138.中等部三年 卒業式 1
今朝は朝早くから昇降口で作業をしている。朝一番で学校へ来た。なぜなら、下駄箱にホワイトデーのお返しを入れるからだ。白山茶房特製アラレ。去年は黄色一色のテスト品だったが、今年は正規品の配布である。作ったリストとにらめっこして、色とりどりのアラレを入れていく。
綱も彰仁も同じように作業をし、終わってからは私の分を手伝ってくれた。
「はー、やっと終わったわ!」
達成感と疲労で、大きく伸びをした。今年も良い宣伝になるだろう。しかも、今年は八坂くんが白山家関連の洋菓子店でお返しを注文してくれたから、これも期待している。
オーナメントにもなる天使モチーフのクッキーに、レモン味のアイシングでデコレーションしてあるものだ。白と黄色のアイシングが可愛らしくて食べるのがもったいない。しかし、クッキーには上質な蜂蜜とレモンピールが練りこまれた力作なので、是非とも食べていただきたいとは思っている。
天使のモチーフが欠けないようにと、敷いた厚紙にはお店のQRコードが付けてある。さぁ、全国の晏司君ファンよ、是非とも我が家のお店にイラッシャイマセ!
しかし、ホワイトデーはバレンタインほどの盛り上がりはない。
私は氷川くんと友アメならぬ友アラレの交換をしたが、一般的には友アメの習慣はあまりないし、義理もない。バレンタインのお返しをするだけだ。八坂くんの方は事務所が一斉に郵送したようで、毎年学園内でどうこうというのはない。
それに翌日に中等部の卒業式を控えているので、そちらの方がイベントとしての存在感は大きいのだ。
今日は、中等部の卒業式だ。
送辞を読むのは来年度生徒会長になる五木くん、もちろん答えるのは氷川くんである。保護者の衣装も艶やかな芙蓉学院中等部の卒業式だ。前世では来てくれなかったお父様も今回は来てくれた。それだけでも嬉しい。
卒業生は式典後に一度教室へ戻る。そこで、担任の先生へ対する感謝を込めたお別れ会をして、解散だ。
教室でのお別れ会を終え教室を出た。執行部や芙蓉会の人たちは相変わらずいろいろな人に囲まれていた。エスカレーター式の芙蓉学院ではあるが、諸事情により転出する生徒もいる。それに何より、高等部は内部生と同数以上の外部生が入ってくる。環境がガラリと変わるのだ。だからこそ、今の絆を深めておきたいと思う下級生も多いだろう。
芙蓉学院はブレザーなので、第二ボタンよりもネクタイの争奪戦となる。八坂くんや氷川くんあたりは地獄だろうな、なんてぼんやりと思った。
綱は桝さんに呼び止められ、私に視線を投げた。
綱はこういう時、ちょっぴり困った顔をする。私にしかわからないくらい、ほんのちょっとだけだけど、私はそれが嬉しかったりする。
だけど、邪魔はできないのだ、しちゃいけない。
私は胸の痛みを笑顔で誤魔化し、ヒラヒラと手を振る。
「昇降口で合流しましょう? 私はスクールカウンセラー室に呼び出しをされているから」
そう言えば、桝さんは私を軽蔑するような眼で見て、綱はいつものように頷いた。
桝さんの意図に気が付きながらも、気が付かないふりをする。きっと桝さんは特別な話をしたいのだろう。ネクタイをもらうのかもしれない。
正解はわかっている。本当なら「先に帰っているわ、ごゆっくり」そう言えれば良かったのだ。だけど、先に帰っているとは言えなかった。
無駄なあがきだと思う。自分の思いは知られてはいけないけれど、桝さんと綱が付き合うのは嫌だ。それは我儘なことだってわかっている。恋心を自覚してしまってからは、今までのモヤモヤが明確な嫉妬として自覚されて、そんな自分が醜くて嫌なのにどうにもできない。
スクールカウンセラー室へ入れば、そこには学年主任の先生と大黒典佳がいた。大黒典佳は盛大に目を赤くして立っていた。
彼女は卒業式に出ていない。卒業証書だけ取りに来たのかもしれなかった。
「白山さん、足を運んでくれてありがとう。少し大黒さんがお話をしたいと言っていてね、聞いてあげてくれるかしら」
カウンセラーの先生が言った。
「はい」
大黒さんを見れば、睨みつけるように私を見ている。
「……いろいろ、悪かった、わっ!!」
めちゃくちゃイヤイヤながらの謝罪である。学院側か親から無理やり謝罪の場を作られたのだろう。それで終わりにしましょうと、大人としてはしたいのだ。
大人の事情は十分にわかるが、大黒さんの態度には正直ムカつく。
「そう」
私がそっけなく答えれば、大黒さんはカッと顔を赤らめた。
「なによ、謝ってやってんのよ! いいわよぐらい言えないわけ?」
「だって、悪いと思ってないじゃない」
「思ってないもの!」
大黒さんは、学院か親に言わされているだけで、仕方なく謝ったふりをしているのだ。全然納得していない。
「大黒さん。あなたのために来てもらったのよ?」
カウンセラーの先生が、ピシャリとたしなめる。
大黒さんは悔しそうに唇をかんでうつむいた。
しかし、私は謝罪より聞きたいことがあった。
「別にイヤイヤ謝らなくてもいいわ。それより教えて」
「……なによ」
「本当にPTSDなの?」
「知らないわよ! 学院を休みがちなのを親に怒られててウンザリしてたのよ。そうしたらあの動画が見つかって、行きたくない理由として丁度いいと思って見せたら、病院に連れていかれたわ。それで学院に行くのが怖いって話したらPTSDが疑われるって。医者が言うからそうなんじゃないの?」
ハン、と髪をかき上げて大黒さんは笑う。
「重篤な症状なんてなかったのね! だったらなんであんな裁判」
「だって、あのおじさん。あそこの米の半分は大黒商事の下請けで契約してたのよ? それなのに私にあんな風に言って! あれからよ! あれから晏司くんが冷たくなったんだから! 誰に何をしたのか思い知るべきでしょ!」
「逆恨みじゃない」
大黒さんはツンと顔を背けた。
「あの動画、どこで手に入れたの?」
「しらない。ペンケースの中に入ってたのよ。アンタ、私以外にも恨み買ってるんじゃないの?」
大黒さんの嘲笑うような言葉に動揺する。他にも私を嫌いな人がいると指摘され、カッとなる。
「そんな所在のわからないファイル開けるなんて危機管理できてないんじゃない? 信じられない」
「みんなそう言ったわ。先生も弁護士も、親すら私を信じなかったわ! でもそうなんだからしょうがないでしょ!」
「ねぇ、それで、何が起こったかわかってる?」
「だって、あんなことになるとは思わなかった! 動画なんて友達しか見ないと思ったし、内輪でちょっと笑い者にしてやろうとか、それくらいのつもりだった。それなのに気がついたらどんどん拡散されて、学院まで特定されるなんて……。私だって怖くなって慌てて消したわ!」
大黒さんはそのときの恐怖を思い出したのか、ギュッと自分自身を抱きしめた。
「後悔してるの?」
「どうせ馬鹿よ、とんでもない大馬鹿よ!」
大黒さんは大きく息を吐き出した。まるで何かを断ち切るみたいな長い吐息だった。
「両親からも、学校からも、すごく怒られた。……だから私、高等部にはいかない」
大黒さんは俯いた。
「私、留学することになったの」
さっぱりとした声だった。
「いろいろな人にたくさん迷惑をかけたし、……別に逃げるわけじゃないけど」
そうは言っているが、大黒家としての御祓なのだろう。
動画を流したのが大黒典佳だということは、公になってはいない。裁判だって取り下げられている。ただ、わかる人にはわかる。その影響も出ているのだ。
だからこそ、反省する姿を見せるべく、学院を辞めさせるのだろう。
「そうね。大黒商事は海外との取引が多いものね。早めに外に出るのはいいかもしれないわ」
「良く知ってるわね」
「大黒商事の業績には注目してるわ。そうそう、お米の契約はうちで引き継がせてもらったのよ。だいぶ儲けさせていただいてます」
「なにそれ。そんなことに興味があるの? 変人ね」
「お米が恋しくなったら連絡してきてもいいわよ。海苔つけて送ってあげるわ」
「イヤミな人」
大黒さんは大きく深呼吸をした。
「……悪かったと思ってるわ」
「そう」
「だから! 嘘でもそんなことないわって言えないの? 謝ってるじゃない!」
「言えないわよ。結構酷いことしたわよ?」
「知ってるわよ! 別に許してほしいわけじゃないし! 許されるとも思ってないわ」
「結果大黒さんが自爆してるだけだけど」
顔を真っ赤にして、フンと大黒さんは鼻を鳴らした。
「……調子に乗らないで!」
「初めから乗ってないけど」
「ほんと、アンタなんか嫌い」
「知ってるわ」
「アンタなんか晏司くんに釣り合わないんだから!」
「うん」
「オキニとか言われてもマネージャなのよ!」
「そうね」
「……なんなのよ! 反論しなさいよ!」
「私もそう思ってるもの。八坂くんに釣り合うなんて微塵も思ってないわ」
私がそう言えば大黒さんは、グッと唇を噛みしめた。
「私、晏司くんにフラれたわ」
あれだけ冷たくされていても告白するのか。凄い勇気だと思う。私には到底真似できない。
「その時に言われたわ。たとえ白山さんがいなくなっても、その席は君の席じゃない、って」
そこまで言って、大黒さんの瞳から涙が一粒転がり落ちた。
「でも、好きなんだもの」
「ええ、それは良く……わかるわ」
わかる。わかってしまう。たとえ、自分が好きな人の隣にいられなくても、隣を誰かにとられるのは嫌だ。誰かを攻撃するのは間違っている。わかっていても、醜い心が牙を剥く。自分が邪魔者だとわかっていても、その場を譲れない。前世の……いや、さっきまでの私と一緒。
大黒さんは、キョトンとした目で私を見た。
「アンタなんかにわからないでしょ」
「バカにしないでよ。私だって好きな人がいるわ」
「晏司くんじゃないの?」
大黒さんは訝し気に私を見た。
「違うわよ。八坂くんも私がファンじゃないって知ってるから、気さくなだけ。あれだけモテるから、勘違いしない女の子が物珍しいのよ」
「ウソ」
「ウソじゃないわ。私なんて好きな人には嫉妬ばっかりする癖に、相手に気持ちを知られるのが怖いくらい。片想いもいいところよ」
「ヘタレね。それで私は本当に馬鹿ね」
大黒さんは泣きはらした目で笑った。ほんと、ばかみたい、そう呟いた言葉が床に落ちて転がる。
「大黒さん……」
「同情しないでよ。アンタがヘタレてるうちに、外国でいい男見つけてやるんだから!」
「え! ちょっと、私だって、……ああ、でも、私は……無理かも……」
「ホントにヘタレ! 頑張りなさいよ。相手が晏司くんじゃないなら、私だって応援できるのよ」
大黒さんが笑う。私も笑った。学年主任の先生も笑っていた。







