127.中等部三年 お正月 1
今日は一月三日。お正月休みを終えて、綱が帰って来た。数日見ないだけだったのに、なんだかグッと大人っぽくなっていてキュンとする。相変わらずの涼やかな眦はたっぷりと光沢を帯びた水羊羹の様に潤みを湛え、しかしマシュマロのようだった肌はいつしか落雁の様に固さを帯びてきている。
触ってみたいなんて思ってしまって、驚いた。
なによ、これ?
なんだかイケナイものでも見てしまった気分になって、私は目をそらす。そんな気持ちを打ち消すように、慌てて炬燵の上に秘蔵の品物を広げた。小ぶりの長方形の缶には、可愛らしいクリスマスのイラストがプリントされている。
「ふっふっふ、今日この時を待っていたのよ!」
彰仁と綱が呆れたような顔でチラリと私を見て、関心がなさそうにテレビに視線を戻した。テレビでは毎年恒例の駅伝中継が終わりかけていた。
「ちょーっと! 関心持ちなさいよ!」
「はい、お嬢様。なんでしょう?」
綱が軽く答えて視線を戻す。
「これ! バレエで一緒のイギリス人の奥様からクリスマスに頂いたの! 本場の手作りフルーツケーキよ! これにマジパンを塗ってウエディングケーキにしたんですって!」
「へえ?」
言えば彰仁もその缶を見た。
「三人でこっそり食べようと思ってとっておいたの!」
「なんでこっそり」
呆れたように彰仁がつぶやく。
「当たり前じゃない! 分け前が減るわ! それに少し寝かした方が美味しいって仰っていたし」
私の言い分に綱が苦笑いをしたが、無視して缶を開けた。
缶の中にはラップに包まれた手作りのフルーツケーキが入っていた。ラップごと取り出せば、ブランデーの芳醇な香りがあふれ出てくる。素朴なカステラ色の生地には、ドライフルーツが掘り出される前の宝石のように眠っている。
「わー! 素敵ね! 私、切ってくるわ。綱、キッチン貸して?」
「どうぞ。では、私は紅茶を入れましょう」
二人で炬燵から出て、小さなキッチンに並び立つ。簡単に切り分ければ、綱がお皿を側に置いた。三人分にデザートフォーク。一切れずつ小皿に盛り付け、残りは中皿にまとめ載せた。
なんだか、ムズムズするのはなぜなんだろう。とっても幸せな気分だ。
お盆にケーキと紅茶をのせて戻る。
しっとりと染込んだブランデーが舌の上でジンワリととろけ出す。ドライフルーツはふんわりと戻されて、胡桃の軽やかな歯ざわりとほろ苦さが絶妙なハーモニーを奏でる。甘さだけではない深い味わい。鼻に抜ける香。何もかもが私をとりこにした。
ぺろりと食べきって、もう一つ、あと一つと手を伸ばす。
「お嬢様、食べすぎですよ」
「そんなことないもーん。私がもらってきたんだもーん。一人で全部食べたっていいんだもーん」
なんだか身体が熱くなって、首もとのボタンを一つ二つ外した。
フルーツケーキは、あっという間になくなってしまった。こんなことなら本当に一人で食べればよかったとポンワリと思う。
「分けてあげたんですからね。こんなのめったに食べられないんだから! 感謝しなさいよーぅ!」
彰仁と綱が顔を見合わせる。その様子がおかしい。
目元がなんだか熱くなって、滲む視線の先の綱の顔が赤く見えた。もう一つ、胸元のボタンを外す。
「綱、顔赤ーい」
おかしくて、ひゃひゃひゃひゃと笑えば、彰仁と綱が不機嫌に眉を寄せる。
「少し暑いですね。暖房を弱めましょうか」
綱がすました顔で答えるから、それすらもおかしい。
「姫奈子、お前、酔ってるだろ?」
「酔ってませーん。ケーキぐらいで酔いませーん!」
元気溌剌に答えれば、綱が呆れたように大きなため息をついた。
「お水を持ってきます」
立ち上がろうとした綱の腰にタックルをかました。よろめく綱を押し倒す。
「やーだ。行かないで」
「お嬢様、離してください」
倒れた綱は恥ずかしいのか顔が真っ赤だ。まるでりんご飴みたいで食べてしまいたい。
「つな、顔、真っ赤」
「さっきも言いましたよ! 暑いんです、だから暖房を」
綱は私を押しのけようとする。それに私は腹が立って、綱に馬乗りになった。
「お嬢様っ!」
「へっへっへー」
なんだか悪役代官の気分だ。
「彰仁様!」
綱が彰仁に助けを求める。そんなに焦った綱を見たのは初めてで、なんとなく、そう、とても、イジメてみたい。
「つな、暑いなら脱げばいいのよ?」
綱の首元のボタンに手を伸ばす。プチンとボタンが外れた瞬間に、綱が私の手首をつかんだ。
「お嬢様おやめください!!」
きつい声でとがめられ、なんだか胸が痛くなる。ムッとする。
「お嬢様じゃないもん!」
なんで、お嬢様なんて呼ぶんだろう。どうして名前で呼んでくれないの。
そう思ったら悲しくなって、ポロリと熱い雫が瞳から零れ落ちる。綱の頬を玉のように転がって、ああ、綱のほっぺたは落雁とは違うんだな、なんて当たり前のことを思う。
「お嬢様?」
綱は驚いた顔で私を見上げた。
「いやよ」
そう呼ばれるのは嫌。フルフルと首を振る。
「お嬢様」
綱の声にイヤイヤをする。
綱は手首を離して、私の頬を拭った。
「……泣かないで」
あまりにも優しい声で、それがいっそう悲しい。涙がドロップのようにポロポロと転がり出て、自分では止められない。
「姫奈……」
綱があふれてくる涙を袖で押さえる。
グイと背中から引き上げられ、驚いて振り向けば生駒が真っ青な顔をしていた。
「綱守! なにを、お前! なにをしてる」
見たこともない形相で、私と綱を引き離す。
「生駒、悪いのは姫奈子だぞ! 綱は被害者だ!」
生駒を呼びに行ってきたのだろう、彰仁が生駒の後から声を上げた。
生駒は彰仁を振り返って、大きく息をした。落ち着こうとしているのだろう。
「さっきまで三人でフルーツケーキを食べていたんだ。そしたら、姫奈子が酔っぱらって手が付けられないから、俺が生駒を呼びに行った」
彰仁が説明する。それでも、生駒の顔は青白く硬かった。
「綱は悪くない」
彰仁がきっぱりと言い切れば、ばつが悪そうな顔で生駒は私を見た。
生駒の顔がぼんやりとしている。
そうか、泣いてるからか。なんで泣いてるんだっけ?
頭が上手く回らない。
「お嬢様」
生駒の声に、私はヘラリと笑う。笑うけれど涙は一向に止まる気配がなかった。
「なぁに? 生駒」
まじめな顔の生駒が可笑しかった。綱を困らせるのは楽しかったのに、引き離されたらどうしょうもなく悲しい。
悲しかったり、可笑しかったり、寂しかったり、楽しかったり、正反対の感情がフルーツケーキのドライフルーツのように、私の胸の中にギュッと詰まる。染込まされたブランデーが、早く空気に溶けたいと、揮発したいとザワめいているみたいだ。
「……お部屋に戻りましょう? そのままでは目が腫れてしまいますよ」
生駒がそういって、私の背中に手を回した。
どうして、それを言うのが生駒なの? いつもだったら綱なのに。
「綱がいい。つな」
綱の名前を呼べば、生駒はゆるく頭を振った。
「いけません。お嬢様。お嬢様は私がお連れします」
嫌だと言おうとすれば、生駒はもう一度、いけません、そう言った。







