります」
「ああ、それを勘違いしちゃったのね? 中等部では話しかけてくれてたのに、高等部で話しかけてくれないって寂しくなっちゃったのかしら?」
先生はそう言ったけれど、いまいち釈然としない。多分、桝さんは私を嫌っているし、話しかけて欲しいなんて露とも思っていないだろう。
大黒さんを嵌めたのが彼女なら、これだって。いや、他の噂だって。
ゾッとした。だめだ。考えるな。疑いだけでは何もできない。相手が悪い、そう淡島先輩が言うくらいなのだ。慎重にしなければ。
「先生……私……」
怖くなって先生を見る。
「大丈夫よ。白山さん。あなたがわざと無視する子じゃないって、みんな知ってるわ。でも、ちょっとだけ配慮してあげてくれないかしら?」
「ええ、それはもちろん。気を付けます」
「お願いね」
カウンセリングルームから解放されて出てくると、当然のように扉の側で綱が待っていた。
綱を見ればホッとする。
「大丈夫ですか?」
綱が顔を覗き込む。その黒い瞳を見たら先生の手前のみ込んだ思いがこみあげてくる。
「少し綱と話がしたいわ」
「芙蓉館でいいですか?」
「やだ」
芙蓉館には桝さんがいるかもしれない。
桝さんに見られたくない。少しでも彼女と顔を合わせたくない。綱を彼女に見せたくない。
嫌なのだ。嫌で、嫌で。先生の前ではいい子ぶったけど、私はそんなにいい子じゃない。
前だったら家の車で思う存分愚痴が言えた。あそこなら密室で、内容が漏れる心配はなかったからだ。
だけど今は帰り路も電車だ。安易に人の悪口なんか言えない。誰が聞いているかわからないのだ。だけど、今では家でも綱とは二人になれない。私がいじめをしていると疑われているだなんて、家のものには知られたくない。
「二人っきりになりたいの」
綱が息を飲んだのがわかった。不思議に思って顔を見れば、目をそらされた。
「……ついてきて」
綱が手を差し出した。手を伸ばしてもいいのかと逡巡する。
「姫奈」
綱の声に導かれるようにその手を握る。綱は私の手を引いて何事もないように歩く。まるで、子供の頃のように。
階段を上って、その突き当りのドアを抜けて、屋上へ出て、その先。学院の中央にそびえたつ、鐘。登校時間と下校時間を鳴らす鐘だ。そういえば今週は綱が鐘を鳴らしていた。鐘の下に入るための鍵を持っているのだ。
鐘の下は小さな空洞になっていて、二人分の小さな段がある。二人で入って鍵を閉める。くっついて座って、上を見れば鐘の中が見えた。薄暗い小さな影に籠る。
「どうかしたんですか?」
綱が優しく問う。そんなに優しくしないで欲しい。
「先生に……、少し、お願いされた、の」
ポツポツと絞り出す。言葉にしてから、綱に言うのが怖くなった。
だって、綱は桝さんに優しい。桝さんと仲が良い。疑いなんかなかったみたいに、桝さんと笑いあう。去年の夏に未だにこだわってるのは私だけで、もう綱は忘れてしまったのかも。
いいえ、最初から彼女を庇っているのかも。誰も彼女を疑っていないのかも。淡島先輩の言葉だって、私を暴走させないための方便だったとしたら? 私だけが嫉妬に狂って彼女を悪く思っているだけなのだとしたら?
言い方を間違えたら、私は悪者で嫌われてしまうかもしれない。そう気が付いた。怖くなって綱を窺い見る。
初めてだ。綱をこんな風に疑うのは。嫌われるかもだなんて、本気では想像したことがなかった。それがいかに傲慢か、今更に気が付く。
でもこんな風に綱を疑ってしまうなら、好きになんてならなきゃ良かった。
前世の私はこんなに弱かっただろうか。人に嫌われるなんて全然平気だった。何を言われようとも自分が勝ちさえすれば関係なかった。それなのに今はどうだ。
「なにをです?」
綱は優しく微笑んだ。信じたい。信じさせて。私の方が桝さんより綱の近くにいるんだって。
唇が、喉の奥が、震える。
「……桝さん、に、と? 仲良く……しなさい……て……」
綱は何も言わなかった。やっぱり私は失敗したのかもしれない。
声が震えて、逃げ出したい。綱に嫌われるのは怖い。桝さんよりも、没落よりも、ずっとずっと、怖い。
「あ、へんな話、ごめんな……さ……、聞いても困る、わね?」
「姫奈」
「別に、私、意地悪とか」
「姫奈」
「だって、そんな、」
「わかっています。姫奈、わかってる」
綱が両手で私の頬を包みこんだ。
「大丈夫です。私は、姫奈の味方です」
「……本当に?」
ブワリと涙が盛り上がる。涙を止めたくて唇を噛む。こんなことで泣くなんて情けなくて嫌だ。
綱が頷いた。
「何があっても姫奈の味方です。信じてください。だから、何でも話して。最初に。一番に私に頼って」
「つなぁ」
ポロリ、涙がこぼれる。それを綱の指がすくう。
「私、私、なにもしてないの、本当に何もしてないわ」
「ええ、知っています。わかっています」
「見ないようにした、考えないようにした、だって、考えたらっ、だって」
どうしたって思い出す。編集動画を作ったかもしれない人。疑いでしかないけれど、でもその疑いは晴れていない。でも追及もできない。ましてや断罪なんて。だから、晴れないそのモヤを見ないようにしてきた。
「我慢してた、知っています」
「だけど、だからなの? 私、桝さんを無視したってっ……!」
ひく、喉が鳴る。
「桝さんが……、先生に相談、したって……」
「……桝さんが」
「噂になってるって、いろんなところで聞くって、私が大人しい子を無視、してるって」
「……」
「私、目立つからって、気を配ってって。私、目立つ? 噂になってる? 私、そんなに、悪い子? ダメな子なの?」
頑張ってきたのだ。やり直さなきゃいけないと思って、いい子の真似をして。神様に怒られないように、同じことを繰り返さないように。今度こそいい子になりたい。ダメな子だといわれたくない。できるだけ嫉妬したくなくて、自分の中の嫌な気持ちを見たくなくて。
だから、元凶になるものから目をそらすしかなかった。
そうしたら、それを無視だという。
何をやってもダメなのだ。いつだって失敗する。
もうどうしたらいいの。
仲良くなんてできない。だって、あの人は嫌い。だって、私はどうせ悪い子だから、嫌いな人の良いところなんて探せない。わかりたくない。関わりたくないのだ。
いい子だったらそんなことは思わないからと、その思いに蓋をした。でも、そんなの意味はなくて。
綱が慌ててハンカチを出して、私の瞳を押さえる。泣きたくなんかないのだ。自分のことで泣くのは嫌。そうやって許されるのも、同情を買うのもズルくて嫌なのに、綱の前では止められない。そんな自分が嫌で嫌で嫌で。情けなくて恥ずかしい。
目元が熱くなって、鼻水もとけてくる。脳みそがグラグラしてる。ああいやだ。こんな自分、本当は綱に見られたくないのに。綱にこそ見せたくないのに。
綱に釣り合う女の子になりたい、そう願っても私は無理で。
「姫奈はダメじゃない。大丈夫です。大丈夫だから。みんな知っています。そんなことしないって、みんな知っていますから」
「でも」
「大丈夫。信じてください。姫奈は全然悪くない」
「綱」
綱がまるでおじい様のように言う。おじい様だけは、いつでもどんな時でも私の味方だったことを思い出す。
綱は私の瞳にあてたハンカチをとり、真っ直ぐ私を見た。
「私が姫奈を守ります。だから、信じてください。姫奈を脅かしたりなんてさせません。相手がだれであろうとも。……桝淑子だろうと」
きっぱりした口調だった。何かを決意した、そんな声だった。
「少しだけ、待ってください。目立つところでは挨拶だけしてください。それはあなたを守るためです。彼女に屈するわけじゃない」
「……うん、うん」
「大丈夫、大丈夫です。私が姫奈を守ります」
綱が私の頭を抱き寄せ、その胸に閉じ込める。私はみっともなくも、えぐえぐと子供のように泣きじゃくった。
狭い狭い籠の中。反響している泣き声と、大丈夫、大丈夫と、私の頭を撫でる綱。
このまま涙になって、とけて綱の胸に沁みこみたい。そうすれば私が消えてしまったって、綱の心には残るだろう。綱の心の一番近いところに、ずっと住んでいけるのに。
「ここではどんなに泣いたって、誰も咎めたりしませんから」
綱の声が胸から直接振動して、私の胸を震わせた。
それから、数日。
桝さんを見かけるたびに、気を付けて挨拶をした。桝さん以外の大人しい子も、目があえば挨拶をする様に気を付けた。
桝さんは相変わらず私を見て怯えたような態度をとる。挨拶しても顔も見ずに、サッと頭を下げるだけだ。
それを見て、みんな不思議そうな顔をする。その度に身が縮む。嫌がる桝さんを追いつめる、意地悪な人に見えやしないだろうか。でも、そうしろと先生が言った。綱も言った。だから、息を止めて笑顔を作り、どんなに辛くても挨拶を続けた。
八坂くんのサロンで学んだことがこんなに役に立つとは。どんなに心がグチャグチャでも、目的さえあれば完璧な笑顔が張り付けられる。そんな自分に感心した。
そして、今日。
桝さんに会った。今日も先生の手前、笑顔を作って挨拶をした。
すると、なぜか今日は彼女の方が、グッと顔をあげあからさまに私を睨んで足早にかけて行った。行き先のドアをバタンと荒々しく閉める。お嬢様らしからぬ行動だ。
周りが呆気にとられ、その様子にシンとなる。
先生がそれを見てため息をついた。
周りのみんなも顔を見あわせる。
私が怒らせたように見えるに違いない。周りの目が怖い。
「なによあれ?」
たまたま見ていた明香ちゃんが呆れて言った。だよね、と同意する声も聞こえる。
私はホッとしたけれど、何も言えず俯く。私は同意してはいけないし、反論をする気にもなれなかった。
先生がそっと私の肩を叩き、頭を振った。
「ここ数日見ていました。あなたはよくやってくれたと思うわ。もう無理しなくて構いません。見ていて痛々しいもの」
私は小さく頭を下げた。
この日から、桝さんは綱に近づくことはなくなった。綱も彼女に話しかけることはない。桝さんは芙蓉館へ来なくなり、クラスの遠い私は一層顔を合わせることはなくなった。
しばらくして、綱に聞いてみる。
「綱、あの子の件、何かしてくれた?」
名前を出すのも怖い。
「いいえ?」
「本当に?」
「ええ。姫奈が心配することは何もないんですよ。さあ、駅に行きましょう」
綱がニッコリと笑って、話題を切り替えた。それ以上私は何も聞けなかった。







