134.中等部三年 バレンタインデー 1
華子様を失って、ずっとふさぎがちだったけれど、最近は少しずつ浮上してきた。
暗く落ち込んでいたさなか、淡島先輩が確定申告の勉強だと呼び出してくれたのが助かった。前世では、華子様を偲んでは思い出のお菓子を食べ引きこもり、デブ一直線だったのだ。
まだ確定申告の勉強など早いだろうと思ったが、知っておくべきだと淡島先輩から強く言われたので渋々だが勉強をすることにした。しかし厳しい指導のおかげで、泣いて食べているような暇はなかった。
白山茶房の経営や税務対策は、店長と経理の人に任せてある。会計士や税理士が入ってまとめてくれることになっているが、少し利益が多いようなので相談を受けていた。そのことも少しだけ淡島先輩に相談にのってもらった。臨時ボーナスの大入り袋制度などを作ろうか、などと考えたりする。基本賃金も少し上げられるかもしれない。あとは、設備投資と開発、広告に使うのもいいかもね、なんて淡島先輩と考える。
悲しみを乗り越えるためには、何か別のことを考えていたほうがいいらしい。時間薬というのだと淡島先輩が教えてくれた。
もしかしたら、わざと忙しくしてくれたのかもしれない。お葬式で泣かせたことを酷く反省してたからと、こっそり葵先輩が教えてくれた。
それに、バレンタインのおかげもある。友チョコを用意するために町へ出かけたり、バレンタインのお菓子を何にするかと調べていたりしているうちにだんだんと気持ちが晴れてきたのだ。
イベントの力はすごい。憂鬱でも準備に参加していれば、無理やりにでも気持ちが引き上げられる。
今日はバレンタインデー。下駄箱からあふれ出すチョコレートに呆然とする。白山姫奈子、十五歳、性別は女だったはず……。
「これはまた……すごいですね」
綱が横目で私を見て笑った。今年は綱より数が多い。
「え? 嘘? 全部これ私のなの!? やった! 綱に勝ったわ!!」
嬉々としてチョコレートを下駄箱から取り出した。しかし、これは。
「さり気なく八坂くん宛てのチョコレートが混ざってるんだけど?」
綱は小さく吹き出した。
「マネージャーですね」
「そうね、マネージャーね」
ガックリとして肩を落とし、教室へ入る。机でとりあえず、八坂くんと私のものを分別し、八坂くんの分だけ八坂くんの机に積んだ。八坂くんはまだ教室には来ていない。きっと、すでにファンの子たちに捕まっているのだろう。
今年は最終学年だけに、バレンタインが過熱しているのだろう。おお怖い。
「綱は今のところ幾つ?」
チョコレートの数を確認する。ジロリと教室の男子から視線が飛ぶ。男子の反感を真っ向から買ったようだ。しかし私は気にしない。
へっへーん、君たちまだもらってないのォ? 私もう貰ったけどね!
余裕のドヤ顔で返してやる。
ケケケ、女子に負けるとか、御愁傷さまですー。
「数を競うなんてよくありません。気持ちが大切ですよ」
ツンと綱が答えた。
「よく言った生駒! その通りだ」
「そうだそうだ! 数じゃないんだぞ!」
周囲の男子がヤジる。
「どーせ、まだ一個も貰ってないくせに!」
言い返せば反論の嵐だ。
「まだ、まだ、なんだよ! これからなんだよ!」
「そうだ、そうだ! 俺は希望を捨てないぞ!」
「バナナ姫はそれだからゴリラなんだよ!」
「ゴリラじゃなーい!!」
憤慨する。事実を言っただけだ。ゴリラもバナナも事実ではない!
「今のは姫奈が悪いですよ」
綱がボソリと注意する。
ふーんだ、やっぱり私が悪役ですか!
なんて拗ねて綱を睨めば、そうだそうだと周りから野次られた。
私はイーっと歯を見せて、自分のチョコレートを鞄にしまった。
休み時間には恒例の友チョコを配りに歩く。そのあとは、一年生のフロアに行って修吾くんにチョコレートを渡した。婚約したとはいえ、恒例なので光毅さまの分も一緒だ。修吾くんは嬉しそうに受け取ってくれるから、渡しがいがあるのだ。
しかし、その先々で女の子に呼び止められる。なにかと思えば八坂くん宛てのチョコレートだ。ついでにというか、頼むお礼なのか、私にもチョコレートをくれる子までいて、何しろ数が多くて把握できない。仕方がないので、スマホのスプレッドシートにクラスと名前を吹き込んでもらう。
放課後、教室に帰ってくると八坂くん待ちの列がすでにできていた。
「すっごいわねぇ……」
去年までは大黒さんが幅をきかせていたから自粛していた気弱な女子も、大黒さんが静かになった今年は参戦しているらしい。
入り口が混雑して、モテない男子たちは不愉快そうだ。教室の雰囲気が険悪な感じになってきた。これはあまりよくないと思う。
それに、お客様を待たせるとは、何たること!
白山茶房を管理している私としては、列の放置はハラハラする。仕方がなしに、厚紙に油性ペンで黒々と『晏司くん最後尾』と記入した。
教室後方の出口の横に机を一つ置く。そこへ八坂くんを座らせる。前に記帳用のメモ帳をおいて、名前を書いてもらうことにした。
「八坂晏司のチョコレート受付はこちらでーす!」
声をあげて、女の子たちを誘導する。一列に並ばせて、最後尾の子には『晏司君最後尾』プレートを持ってもらった。白山茶房でも列ができるとこうやって誘導しているのだ。
「……姫奈ちゃん……、これは、ちょっと恥ずかしいよ」
八坂くんが不満を言うけれど仕方がない。
「教室が混乱するより良いでしょう」
「えええ……そう? いや? ちがくない?」
「不満を言わない! ニッコリ晏司君スマイルで受け取って!」
「もー、姫奈ちゃん、マネージャーより怖い」
ブツブツと言いながら受け取る八坂くんの横で、メモ帳に記帳をお願いしてお礼をいう。
女子の恋愛イベントで、いったい私は何をしているんだろう……。
ふと我に返る。
「あ、あの、姫先輩! これ!」
八坂くんにチョコレートを持ってきた下級生から、ついでのチョコレートをもらう。ついででも嬉しくて、ニッコリと受け取った。
「ありがとう。ねえ、貴女、お名前は?」
「あ、あ、」
女の子は顔を真っ赤にして名前を告げた。
こんなことをしていれば、綱がやってきた。
「少し出てきても良いですか?」
ため息混じり、言葉少なげな様子に、バレンタインの呼び出しなんだとわかる。きっと、桝さんにでも呼ばれているのだろう。
「え、ええ」
胸が苦しいけれど、それ以上何も言えない。嫌だなんて言えっこない。綱のチャンスを私が奪ってはいけないと、お母様にも言われたのだ。
そもそも私の気持ちを気づかれてはいけなかった。
「すぐ戻りますから、待っていてくださいね」
「早く帰る言い訳に私をまた使う気ね?」
言い訳として使われてもいい。早く帰ってきてくれるなら。
「言い訳じゃありません。事実です」
綱はすました顔で答えた。確かに事実だ。
「……うん、そうね。早く帰ってきて」
好きだとは知られてはいけないけれど、でも、今の思いは知って欲しい。早く帰って来て欲しい、そう望むのは罪だろうか。
綱は微笑み、急いで戻ります、と答えた。







