145.塾
そんな経過で始まった学習塾。小さなころから習っていた英会話を辞めて、塾の英語に統一した。会話の方はもう大体大丈夫なので、受験用の英語に切り替えることにしたのだ。
週のうち一日はバレエに行ったりしているので、忙しくなってきている。
放課後は一度家に帰り私服に着替える。芙蓉学院は制服での私的外出は基本的に禁止だ。特に公共機関を使う場合、制服着用が許されるのは登下校か学校行事のみなのだ。正直とても面倒だが、仕方がない。
私はカジュアルな服装に着替えた。白いブラウスにVネックのレモン色カーディガン、ミモレ丈のプリーツスカートは黒地に白いドットが入っている。レモンなスカッシュをイメージしてみた。
本当は少し短いスカートもはいてみたいけれど、そもそも持っていないのだ。
鞄はお母さまから汚しても構わないとおさがりで譲り受けた革のトートバッグだ。それをワンショルダーに下げ、綱と一緒に電車に乗る。塾へ行くときは綱と一緒だ。帰りは綱が遅いので、一人で電車に乗る。自宅の最寄り駅からは、車で帰る約束になっていた。
放課後の電車を綱と二人で揺られるのは楽しい。クラスが変わってからは、前よりずっと話す時間が減ってしまったのだ。
コトコト揺れる電車。いつものカーブで体が傾く。ぼんやりしていて、指先が綱に触れ心臓がドキンと跳ねた。
ビックリして、慌てて離れれば不思議そうな顔で綱が私を見るから、赤い顔がバレないようにとくしゃみを抑えるふりをして、ハンカチを顔に当て俯く。
過剰反応だ。恥ずかしい。
「風邪ですか?」
綱はテレの一つもない顔で心配してくれるから、綱にとっての私は、何でもないんだなぁなんて、当たり前のことを自覚した。
「ううん。くしゃみが出そうだと思ったけど出なかったわ」
「そうですか。花粉ですかね?」
「違うわよ」
駅から塾まではほんの五分。綱とはクラスが違うから、入り口で別れる。
クラスの女の子は、学院の女子に比べてとても華やかだ。制服の子もいれば、私服の子もいるが、スカートは太ももが見えていて当たり前だし、ホットパンツの子すらいる。春なのに寒くないのだろうか?
派手なシュシュや可愛らしいキーホルダーをたくさんつけている。それくらいなら真似しても怒られないかなぁ、なんて思いながら体験クラスで座った席に自然と足を向けた。
体験会で一緒になった地味な男の子はいつもギリギリに来る。そして、私から席を一つ開け、体験会で座った席に座る。話しかけようと思っても、休み時間には机に伏して寝てしまうので、話しかける隙すらない。それにいつもイヤホンを耳につけていた。
キャッキャと楽し気な笑い声が響いて振り向けば、一番後ろの席のグループが盛り上がっていた。男女混合のリア充グループだ。どうやら中学から同じ塾のメンバーらしく、一番大きなグループだ。
男女混合グループだが、芙蓉学院の生徒とは違って、ブースだとかバーカだとか罵りあっているのだが、それがもう親愛に満ちている罵りあいなのだ。いっつも、いっつーも楽しそうで、すっごく、すっごーく羨ましい。
私だって、ブース(ほんとはかわいいな)とか、バーカ(ほんとうはすきだけどね)とかいいながら、こいつぅとか言われて小突かれたい!
しかし、心の中で指をくわえながら、スゴスゴと前を向く。
授業が始まった。
程なくして、グーグーと鳴り出すお腹。そう、私の腹の虫が不満の声を上げている。お腹空いたよーと泣いている。しかし、乙女な私だって恥ずかしくて泣きたい。
まだ、塾ではバナナ姫ではないし、もちろんゴリラでもない。できればこのまま、普通の女子のイメージをキープしたい。もう、学院でのイメージ払しょくは諦めている。
だからこそ、あわよくば塾でカッコイイ男子と出会っちゃったりして、青春ライフを過ごしたいのだ。そうだ、綱や芙蓉の男子と違って、普通の男子となら没落した後でもお付き合いできるに違いないではないか! 綱とは絶対無理な、こいつぅ、やだぁてへぺろ、とかしたい!!
なのに、私のお腹に住まう虫はグウグウと不平を述べている。勉強なんて腹の足しにならないとごねているのだ。
……どこまで聞こえてるのかしら?
先生は気が付いた様子はない。すぐ後ろには人はいない。左右の席は空いているし、一つ飛ばした席、あそこにさえ聞こえていなければセーフ……のはずだ。
チラリ、一つ飛ばした席の男の子を見る。目が合って、男の子は慌てて前を向いた。今の様子、絶対私のお腹の音聞こえてる!
恥ずかしぃ~!!
身もだえながら授業を終え、真っ赤な顔で一つとなりの席に座っている男の子に謝った。
「……授業中、煩くして申し訳ございません」
寝ようとしていた男の子は、困ったように固まった。
「あの? 聞こえてらしたわよね?」
お腹の音は省略した。私にも恥じらいがある。
「あ、う、うん。あ、あの」
男の子は小さな声で、お腹空いてるの? と聞いた。
私も小さな声で、ええ、と答える。
「これ」
男の子は小さな袋に入った飴を差し出した。
「よかったら食べる?」
「はい!!」
思わぬ慈悲に嬉しくて思いっきり元気よく返事をしたら、男の子はまた固まって、そうしてから小さく笑った。
「え、えっと、近くにコンビニあるの、知ってる?」
「コンビニ?」
「食べ物、買いに行くなら案内、し、しようか?」
「本当? 嬉しいわ! 私、白山姫奈子と申します」
「あ、お、おれ、し、七方晴人」
「シチカタ? どんな字ですか?」
「す、すう字の七で……」
自信なさげに七方くんは答える。
「ああ! あなたの周りはいつも晴れみたいな名前ね! 素敵!」
「! へ、は、そう? そんなふうに思ったことなかったけど……苗字嫌いで……」
「そうなんですね? では、名前でお呼びしたほうが良いですか?」
「あ、うん、そうして、欲しいな」
「はい。晴人くん」
やっと話ができる友人を得て、私たちは連れ立ってコンビニに行った。恨んでいたお腹の虫よ、良い働きをしてくれた。
めったに来ないコンビニでお菓子を選ぶ。集中力が欠けると嫌なので低GIのものを選んだ。パッケージに大きく糖質オフとかいてある。
「もしかして、ダイエットしてた?」
オズオズと晴人くんが聞いてくる。
「いいえ? 血糖値の急激な上昇は集中力が欠けるのよ。だから血糖値が上がりにくい低GIの食品を選んだの」
得意分野の質問に、ドヤァと答える。晴人くんは、目をぱちくりさせた。
「そんなことも考えるんだね」
「だって、損は嫌だわ。どうせ何かを食べるならオイシイにプラス何かがあったらお得じゃない?」
「そっか……考えたことなかったな」
しみじみ言われて恥ずかしくなる。これじゃ、淡島先輩並みの守銭奴ではないか。
「べ、べつに、お金に困ってるわけじゃ、ないですけど!」
「うん、それは分かるよ。白山さん、お嬢様っぽい……から」
「私、お嬢様っぽい?」
「う、うん」
「本当? 嬉しい! 学校ではそう思われていないのよ」
学院には生粋のお嬢様ばかりで、私なんかは足元にも及ばない。だから、お嬢様と言われて単純に嬉しかった。
そのまま教室へ戻る。
「あ、え、っと、隣、いい?」
晴人くんが小さく伺う。
「もちろん!」
私は快諾した。私は初めて塾で友達ができて、ちょっぴり浮かれた。







