140.新生活のはじまり
今日は芙蓉学院高等部 二日目の朝である。新しい制服に身を包み、髪はとりあえずハーフアップにしてクルリンパをした。結び目に綱からホワイトデーに貰った黄色いリボンのポニーフックを挿した。自分で結んであまりに不格好なリボンの形に綱が見かねて、「これなら姫奈でもできます」とプレゼントしてくれたものだ。
確かに私にも簡単にできるので今の一番のお気に入りだ。
芙蓉学院高等部は、中等部のほぼ倍数の生徒数になる。一般入試で合格した所謂外部生の人数が、中学からの内部進学のほぼ同数になり、クラスは八クラスになるのだ。クラス分けに内部生・外部生の差はなく、全て混合。二年時からは自分で好きな教科を選択していくようになり、単位の取得状況次第で留年なんてこともある。
……ええ、私です!!
高等部の制服は、深いグリーンのジャケットに芙蓉学院のエンブレムが黄金に輝いている。中等部と同じようにジャケットの袖口と、スカートの裾には学年カラーのブロンズラインが入っていた。スカートとスラックスは、グリーンのタータンチェックで、男女ともに臙脂のネクタイを結ぶ。中等部の白ジャケットに比べてグッと地味になるのは、電車通学が始まるためだろう。
私は隠れるように息を吐いた。
私が小さくため息をついたのは、胸のポケットのチーフのせいだ。前世では憧れてやまなかった芙蓉会の印、蓮の花である。中等部まで蕾だった蓮は、高等部で花開くのだ。
いったい何が起こったのか。だれの、何の、陰謀なのか。私は高等部から芙蓉会に入れられてしまったのだ。
紫ちゃんも胸に花があったから、多分沼田家のお嬢様に対する配慮が私にまで影響した、そんなところだろう。
前世では紫ちゃんがどうだったか覚えてすらいない。そう、まったく眼中になかったからだ。私はもちろん花などなかった。要するに、沼田家に配慮するにしても私は選ばれない程度には問題視されていたということだろう。
それはそれで怖いけど、芙蓉の花は荷が重い。
どんよりとした気分で家から出れば、玄関では綱が待っていた。綱ももちろん胸には芙蓉の花がある。
高校からは、基本全員電車通学となる。前世では思いっきり無視をして車通学をしていた私だが、今回はもちろんそんなことはしないのだ。しかし、通勤ラッシュは怖いので、少し早めに家を出ることにした。
そうすれば、人の少ない教室で綱とゆっくりできると思ったのは、秘密である。
「とてもお似合いです」
綱が芙蓉の花を見て満足げに笑った。私は思いっきり眉をしかめる。
「お嬢様は不服ですか?」
「ええ。とっても!」
だって、絶対、面倒くさい仕事を振られる。中等部と違って、高等部のクラス委員は多数決制だ。しかし、立候補がいなければ、自然と芙蓉会に押し付ける風潮がある。しかも、高等部は半数以上が外部生だ。知らない子が多い中で、リーダーシップを期待されても困ってしまう。
「どうしてこんなことに……意味が分からないわ。芙蓉会もいい加減な人選をして大丈夫なの?」
そう言えば、綱は小さく笑った。
「新規に高等部芙蓉会に認められるためには条件があるんです」
「執行部だけじゃないの?」
「芙蓉会会員五名以上の推薦と、三分の二以上の承認です」
「五名? ゆかちゃんもいるのに? 五名も私、芙蓉会に仲良しなんていないわ? あ! 綱! あなた何かしたわね?」
「いいえ? 私は推薦状を書いただけですよ。あとはお嬢様の実力です」
綱がクスクス笑う。
「そんなわけないじゃない! 何かたくらんでるわね? なんてことしてくれるのよ!!」
「芙蓉会はいずれお嬢様を守ります」
「どういう意味よ」
「そのままの意味です」
綱の答えに大きく溜息をつけば、綱は愉快そうに笑った。
昨日の入学式では、芙蓉の花を得た私に浮ついたお父様とお母様が、校門の前で盛大な撮影会を開いた。もちろん綱と生駒と一緒にだ。
前世では入学式にすら来なかったお父様のくせに、とんだ掌返しだと思う。
「今日の放課後は芙蓉会で新歓パーティーです。シャキッとなさってください」
「綱の意地悪」
私はブスッ面で答えた。それでなくても、今年は綱とクラスが分かれてしまったのだ。そんなの前世からも初めてで、不安で不安で仕方がないのに、二人の時くらい優しくしてくれてもいいと思う。
綱は片眉を上げて、小さく笑った。
馬鹿にして!
「さぁ、行きましょう?」
綱は駅に向かって歩き出した。
駅についても、もう手は差し出されなかった。私も手を伸ばさなかった。
大人たちからさんざん言われたのだ。『大人としての自覚を持て』これが、きっと正解。
私はぎゅっと拳を握りしめた。
胸に芙蓉の花が咲く。
前に向かって一歩足を踏み出した。
朝の通勤ラッシュの少し前の時間の電車は、それほど混んではいない。綱に誘導されて、一つだけ開いていた席に座る。綱が向き合うように立って、手を伸ばすから驚いた。その手は、私の上にぶらさがる吊り輪を持った。綱の影が落ちてくる。
心臓がバクバクする。一瞬、触れられるのかと思った!
「どうしました?」
私の顔色を読んで、綱が無邪気に尋ねるから気恥ずかしくなる。
「あ、鞄! 鞄もつわよ」
「大丈夫ですよ」
「だって、私ばっかり座ってて、嫌だわ。早くちょうだい?」
手を広げて見せれば、綱は驚いたような顔をして小さく笑った。
「ではお願いします」
そう言って綱は肩にかけていたスクールバッグを手渡してくれた。私は綱のカバンを受け取って、キュッと膝に抱く。
それを見て綱がまた小さく笑った。
「なによ」
「いえ、姫奈も大人になったなぁ……と」
「なにが?」
「私の鞄を持とうだなんていうとは思いませんでした」
「し! 失礼ね! 私だってそれくらいするわよ!」
確かに言われてみれば、いままでしたことはなかった。綱に荷物を持たせるのは当たり前でも、私が綱の荷物なんて持ったことはなかったのだ。
ムウと機嫌を損ねる私に、綱は笑って「良いことです」なんて言う。何だか馬鹿にされたみたいで、それも気に入らない。やっぱり綱にとって私はどこまでいっても雛鳥なのだ。
綱は両手を吊り輪に通して、ユラユラと電車に揺れている。そのしぐさも手慣れたもので、大人っぽいと思ってしまう。黙って電車の窓を眺めている綱。車窓から入り込む光が、綱の黒髪をリズミカルに照らす。白い喉には喉仏が影を落としていた。整った顎にはまだヒゲも見えなくて、そう言えば生駒も髭を感じさせないな、なんて思う。
剃ってるのかな? ちょっと触って確かめてみたいな。
そうやって綱を見つめていれば、ふと目が合った。驚いたように綱が目を見開き、無言で視線をそらされる。そこでようやく私は不躾に見つめ過ぎていたと気が付いて、慌てて俯いて鞄をかき抱いた。鞄と髪で顔を隠す。
は、は、恥ずかしいっ! 今のバレた! 絶対、絶対、綱を見てたってバレた!! まさか、好きだってことはバレてないよね?
ああっ! もう! なんでこんな時に無言なのよっ! いつもみたいに茶化してくれればいいのに! 綱のバカ! 綱の意地悪!
ふっと綱の気配が顔の横まで下りてくる。耳元に綱の温度。わかるから顔があげられない。
「ひな」
なんだか甘く聞こえる声に、肩がビクリと反応した。
「次でおりますよ」
そろそろと顔を上げれば、綱は甘く笑っていた。
「そろそろ鞄をください」
抱き締めていた鞄を綱に返す。何だか心もとなくなった。
電車が止まったのを合図に、綱が私に手を差し出した。立ち上がるためだからと、心の中で言い訳をして触れる。
一瞬だけ触れあって、パッと離して何事もないような顔をした。あからさますぎたかな、そう思って綱を覗き見れば、何でもないような顔をしている。
意識しているのは私ばっかりだ。
小さくため息をつきつつ、改札口へ向かう。綱はお揃いのパスケースを改札口に押し当てた。
まだ使ってくれてるんだ。
そんな些細なことに喜んで、私もチョコレート柄のパスケースを取り出した。







