139.中等部三年 卒業式 2
結局、動画の流出元は特定できなかった。ブスブスと疑いの煙が鈍く心の奥にたまる。理由は分からないけれど、誰かが大黒さんをはめた。だからと言って大黒さんが許されるとは思わないけれど、見えない火種が残っている方が怖い。
カウンセラー室を後にして、昇降口に向かう。
暗がりの昇降口から外へ出れば、薄い三月の空ですら眩しく瞳の奥を刺すようだ。
綱は枡さんとどうしただろう。
痛いなぁ……。
「姫奈子先輩」
呼びかけに振り向けば、修吾くんだ。一輪の赤い薔薇を差し出してくる。
「卒業おめでとうございます」
「ありがとう」
卒業を祝う先輩には一輪の花を渡すのが芙蓉学院の伝統だ。中でも薔薇やカーネーションは華やかさもあり、定番の花だった。
「良かったら、制服のリボンをください」
「え? リボン?」
男子のネクタイを下級生の女子が貰うのはよく聞くので、そんな流れなんだろうと思う。クラスバッチや文房具など人気者は色々なものを下級生から強請られるのだ。
私は快くリボンを解いた。三年生のリボンにはゴールドのラインが入っている。毎日結んだリボンには他のアイテムより思い入れがある。だからこそ、良く知っている修吾くんにあげられるならうれしい。
「はい、どうぞ! 誰にも欲しがられなくて寂しかったから嬉しいわ!」
「そんなことないですよ! 姫奈子先輩は下級生の憧れだからなかなか話しかけられないんです」
「気軽に話しかけてくれればいいのに」
「無理ですよ」
修吾くんは笑う。修吾くんと話をしていれば、ブロンズの子たちが集まって来た。二階堂くんの妹の智ちゃんが、白い薔薇をくれる。
「智ちゃんありがとう」
「お姉さま。クラスバッジを記念にください!」
「もちろんよ」
金色のクラスバッジを智ちゃんに手渡す。そんなことをしていれば、たくさんの白や黄色、ピンクやオレンジいろんな色の薔薇やカーネーションが集まってきた。思った以上にたくさんの花に嬉しくなった。花をくれるのに内部生も外部生も関係ない。そういえば『きたり』と呼ばれなくなったなぁなんて感慨深く思う。
ワイワイと話していれば、昇降口から出てきた桝さんと目が合った。
桝さんは赤い目で私を睨んだ。泣いていたのだろうか。目の下までも赤い。
私は言葉を失って立ちすくむ。
桝さんはジッと私の首元を見た。修吾くんに渡して無くなったリボン。そんな私を見て、唇をギュッと引き結び、背を向けて去っていった。
「姫奈?」
綱の声に、下級生の女の子たちがワッと声をあげ、駆け寄っていく。明るい歓声とともに、綱にも花が手渡されていく。やっぱり綱は人気らしい。
綱の制服はクラスバッジやボタンを奪われ無残なものだ。しかしネクタイは残ったままだった。桝さんにあげなかったのだと思えば、それだけでホッとする。
「生駒先輩! ネクタイをいただけませんか?」
真っ赤な顔をした下級生がそう言って、私はギョッとして綱を見た。周りの下級生も驚いたように私と綱を見る。なぜだか微妙な空気が流れる。
「ごめんね。ネクタイはあげられないんです」
綱が気まずそうに笑って、私はホッとする。周りもホッとしたように、ため息をついた。
言い出した女の子は、ヘラヘラと両手を振って謝った。
「そうですよね! 私こそすみません。わかっていたのに、ダメもとで言ってみたかったんです」
そう言って、ちらりと私の首元を見た。つられるように綱も私の首元を見て、無くなったリボンに一瞬眉をしかめた。
「あげる約束をした人がいるので」
綱がそう答えるから、私は思わず固まった。サッと血の気が引いてしまう。
え!? 誰にあげるの??
「さあ、姫奈、そろそろいいですか? 車が待っていますよ」
無表情でそう言われ、私は混乱した頭のままスタスタと先へ行く綱を追いかけていく。
「……ねぇ。綱?」
「なんです?」
立ち止まって私を覗き込む黒豆のような照りのある黒い瞳。見慣れた綱のものなのに、感情がわからない。
「ネク、……あ、えっと、やっぱりいいわ」
思わず口に出したはいいけれど、聞いてもいいのかわからなかった。
誰にネクタイをあげるのだろう。桝さん? でもだったら、さっき会っていたのだ。その時にあげるはずだろう。だったら違う子?
知りたくない気もして、言葉を飲み込む。
「……では私が聞いてもいいですか?」
「良いわよ?」
「リボンはどうしました」
「リボン? 修吾くんにあげたわ」
答えれば、綱は大きくため息をついた。
「なに?」
「いいえ」
「なによ」
「……修吾さまも、もう中学生です」
「知ってるわよ? 彰仁と一緒だもの」
「ええ、ご存知でしょうとも! ただ、ご理解いただけてないようで何より」
綱は不機嫌に言い捨て、私に背を向け校門へ歩き出した。
「まって! 綱!」
大股に歩く綱は珍しく振り返らない。先に行くときはいつだって、背中を見せてはいても、私の声を聞いていてくれたのに。絶対、振り向いてくれたのに。
「綱ぁ……」
置いて行かれてしまう。
ただ校門まで行くだけで、一人でだって行けるけど。でも。
いつか綱は一人で行ってしまう。わかっている。だけど今、綱が私を置いて独りで行ってしまうなんて。
咄嗟に手を伸ばしたら、抱えていた花たちが地面に散らばった。慌てて屈み込んで、透明のセロファンに土のついた花を拾う。
もう、おいてけぼりだ。
「まだ、おいていかないで……」
もう少し。あともう少しだけ。一番近くにいたい。綱に彼女ができてしまうまでとわかってるから、もう少しだけこの時間を大切にしたいのに。
思わず零れた言葉に、黒い影が落ちる。
「おいていったりしませんよ」
綱が困ったように肩をすくめ、赤い薔薇を拾い上げた。
ホッとして思わず脱力したように笑えば、綱は目を眇めて私の頬を撫でた。
「なんて顔、してるんです」
「顔?」
「まるで、親鳥の後を追うヒヨコみたいですよ」
「……ヒヨコ……」
ああ、綱には私はそう見えている。母鳥を後追いする雛のように、そんなふうに見えているのだ。だから、私を見捨てられない。だから、私の側にいてくれる。呼べば振り返ってくれるのだ。
今まで当たり前に思っていたけれど、違う。綱は優しい人なのだ。
私が雛鳥でなくなったら、綱は今度こそ私をおいていくのだろう。そうわかってしまったら、私は大人になんかなれない。
雛でいいから、見捨てないで。保護者でいいから側にいて。
縋るように綱を見つめれば、綱は根負けしたように笑った。
「ネクタイは彰仁さまにあげる約束をしました」
「彰仁」
それを聞いて安心する。桝さんじゃなくて良かった。知らない女の子じゃなくて良かった。
あからさまに緩んでしまう頬を見て、綱は小さく笑った。
「あなたがあんまり子供だから、意地悪をし過ぎました」
「だって、まだ子供のままでいたいわ」
「ずっと子供のままじゃいられないでしょう?」
綱は諭すように言い含める。私は瞼を伏せて目をそらす。わかってるけど。でも、まだ、嫌なのだ。
「だって……」
綱が好きだから。
子供のままだったら、二人でずっと一緒にいられるのに。今まで通り何も変わったりしないのに。手を繋いでも怒られない。炬燵に入って、足を触れ合わせて、同じアイスを食べたって、誰にもとがめられないのに。
このままじゃいけないと大人が言う。もう大人だからとみんなが言う。
どうして、このままじゃいけないんだろう。
「大人になったら一緒にいられないもの」
綱は驚いたように私を見た。そしてゆっくりと口角をあげて、静かに深く微笑んだ。
「だから大人になりたくないんですか?」
綱の問いに、無言で首を縦に振る。
「仕方のない人ですね」
そう言いながらも綱の顔は嬉しそうだった。
「側にいますよ」
「本当に?」
「ええ、だから安心してください」
泣きたいくらいに優しい声は、冷たい空気と混じって鼻の奥を刺激していく。
おままごとみたいな約束をさせてしまっていいのだろうか。
綱の未来を考えたら、いけないのだとわかってしまう。
没落するかもしれない私の未来に、綱を巻き込んではいけないから。
シッカリしなくては。
大人にならなくちゃ。
綱が振り返って手をさしのべてくれることを、当たり前だと思ってはいけない。綱の側にいたいなら、自分の足で隣を歩けるように努力しなくてはいけないのだ。
「わかったわ。頑張って大人になるわね」
綱は私の答えを聞いて、静かに頷いた。
「さあ、彰仁さまが待っています。車へ急ぎましょう?」
優しく微笑む綱。今度は私の隣を歩いた。







